第126話 春華のレベルアップ③
「ありがとうございましたー! またのお越しをお待ちしておりまーす!」
俺こと新浜心一郞は、ようやく退店してもらえた大学生集団を完璧なスマイルで見送っていた。
二十人分もの席を用意しろと無茶な事を言う彼らとの話し合いは本当に骨が折れたが……最終的に俺の『近くに広い公園があるんで、ドリンクをテイクアウトしてそちらで時間を潰すのはどうですか?』という提案で決着がついたのだ。
(ああもうメチャクチャ時間がかかった……! 小学生の集団の方が百倍聞き分けがいいよチクショウ!)
バイトとしてニコニコ顔で送り出したが、当然俺の内心はウンザリ感でいっぱいだった。そもそも俺のような陰キャ出身は、ああいうパリピ系の相手をすると著しく疲れてしまう。
(……っと、そんな事より春華だ! 早く助けにいかないと!)
クレーマー対応に苦慮していた少女の姿を思い浮かべ、俺は他のレジ担当に断ってからその場を離れる。
急いで現場へ向かうが、現在はちょうどお客の入りがピークであり本の持ち出しや返却で席を立っている者も多く、なかなか春華の元へたどり着けない。
(春華はああいう強い剣幕に弱いからな……いや、もちろん怒鳴り声に強い人なんかそうそういないけどさ)
子どもだろうが大人だろうが、怖い顔で声を荒らげられると怖くて辛くて泣きたくなる。それは俺自身が嫌という程に体験した事だ。
だが春華は殊更にそういう事に弱い。
彼女自身が誰かに対して怒りや悪意を持つ機会が極端に少ないため、それらを剥き出しにする相手は理解の及ばない怪物のように見えてしまうのだろう。
(だからこそ、そういうのに慣れるまでは俺がサポートを――へ?)
ようやく春華がクレーマーの相手をしていた現場に行き着くと、そこには予想外の光景が広がっていた。
「ええ、私はやっぱり一番好きなのは一巻ねぇ……酷い幼少期だったハリィがゼロから友達を作っていくのが自分の事みたいに嬉しくて……」
「ええ、私も友達がいなかったからとてもわかります! 不遇な環境にいたからこそ、ああやって全く新しい世界で友達が増えていくの本当にいいですよね!」
怖ろしい剣幕で声を荒らげていたはずの高齢女性クレーマーと、恐怖でキャパオーバー気味になっていたはずの春華は、何故か和やかに談笑していた。
春華はいつもの純度百%の笑顔であり、お婆さんの方もそれに引っ張られるようにして自然と笑みを浮かべている。
まるで同好会の集まりであるかのように、どちらも実に楽しそうだった。
(……春華がこの状況に持っていったのか? 誰のサポートもなく一人で?)
