第155話 タイムリープの真実


 俺は、またしてもあの夢――宇宙の中を漂うような空間の中にいた。

 まるで水中であるかのように、身体がゆっくりと海底から海面へと浮上しているような感覚がある。


 ただ知覚できるのは辛うじてそれだけであり、自分が起きているのか寝ているのか、立っているのか座っているかもわからない。


 新浜心一郎という名前も――少し考えてようやく思い出せる程に自分があやふやだった。


(……どうなるんだろうな、俺は……)


 ぼんやりとそんな事を考える。

 今俺は極めて不安定な状態になっており、何もかもが曖昧だ。

 

(春華……)


 およそ人智が及ばない状態になっている俺が思い描くのは、ただ一人の女の子の事だった。

 

 俺は、俺の為すべき事を本当にやり遂げられたのだろうか。


 あの大人の春華に迫っていた破滅を防ぎ、高校生の春華を負のタイムリープから救えたのだろうか?


(いや、負のタイムリープってのは正確じゃないな。あれは一周目世界の未来で精神崩壊した春華の記憶『だけ』が高校生の春華に一方的に流入した現象だから、あえて言うならタイムインフラックスだ。俺みたいに未来で死んだ俺の記憶と意思を引き継いで融合したタイムリープとは別もんで……あれ?)


 胸中で呟いていると、ふと気付いた。

 今俺が漂っている場所はどうやらかなりSF度の高い……アカシックなんたらみたいな空間であるようで、そこに触れている俺は知ろうと思えば何でも知る事ができるようだった。


(……ああ、そっか。そういう事……だったんだな)


 存在がぼんやりしている最中である俺は、淡々と知り得ないはずの知識を得る。

 一体何故俺がタイムリープなどという奇跡を与えられたのか。


(俺を二度もタイムリープさせた奴……神にも等しい力を持つ存在……)


 結論から言えば、


 タイムリープとは――世界というシステムが行う『調整』でしかないのだ。


 驚くべき事だが、この世界で生きる存在にはより良い未来を引き寄せる力……運命力とでも言うべきものが存在している。


 他に適切な呼び名がないから『運命』なんて言葉を使うが……これは普段からラッキーが起きやすいという事ではなく、強く願う事によって望む未来を引き寄せる力であるらしい。


(タイムリープがある時点でわかってはいたけど、この世界って想像以上にファンタジーだったんだな……まあ、と言っても現実に干渉するのは容易じゃないから、普通はよっぽど強い運命の持ち主じゃないとほぼ意味ないみたいだけどさ)


 ちなみに俺の運命力は中の下くらいであり、まさに凡人の星の下に生まれてきたようだ。……悲しいなぁ。


 とはいえ俺以外の人間も普通はそんなものであり、奇跡とは基本的に普通の人間の手から遠い所にある。

 だが……ごく希に、天に愛されたとしか言いようがない程の桁違いな運命力を持つ存在が現れる。


 願った事をことごとく叶えて繁栄してきた血筋――紫条院家がそうだ。


(バイト先で時宗さんが話してくれた『救い主』の話は……そういう事だったんだな)


 紫条院家の直系である人間がピンチに陥った時に、それを打開する力を持った人物がご都合主義のように現れて一族を救ってくれるという言い伝え――それは間違いなく運命力が呼び込んでいるものだ。


 都合のいい奇跡は、派手な超常現象ではなく意外と現実にフィットした形――すなわち有能な味方や救世主を呼び込むという形式で発現する事が多い。

 実は、時宗社長が紫条院家に婿入りしたのもその影響である。


(時宗さんは笑い話にしてたけど……まさか自分の奥さんがダイレクトに不思議パワーを発揮してたとは思わないだろうなぁ)


 春華のお母さん――紫条院秋子さんは、若い頃に二つの事を強く願った。


 一つは『経営不振に陥っている紫条院グループが救われて欲しい』という当時苦境にあった実家を心配しての願い。


 もう一つは『政略結婚とか絶対イヤ! 理想の人と巡り会って結ばれたい!』という少女漫画のような恋がしたいという熱烈な願望だ。


 その結果、『経営の天才かつ秋子さんと最高に相性がいい男性』である時宗さんと秋子さんは結ばれる事となり、絵に描いたような大団円を迎えたのである。

 無論、秋子さんはその事を自覚していない。


(代が変わるとその次の子ども……つまり春華に運命の加護は移る。だからこそ、本来なら春華はどんな苦境でも自分の望んだ通りに出来るはずだったけど……)


