第127話 秋を感じるその日こそが
俺こと新浜心一郎は、教室の自分の席でやや緊張した面持ちになっていた。
現在は五限目の授業の最中で、これが終われば帰りのホームルームを済まして帰るだけとなる。
それはいつもの日常であり、教室に座るクラスメイト達にとっては昨日と変わらぬ今日だろう。
だが、俺にとってはそうではない。
一年でたった一日しかない、極めて重要な日なのだ。
(いよいよこの日になったか……通り過ぎる前に情報を仕入れる事が出来て本当に良かった……)
この日の事を知ってから、ずっと準備していた。
ここしばらくアルバイトに励んでいたのも、まさにこの日のためなのだ。
俺はチラリと春華が座っている席へと視線を向けた。
頑張り屋な令嬢は熱心に授業に耳を傾けており、ノートを取る手を忙しなく動かしている。
元々生真面目な少女だったが、最近は将来を真剣に考え始めたせいか勉強への熱が入っているようで、筆橋と風見原の勉強サボり気味コンビは『眩しい……! 高校二年生の理想的な姿に目が潰れそう……!』と苦悶していた。
(本当に真面目だよな……可愛さも財力もあるお姫様なのに全然そんな事を鼻にかけなくて、常に人間そのものを見ているって言うか……)
一生懸命な少女の綺麗な横顔を見ていると、無意識に顔がほころんだ。
頑張っている人は誰であろうと格好よく見えるものだが、それが好きな人であればなおさらに尊いものに感じる。
(もう秋もかなり深まったな……もうすぐ寒い季節がやってくるか……)
視線を窓際に向けると木々はすっかり色づいており、地面には黄や赤が入り交じった落葉の絨毯を敷かれていた。
短い秋は、もう数週間もすれば冬へと移り変わるだろう。
俺がこの二周目の世界にやってきてから、またも一つの節目を迎えようとしている。冬の兆しを見せる景色を見て、俺はそんなセンチメンタルな事を思い浮かべた。
(ああもう! 春華はどこ行った!?)
放課後の校舎で、俺は想い人の姿を探して廊下を小走りしていた。
本当は帰りのホームルームが終わったらすぐ声をかけるつもりだったのだが、話しかけてきた銀次に少し受け応えした間に、春華の姿は見えなくなっていたのだ。
急いで校舎玄関に行ってみたが、春華の上履きがまだそこにない事からまだ校舎内にいると判明し、こうして探し回っているのだが――
「ふふふ、お困りですね新浜君。飼い主を見失って焦りまくりのワンコのようで見ていてちょっと面白いですが」
「あはは、メチャクチャ焦ってるね! ま、今日は新浜君からしたら絶対外せない日だろうし、気持ちはわかるけどねー!」
聞き慣れた声に振り返ると、そこには風見原と筆橋がいた。
俺の内心を知っているかのような意味深な事を言う二人は、何故か揃ってニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「まあ、その焦りは理解できますしチャチャッと話しましょうか。新浜君は今日大事な用事があって春華を探しているんですよね?」
「な、なんでそれを!?」
今日までの俺の準備を知っているのは香奈子だけのはずなのに!?
「それはもちろん春華の友達だからね! 今日が何の日か当然知ってるし、このタイミングで新浜君が動かないはずないって予想がつくもん!」
「ぐ……」
俺の行動パターンが予想通りだったとばかりに、筆橋と風見原は笑った。
く、くそぉ……俺の恋愛に係る動きが完全に見透かされている……。
「ま、それで情報提供に来たという事ですよ。春華は授業の質問で職員室に行っていますので、そろそろ出てくる頃でしょう」
「! マジか! 恩に着る!」
言って、俺は即座に踵を返した。
二人して終始ニヤニヤしていた点については物申したいが、その情報は素直にありがたい。
なんせ、今日ばかりはすれ違ってまた明日になるのは嫌だからな……!