どうやって割って入るをか考えながら駆けつけた俺は、春華が成し遂げた事にただ驚く。
あの少女が、クレームを上手くほぐして談笑できるほどの状況に導いているなんて……。
「その……さっきは悪かったわねお嬢ちゃん」
すっかり穏やかな表情になったお婆さんは、言いにくそうに切り出した。
「新刊の事ね、こうして落ち着いたら酷いワガママを事を言ったんだってわかるの。でも最近の私ったらすぐにカッとなって……ただイライラしているだけじゃなくて、きっと店員さんに構って欲しかったんだわ……」
自己嫌悪に塗れた様子で、お婆さんは心情を吐露する。
「……子どもも孫もずっと会ってなくて、連れ合いはとっくに亡くなって友達もいなくて……心の貧しい婆さんそのままになってたわ。なのに、こんなふうに若い子にちょっと構ってもらっただけでこんなに気分がいいんだから現金なものよね……」
(なるほど……寂しさからクレームを入れるタイプだったか)
孤独を深めた一人暮らしや高齢者によく見られるケースで、ずっと一人でいる寂しさからついイライラしてしまい、構ってもらうために他人に文句をつけてしまうのだだ。
欲しいのは謝罪でも利益でもなく他者とのコミュニケーションであるため、ある程度会話していると本来の常識的な感覚が戻ってくる場合が多い。
「いいえ、寂しいのはどうしようもない事だと思います」
深い疲労を見せて俯く高齢者に、春華は優しく言葉をかけた。
そのあまりに純粋な言葉と慈愛に満ちた表情に、お婆さんは虚を突かれたように大きく目を見開く。
「もし私でよければまたお話をしましょう。私もそれなりに色々と本を読んでいますので、語り合えたらきっと楽しいです!」
「あんた……」
店員としての義務ではなく完全に無垢な心のままだとわかる言葉と笑顔に、お婆さんが眩しいものを見るかのように春華を見つめる。
「……本当に自分が恥ずかしいわね……。今日は色々と頭を冷やしたいから帰るわ。店員さん、仕事の邪魔をして本当に悪かったわ……」
言って、お婆さんは静かな足取りで去って行った。
店から出る間際にこちらへ頭を下げている姿はとても先ほどまで声を荒らげていたクレーマーとは思えず、まさに憑きものが落ちたようだ。
「ふぅ……なんとか納得してもらいまし……っ!? わわ、心一郎君いつから!? そっちの問題は解決したんですか!?」
「ああ、大学生が集団で来ていた件ならなんとか丸く収まったよ」
俺の存在に気付いて驚きの声を上げる春華に、俺は笑いかけた。
「それで慌ててこっちにヘルプに来たんだけど……凄いじゃないか春華! 思いっきり怒鳴っていたお婆さんに完璧に対応して見せるなんて!」
「あはは……正直最初はちょっと泣きそうでしたけど……」
俺が手放しで賞賛すると、春華は頬を染めた。
だが実際これは凄い事だった。
一度完全に興奮してしまった人間を宥めるのは、大人でも相当に難しいのだ。
「別に独力じゃないんです。何とか心一郎君の話を思い出して……」
「俺の話……? ああ、なるほど。それであのお婆さんが寂しさからクレームを入れてるタイプだって気付いた訳か」
「ええ、でも……そこで思いついたのはただあの人が楽しくなる話題はないかって事だけで……後はあの人を宥めるっていう目的を忘れて、普通に心一郎君とお話するような調子で自分の好きな事を喋っていただけなんです……」
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる春華だったが、そんな彼女だからあの婆さんも短い時間で心を開いたのだろう。
邪気が一切ない純粋な笑顔と、善意しかない温かくて優しい言葉は。それは孤独に苦しむ人間にとって何よりも染み渡る光だ。
これが『寂しいお客の相手をしてあげる』という計算高い意識からの行動であれば、そこを見抜かれて逆に激昂されていたかもしれない。
「しかしまあ、よく踏みとどまって一人で対応したな……春華って感情的になって詰め寄られるのが特に苦手なんだろ?」
春華は子どもの頃から今に至るまで、彼女の美しさや天真爛漫さを妬んだ女子に苦しめられてきた。そのせいもあり、クレーマーのように居丈高に文句をつけてくる輩はかなり苦手なはずだが……。
「ええ、苦手なのは全然変わっていません。同じような事を対応しないといけなくなったら、びっしりと冷や汗をかいて今度こそ何も出来ずに硬直してしまうかもしれません」