 だが、春華は真面目すぎたのだ。


 彼女は幼少期から家の権力や財力に頼る事を敬遠していた事もあり、『自力以外のズルいもの』で何かを得る事を無意識に拒んでいた。


 世界から寵愛された存在であっても、心から強く願わなければ運命の手は働かない。

 だからこそ友達が欲しいという願いも、輝かしい青春が欲しいという憧れも、職場で健やかに働きたいという悲痛な想いも、何ら救われる事はなかったのだ。


 そして、やがて精神崩壊して人形のようになってしまった後――


(無意識の底で……春華は涙に暮れながら願った。愚かな自分が辿り着いてしまったこんな結末ではなくて、友達と笑い合ったり、大切な人と寄り添える温かい生き方をしたかったと……)


 その生涯の全てを悔いるような願いに、運命は応えた。


 だが、すでに破滅を迎えてしまった春華を救済するのはもはや不可能だった。

 そこで、運命は一つの結論を出した。


 紫条院春華の未来がすでに閉ざされているのであれば――、と。


 恐ろしい事に運命にとってタイムリープは大ごとではあっても反則ではなく、歴史上で同様の件はいくつもあったらしい。


(そして今回の場合……春華本人をタイムリープさせるよりも春華の運命を変え得る存在を過去に送り込むのが適切だと判断された。そんでもってその人材に求められる要素が――) 


 過去へのやり直しに極めて意欲的である事。

 春華の未来を正しい方向へと導ける経験と知識を持つ事。

 そして何より――紫条院春華を心から想っている事。


(その全てを満たすのが俺という男だった。全てのタイムリープは俺なんかのためじゃなくて……春華のために起こっていたんだ)


 そして、その試みは上手くいった。

 過去へと送り込まれた俺という劇物は春華が破滅へ至る因子を短期間で駆逐していき、世界は破滅のない未来へと動き出した。


 破滅の未来に至る一周目世界はなかったことになり、過去改変によって生まれた二周目世界こそ正史となる――それが運命が講じた計画だ。


 だがそこで、大きな問題が発生した。

 一周目世界の大人春華は、運命が想定していた以上に他者からの救済を拒んでいたのだ。それこそ、世界からの干渉をはね除けるほどに頑なに。


 強い運命力を持つ春華本人が都合のいい救いを否定している限り、二周目世界は一周目世界を塗り替えて正史にはなれない。

 例えるなら、バグのあるデータを修正版のデータで上書きしようとしたが、バグのあるデータが上書きを拒否してエラーを起こしたという形だ。


(結果として……一つになれなかった一周目世界と二周目世界は完全に分かれた。こうなってしまうと、二周目世界の春華は救われても一周目世界の春華はやはり破滅を迎えてしまう)


 その事態を悟った運命は、自らに課したタスクを実行できていない事に困り果てたようで、恐ろしく乱暴な手段を講じた。


 つまり、春華の過去を改変した実績のある俺を一周目世界に送り、一周目世界の春華を救ってもらおうという計画だ。


 手順としてはこうだ。


 まず、高校生の春華に一周目世界の精神崩壊に係る記憶を流入させて擬似的な精神崩壊状態に追い込む。

 それを解決するには一周目世界の大人の春華を救済するしかないと、俺が気付く事も織り込み済みで。


 そうして、俺に一周目世界を救済する強い動機を与えて、タイムリープさせる。

 俺も薄々気付いてはいたが……運命は俺の祈りに応えた訳ではなく、何もかも最初から仕込みだったという事だ。


(全く、ブラック企業の上司みたいに何の説明もなくこき使ってくれるもんだな運命って奴は。しかも万事目論み通りどころか、俺が大人の春華を救えるかはどうかはかなり賭けだったっぽいぞこれ)


 人智の外にある運命に文句をつけても仕方ないが、高校生の春華を人質にするような真似をするし、時空を見通しているくせに計画がずさんだったりどうにもクソシステムという印象が強い。


(ま……今となっちゃどうでもいいか。二人の春華が結果的に破滅を避けられたのなら、それに勝ることはない)


 その一点のみが、俺にとって最も重要な事だった。

 

 春華に笑っていて欲しい。

 春華に幸せになって欲しい。

 彼女が願った通りにささやかだけど優しい未来が訪れるのであれば――俺は何度タイムリープさせられてどう使い潰されても一切構わない。


 あるいは――こんなにも重たすぎる想いこそが春華を救うための素養だったのかもと考え、俺は苦笑した。


(さて……どうなるのかな俺は……)


 そればかりは、俺がこの場で得た知識でもわからなかった。

 全ての仕事を果たした俺は果たしてどこへ行くのか、 


 あるいは、用済みと判断されてこのまま消滅してしまうのか。


(まあ、春華という存在の全てを救えたのなら悔いはないけど……でも、そうだな)


 もしあの場所へ……俺が青春リベンジを繰り広げたあの世界へ帰れるのなら。

 俺にとって最も大切な存在がいる場所へもう一度行けるのならば。

 

 俺は全てが終わった今こそ――


 そこまで考えた時に、不意に意識が混濁して自己の定義がさらに曖昧になった。

 この空間に留まる時間が終わったのだと悟った瞬間――


 俺という存在は、その場から消え失せていた。

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