第125話 春華のレベルアップ②
(だ、ダメです……この女の人の件は私がなんとかしないと……!)
孤立無援な状況に泣きそうなりながらも、私こと紫条院春華はなおも文句を言い募るお客さんへ向き直るしかなかった。
「何ぼーっとしてるよ! お客の私が話してるのよ!」
「す、すみません!」
荒らげる高齢の女性は、私の苦い記憶を呼び起こす。
子供の頃からこういう場面は多々あった。
いくつの時も、学校内では必ずと言っていいほどに私に詰め寄ってくる女子生徒がいたからだ。
陰で嫌がらせをする子もいたけれど、やっぱり一番怖かったのは面と向かって攻められる事だった。
まるで私を否定せずにはいられないかのような、剥き出しの嫌悪と怒り。
何故そこまで敵意を向けてくるのか聞いても、『何それ嫌味!?』や『調子乗ってるからでしょ!?』と理解できない答えが返ってきてより一層の混乱と恐怖を深めるだけだった。
こうして怒りの根源が理解できないのに苛烈な言葉を浴びせられるのは、そういった過去の情景とよく似ている。
(……やっぱり怖いです……!)
昔からそうであるように、誰かから苛烈な言葉を浴びせられる状況は手が震えて心が硬直してしまう。
悲しくて辛くて、全身の細胞から冷や汗が滲むような感覚がする。
ただただ、この場から離れたい一心になる。
けど――
(そればかりじゃ……ダメなんです……)
いい加減に自覚してきたけれど、私は悪意や敵意に疎い。
だからこそ感情を爆発させた人は格別に怖ろしく感じてしまう。
だけど……だからといって他人からの痛みと無縁ではいられない。
一生を自分の部屋で過ごすのでもない限り、どうにかする術を身につけないといけない――ここ最近の私はそういうふうに考えるようになった。
(そう、心一郞君みたいに――)
この状況でも、思い浮かぶのは最も親しい男の子の顔だった。
いつも見てきた、彼の尊敬すべき心の強さ。
辛い状況を上手く乗り越えるために、時には立ち向かったりする事も重要だと教えてくれた男の子を。
(思い出すんです私! こういう時に心一郞君はどうしてました!? クレーム対応の事もこの間色々と教えてもらったはずです!)
そう、あれは確か――
「ちょっとあなた! 聞いてるの!?」
「は、はい、ご意見は全て聞いております! いくつもご気分を害される事があったようで、大変申し訳ありませんでした!」
私は見かけの上だけでも困り果てた顔をやめて、お客さんの真正面から深々と頭を下げた。
オドオドした声ではなく、言葉に力を込めて決然と告げる。
そうすると、女性は少しだけ虚を突かれた様子になって文句の奔流は一時的に止まってくれた。
(まず重要なのが、お客さんの感情を可能な限り宥める事……そしてクレームを言う人が何を求めているかを見極める事……だったはずです)
心一郞君は何故かこの手の話に関しては恐ろしく経験豊富であり、定期的に来る困ったお客にもスマートに対応していた。
そして、それを見ていた学生アルバイト達から乞われて、クレーマーへの対処法をたびたび語っていた。
『殆どの場合、クレームがあっても普通に対応すればほぼ収まるんだよ。それでも騒ぎ続ける人は、こう言っちゃ悪いが心に何かしらのスキマがある人なんだ。なんで、俺はそのスキマにはどういう対応が正しいのかを考えるようにしたんだ』
『例えば、クレーマーが『俺を馬鹿にしやがってえええええ!』って感じのコンプレックスが爆発しているタイプだと、店長なんかの責任のある立場の人が出て行って謝罪する事でやっと自尊心が満たされて大人しくなる』
その他にも、『明らかにこっちに過失があって上司の許可ありって条件付だけど、商品チケットとかお詫びの品を渡すのもシンプルに効く。最も受け入れやすい詫びだからな』とか『一番多いタイプの日々のストレスを発散したい系は、一通り好きに叫び尽くさせてスッキリしたタイミングだと話を終わらせやすいぞ』とか、心一郞君は遠い目で様々なケースを皆へ教えていた。
そして、この人の場合は――
(この人は……一週間の内半分くらいこのお店に来てる常連さんですね。よく小説を読んでいますから本が好きなのは間違いないですけど、こんなに強いクレームを入れてきたのは初めてのはずです)
少なくとも普段からイライラしていたという印象はなく、寡黙に本を読んでいる姿が印象深い。
むしろ、長い時間をお店で過ごすその姿は――
「そ、その……お客様! ご希望の新刊が用意できておらず申し訳ありません! 私達もすぐに入荷したいのですが、まだ次の入荷がいつになるのか確かな事が申し上げられないんです……!」
「だからそれはそっちの怠慢でしょ! 本屋のくせに本がないとかどういうことよ!?」
「は、はい、申し訳ありません! あの前巻のドミトリー対抗戦の後にハリィ達がどうなったのかはとっても気になりますよね……! 重ねてお詫びします……!」
私が深々と頭を下げてそう告げると、高齢女性はピクリとした反応を見せた。
「……あなた、あのシリーズ読んでるの?」
「は、はい、映画から入ったんですけど、原作の本も読んでみると面白くて……」
私は高校二年生になった辺りからライトノベルを読む機会が増えたけれど、元々中学生の頃から小説は広いジャンルで読んでいた。
そして、この誰もが知る大人気小説も新刊を買ったその日の内に読んでしまう程に愛好しており、続きがあるのに読めないという悔しさはよくわかる。
「映画のあの本当にあるかもしれないって思わせる魔法の世界の町並みがとっても凄くて……観た後ですぐに本屋で最近巻まで買って一気に読んじゃったんです!
最高でした!」
(あ……)
本好きな面を抑えきれず、つい熱を入れて語ってしまった事に気付いて私は一筋に冷や汗を流した。
クレームを入れてきたお客様に対してちょっと気安すぎたかも――
「…………ええ、第一作の映画ね。確かにあれは凄かったわ」
私の態度に怒り出すかと思われたお婆さんは、むしろ勢いを削がれた様子で静かにそう口にした。
怒りや不満の熱は、明らかに弱まっていた。
「あ、お客様も観られたんですね! 映画館でですか?」
「ええ……孫にせがまれて一緒にね。……最初は子ども向けだろうと馬鹿にしていたけど、とてもよかったわ」
「という事は……私と同じパターンで原作も読まれたんですか?」
「そうね……そうだったわ」
さっきまで声を荒らげていた人と同一人物と思えない程に、お婆さんは嚙み締めるようにしみじみとそう語る。
昔を思い出して、懐かしむように。
そんなお婆さんの姿を見て――
私は無意識的に口を開いていた。
「そうなんですね! じゃあ、お客様は作中で出てくるキャラで一番好きなのは誰でしょうか!」
「え……?」
私は今自分がバイト中である事を半分だけ忘れて、ただの本好きとして語りかける。そんな私に、お婆さんは虚を突かれたような様子を見せた。
「あ、ちなみに私はですね! やっぱり何と言ってもリーマン先生ですね! とても理知的で、ハリィと同じ目線で話してくれるのがとってもいいです! 初登場の時のちょっと小綺麗じゃない格好からのギャップが凄くて――」
呆気にとられるお婆さんに対し、私は熱を込めて言葉を紡いだ。
恐怖に囚われる事なく、ただそうすべきだと感じた心のままに。
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