クレーム対応の恐怖を思い出したのか、春華は緊張が残った表情で額に浮いた珠の汗を拭った。
「でも――それだけじゃいけないと思ったんです。いつまでも怖いからと逃げ回っているだけじゃ何も変わらないって」
「春華……」
そうきっぱりと口にした少女は、今までもよりもほんの少しだけ大人びて見えた。
「だから、少しずつ怖い事や苦手な事にも自分なりに考えて向かっていこうと、今はそういうふうに思ってるんです。それでさらに怖い目にも遭うかもしれませんけど……やってみないと何も変わりませんから」
力ある言葉でそう言ってのけた少女は、やはり約半年前に再会した時とは大きく違っていた。その内面の変化をどう言い表したらいいかわからないが……なんだか、より輝きが増して美しくなったような気がする。
「あ、でも無理はダメだってちゃんとわかってますよ! 今回の事だっていよいよ手に負えなかったら、店長や他の誰かに泣きつく気満々でしたから!」
「ああ、それで正解だよ」
決して猪突猛進を美徳としている訳ではないと言う春華に、俺は頷く。
そこまでわかっているのなら、もう俺が言う事なんて何もない。
(はは……この二周目世界にタイムリープしてきてから、春華に強くなってもらうために色々とお節介を焼いてきたけど……)
この分ならば、俺が危惧した事はかなり遠くなったと言えるだろう。
もう彼女はただ悪意に潰されるだけのか弱い令嬢じゃない。
怒るべき時には怒り、立ち向かう時は立ち向かい、引くべき時は引く――そういう事をしっかりと覚え始めている。
(もしかして……俺の目的の一つだった春華の心を強くするってのも大半が達成できたのかもな。もう俺がいつもサポートする必要も――)
そう思うと、急に得も言われぬ寂しさがこみ上げる。
春華の精神的成長は願ったり叶ったりなはずなのに、もう俺に頼ってくれなくなるのかと思うと、どうにも心が萎んでしまう。
「ふふ、それにしても一人でなんとかできたのは嬉しいです! たまたま上手く行っただけなのはわかってますけど、心一郎君が今まで色んな事を教えてくれたおかげですね!」
俺の俯いた心に光を浴びせるように、春華は無邪気な笑みを浮かべた。
ただ、その物言いは流石に過大評価が過ぎるだろう。
「いやいやいや、俺がした事なんてごく一般的なアドバイスくらいのもんだよ。今日のは特に春華が頑張った結果でしかないって」
今まで俺がやってきた事なんて、本当にただ自分の経験談や客観的な一般論を語ったくらいだ。本当に凄いのは、そんな俺の助言程度を真摯に受け止めて自分を変えようとしている春華の方だ。
一周目における高校時代の俺なんか、誰に何を言われようと怠惰でビビりな自分を一ミリも変えられなかっただろうしな……。
「いいえ、そんな事ないです! だって、心一郎君と話すようになってから私はどんどん自分の事を好きになれていますから!」
「――……」
間をおかずに返ってきた真っ直ぐな笑顔に、俺は一瞬感情を忘れる。
「こうやって、また一つ自分が善い方向に変わっていくのが嬉しくて……そしてそれは間違いなく心一郎君のおかげなんです! だから――」
春華は自分が独力で問題を解決できた事がよほど嬉しいようで、職務中にも関わらず溢れる心の喝采を抑えきれないようだった。
「だから……これからも一緒にいてくださいね!」
そして、少女は溢れんばかりの喜びと親愛に満ちた満面の笑みを浮かべた。
まっさらな言葉と、どこまでも快活で天使そのものの笑顔。
それらを向けられた俺は言葉を失って、ただウブな中学生のように赤面する事しかできない。
(ああもう、職務中だってのに……恋心が溢れてどうしようもなくなる……)
精神的な強さとともに少女としての魅力もまた増している想い人に、俺は恋愛的な耐性が何の成長もしていない自分に気付くのであった。
【読者の皆様へ】
あけましておめでとうございます。
今年初めての投稿となります。
陰リベも2020年12月に連載開始してから約2年が経ちました。
前年は書籍版全巻重版という奇跡にも恵まれ、続巻も決定し実に嬉しい年となりました。応援して頂いた皆様にはただただ頭が下がるばかりです。
本当にありがとうございました……!
どうか今年も拙作をよろしくお願い申し上げます。
なお、現在4巻の作業中であり、新年の投稿ペースはやや遅くなるかと思いますがどうかご承知おきください(汗)
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