第153話 吐露される苦しみ
「俺は……勘違いをしていたよ」
「え……?」
こちらの意図が読めない様子で春華が困惑した顔を見せたが、俺は構わず続けた。
「高校の時、紫条院さんを初めて見て衝撃を受けたよ。美人で優しくてオマケに社長令嬢……こんなにも天に愛された人がいるんだって驚く程だった」
「な……っ!?」
俺の素直な第一印象を聞いて、春華は恥ずかしそうに呻いた。
これは別に持ち上げている訳ではなく単なる本心だ。
目の前に天使がいるのだと本気で思えたのは、後にも先にもあの時だけだろう。
そう俺は――彼女を勝手に天上の人だと位置づけたんだ。
「この人が見えている景色はとてもキラキラしていて、世界がバラ色なんだろうなと……そう思っていたんだ」
単純なスペックでしか世界を量れなかったあの頃は特にそうだった。
美人やイケメン、秀才やスポーツマンの人生はそれだけで輝いているのだと、そう信じ込んでいた。
「けど、今ではそれがとんでもない間違いだったと確信してる。俺だけじゃなくて、きっと紫条院さんの周囲にいた同年代のほぼ全員が勘違いしていたんだろうけどさ」
幼少時から春華に嫌がらせをしていたという女子達も、おそらく『綺麗な世界を独り占めするお姫様はズルい』という思いがあったのだろう。
恵まれた人の世界は無条件でイージーだと、凡人達は思い込む。
「その確信を元に……俺は考えたよ。俺の提案を正論だと認めているのに、どうしてあんなにも紫条院さんは仕事を辞める事をタブー視するのか、ご両親に現状を黙ってまで勤め続ける理由なんてあるのかってさ」
夢の中で、高校生の春華は大人の自分を評して言った。
『大人になりたがっていて気を張っている子ども』のようだと。
この見方が正しい場合、春華がなりたがっている『大人』とは何か。
その線から考えてそもそもの春華の性格と大人春華の言動を思い返せば――
答えはもう、一つしかなかった。
「紫条院さんは……自分はまるで価値がない人間なんだって思ってるんだろう?」
「…………っ!!」
春華の反応は如実だった。
衝撃に震えたまま固まり、微動だにしない。
その反応こそが、俺の指摘の正しさを証明していた。
「自分は普通じゃない。正しく成長できないままに大人になってしまったとか……そんな事を考えているんじゃないか?」
それは、誰もが大なり小なり思う事だ。自分が完全に大人になれたと思える奴なんてほぼいないだろう。
だが春華の場合――おそらくその思いが極めて深い。
それが、自分を蝕む呪いとなってしまう程に。
「……だったら、何なんですか……」
春華の内面を詳らかにする俺に、怒りが滲んだ声が届く。
それは本当に珍しい、感情が負の方向に荒ぶった春華の声だった。
「ええ、そうです……私は無価値な人間なんですよ。心の底からそう思っています。もっとも、そう言ったら誰もが私の言葉を否定しますけど」
自嘲するように、春華は哀しい顔で笑う。
「私は恵まれているんだと誰もが言いますと。ええ、それはその通りです。けど、それは――単に私が生まれ持ったもので、私自身の価値じゃありません」
自嘲を深めるように、春華は薄く笑う。
「ずっと……友達が欲しかったんです。けど、それが叶う事はありませんでした」
感情の蓋から滲み出てくるような悲しみがこもった声で、春華は語り出した。
「小学生の時も中学の時も高校の時も大学の時も……! みんなが当たり前に叶えている事が、私だけができない! 親しくなろうにも女子は誰もが私から距離を取ってばかりで……私の中身に何も魅力がないからです!」
春華がどれだけ友達に渇望していたか、二周目世界で俺は知っている。
だからこそ、この大人の春華の泣くような叫びは聞いていて辛い。
「やりたい事はいっぱいありました! けど、それを実現しようと勇気を出しても、私がいるとクラスもサークルもどこかギクシャクして、いつも上手くいかない! 結局何の楽しい思い出もない灰色の青春だけが残って……!」
それは、俺のようなどこにでもいる陰キャと変わりない悲哀だった。
誰もが天上の人だと信じて疑わない天使は……日陰者達と同じく日の当たる場所が欲しいと願っていたのだと、果たして誰が思うだろうか。
「私は……普通が欲しかったんです! 普通に友達を作って、普通に学校生活を楽しんで、当たり前の青春を謳歌したかった……! けど、いつも次こそはと意気込んでも、何も手に入りませんでした! ずっとずっと……二十年以上も!」
その悲哀の気配は、二周目世界の春華からも感じてはいた。
彼女は友達や青春の思い出を欲しており、それらを手に入れていく事で自己肯定感と心の強さを強固なものにしていった。
しかしこの一周目の春華は、それを全く手にしないままに大人になった。
『普通』であるはずのそれが欠片も得られない自分は普通でないのだと……悲嘆だけを深めていったのだ。
「欲しいものがこんなにも掴めない人間なんて、どこかおかしいんです! 何か欠けているものがあるんです! 私は……そんな私が本当に嫌いで……!」
「だから……『大人』である事にこだわったんだな」
感情を露わにする春華に、俺は言葉を挟む。
「……ええ、そうです」
春華の瞳は、うっすらと濡れていた。
激情のままに吐き出す自分への呪詛に、涙が溢れてしてまっている。
「真っ当に働いて人や社会に役に立つ人間になろうとしました。中身がない私でも、せめてちゃんとした大人になれば自分を少しでも好きになれそうだったから。上手く生きられない私でも、どこにでもいる何者かにはなれると思ったから!」
それだけが救いであるかのように、春華は叫ぶ。
「それさえ失ってしまったら私はもういよいよ何もないんです! たとえ大人として辛い目に遭ったとしても……一度逃げてしまったら、臆病で怠惰な私は優しすぎる実家に甘えてしまって、もう二度と頑張れないかもしれない!」
『大人』とは役割があってこそ。
役割の辛さから一度でも逃げてしまえば自分は『大人』ではない。
『大人』でない自分は最後に残された価値すら失ってしまう。
それは、俺も少なからず抱いていた考えだった。
自分が無価値な何者でもない存在になる事への恐怖――それも社畜である事を辞められなかった一因だ。
「だから、職場を辞める事はできません! 今職場に足を運んでいるからこそ自分を辛うじて許せるんです! 一度でも逃げてしまったら私は……私は……!」
限界まで膨れ上がった自己嫌悪を抑えきれずに、自分というものが保てなくなるのだと、春華は叫ぶ。
これが、春華が胸に抱えていたものだ。
ただでさえ自罰的だった少女は悲哀とともにその思いを募らせて……こんなふうになるまで思い詰めてしまっていた。
それは、あまりにも痛ましいが――
「……正直、黙っていられない」
「え……」
涙で頬を濡らす春華に向かって、俺は一歩前へと進み出た。
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