「新浜君、頑張ってねー!」
危なくない程度の小走りで廊下を駆ける俺に、筆橋の声が届く。
「春華はさ! 今日この日に新浜君からアプローチしてあげたら絶対に喜ぶよ! それはきっと、家族や友達からとは全然違った角度で心が踊っちゃうから! そこは新浜君だってちょっとは確信を持っているんじゃないのー!?」
背後から響く声は、声援と叱咤が含まれていた。
紫条院春華にとっての特別な位置に、新浜心一郎はもっとも近づいている。
だから色々な意味で頑張れと、快活な少女は俺の背中を押していた。
(ああ、そうだな……頑張るよ)
急ぐ足を止めずに、俺はその筆橋の言葉を重く受け止める。
青春リベンジを初めて我ながら俺は頑張ってきた。
だがここからは、もっと頑張っていかなければならないのだ。
職員室前に辿り着くと、春華が「失礼しましたー!」と元気よく言って出てくるところだった。どうやら用件だった先生への質問は終わったらしい。
「春華!」
「え? あ、心一郎君!」
俺が呼び止めると、春華は振り返って楽しげな笑顔を見せた。
いつもいつも、この少女の笑みは愛らしくて目を奪われる。
「あ、つ、つい名前を読んでしまいました……学校内だと禁止でしたね」
「いや、今のは俺が先に名前で呼んじゃったしな……アルバイト中だと特に禁止にしなくていいし切り替えが難しいな」
幸い周囲に生徒の姿はないが、本当にこれはバレたらヤバいのだ。
春華の人気によりあっという間に全校生徒の噂となり、春華のファンである男子達が次々と俺に絡んでくるだろう。
(いやまあ……ぶっちゃけ普段から春華と距離が近すぎる時点で問題なんだけど、クラスメイト達がそんな俺達を当たり前のように受け止めてくれてるから大事に至っていないんだよな……)
筆橋曰く『ま、新浜君がクラスで活躍しまくった成果だね。春華と近いポジションにいても〝妬ましいけどその資格はある奴だよな〟って認定されてるって言うかさ』との事だが。
「そうですね……でも私はやっぱり許される時はいつだって心一郎君って呼びたいです」
その一言にドキリと心臓を高鳴らせる俺に、春華はなおもごく当たり前のように素直な言葉を紡ぐ。
「だって、私達の間柄がとても近しくなったっていう証拠みたいなものですし……何よりこうやって名前で呼び合っていると、心がポカポカと嬉しくなるんです」
ただ綺麗な花を見て微笑むような自然な笑顔で、紫条院春華という少女はそんな言葉を紡いだ。
彼女の天然な男殺しの台詞は数え切れない程に聞いた事だが、それでも耐性なんてつくはずもなく、俺のハートはまたも的確に射貫かれる。
ああもう……本当に毎度毎度キュンキュンしちゃうだろ……!
「ところでどうしたんですか? 何だか急いでたみたいですけど……」
「あ、いや……急いでいたというより春華を探していたんだ。その、実は……」
そこで俺は言葉を詰まらせてしまい、そんな俺を春華は「?」と不思議そうな面持ちで見ている。
思えば、俺はいつもこうだ。
どれだけ一生懸命に明るく振る舞って、過去の後悔をバネにしてエネルギッシュに行動しようとも、元々が根暗オタクであるが故に常に自分が傷つく事を怖れてたびたび心が縮こまる。
少女漫画のヒーローのように、生粋の陽キャには絶対になれない。
(いいさ、それでも……今世こそ、俺は俺の欲しいものに手を伸ばす。多少たどたどしくても、最終的に行動に移せればそれでいい)
「その、ええと……今日、特に予定がないのなら、俺と一緒に帰らないか?」
「え……」
春華と一緒に帰るの機会は何度もあった。
放課後に図書委員の仕事や勉強会で遅くなった時には一緒に帰る――そんな暗黙のルールが俺達の間で出来上がっていたからだ。
だが、何の理由もなく俺から一緒に帰ろうと提案するのは、もしかしたら今回が初めてかもしれない。
だからこそ、俺も緊張と共にそのお誘いを口にしたのだが――
「は、はい! もちろん大丈夫です! 最近は久しぶりだったので嬉しいです!」
そんな俺の心配は杞憂だったようで、春華は目を輝かせて同意してくれた。
最近はバイトで一緒にいる時間は多かったのに、学校から一緒に帰ろうと誘うと喜びを露わにしてくれる――そんな彼女の反応に、俺の心もまた踊っていた。
「あ、あの……何だか心一郎君、息が荒いみたいですけど……もしかして今までずっと私を探していたり……?」
「ああ、そうだ。今日はどうしても一緒に帰りたかったから探してたんだ。何故か風見原と筆橋が春華の行き先を教えてくれて助かったけどな」
「そ、そうですか……私を探して……」
春華は少し照れたような表情で、満足そうにその事実を反芻する。
まるで、とても嬉しい事でもあったように。
「じゃ、行くか。お互い今日はバイトもないし、のんびり歩けそうだな」
「あはは、確かに夕方のシフトが入っていると帰る時に気が急きますよね!」
最初の頃程じゃないが、意中の少女と一緒に帰る時はいつだって心臓がうるさい程のドキドキと緊張がある。
けれど俺はそんな自分も気持ちを大人のやせ我慢で覆い隠したまま、表面上はいつもと変わらない平静さで彼女をエスコートする。
今日という日は、どうしても春華と二人っきりになりたかった。
【作者より】
更新がかなり遅れて申し訳ありません。
ようやく4巻の原稿も一段落つきました。
(これから大幅な修正があるとまたそちらにかかりきりですが)
今後ともよろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます