第97話 宴もたけなわですが地獄です


(いくらなんでもタガが外れすぎだろこいつら……)


 銀次はさっきから涙ぐんでばかりだし、風見原はニヤニヤと表情が緩みっぱなしとかなりハイになっている。


 まったく、これじゃまるで前世で飽きるほど見た――


「新浜くぅん……ふへへへへ……」


「え……筆橋……?」


 ジュース缶を片手にフラリと近づいてきたショートカット少女を見て、俺は思わず困惑の声を上げてしまった。

 

 筆橋舞という少女はやや脳筋だったりと残念な面はありつつも、その性根はごく真面目で常識的であり、この面子の中では最も『普通の女の子』と言えるだろう。


 だが、夕日の眩さに浮かれたようににへーっとした顔で近づいてくるその様は、どうにもおかしかった。


 なんかこう……浮かれているような、理性がちょっとおろそかになっているような……。


「今だから言うけどさぁ……本当の事を言えば、私の中で新浜君って印象がすっごく薄かったんだよね……」


「は……? 何の話だ?」


「でもさぁ、どういう事なのか知らないけど、文化祭あたりから何か覚醒したみたいだったよねぇ……。なんかこう、ぐわーっとやったりどばーっとしたり、何で今まで自分を隠していたんだろうってくらいに凄くて……急にカッコ良くなるんだもんなぁもぉー……」


 修飾語の語彙がとても乏しい辺りが実に筆橋だったが、その言葉にはいつもの竹を割ったような快活さの代わりに、しっとりとした甘さがあった。


 にへらー、とだらしのない笑顔を浮かべる様は距離感を勘違いさせるパワーがあり、クラスの男子に見せたらさらに人気が出る事だろう。 


「うふふふ……これ以上はもう言わないけどねー……。やりすぎると目のハイライトが消えた春華に包丁でぶしゃーってされて砂浜の赤いシミになっちゃうしぃ……」


「なんて??」


 紫条院さんが包丁でぶしゃー……?


「まーつまり何がいいたいかと言うとぉ! せっかくの海なんだし自信を持って春華にバーっとやってダーっとしろって事! なんならもうギュッとしてガバッてして……うえへっへっへ……」


 よくわからない事をのたまったかと思うと、筆橋は一人で勝手に盛り上がって下世話全開のニヤけ顔になっていた。

 お前……そんなエロ親父みたいなキャラだったっけ?


(と言うか……何だかみんなおかしくないか……?)


 海で友達とバーベキューパーティーというシチュエーションにテンションが上がるのは自然の事だが、いくらなんでもノリが突き抜けすぎている。


 銀次は未だに泣きっぱなしだし、風見原はいつもの冷静なマイペースさが薄れてクダを撒くオヤジみたいなってるし、明るく真面目なはずの筆橋はさっきから下世話なニヤけ顔になったままだ。


 これじゃ、まるで本当に――


「あ……あああああああああああああああああああっ!?」


 そこで俺は気付く。


 さっきから銀次たちがチビチビと飲んでいる缶ジュース。

 そこにごく小さくプリントされている文字――


 すなわち、『これはお酒です』という表記を。


「お、お前ら! ちょっとそれ寄越せ!」


 俺は焦りでいっぱいになりながら、三人から缶ジュースをひったくる。

 俺の突然の強奪は普通だったら抗議モノの行動だったが、眠そうな目になっている三人は「おー……?」「んー……? 新浜君も飲みたいんですかぁ……?」程度の反応しかしなかった。


(うわああああああ……! ま、マジで酒だこれぇ!? ど、ど、どうしてこんなものが紛れて……!?)


 この場に集まった面子に、隠れて酒を持ち込むような奴はいないと断言できる。

 にも関わらずクーラーボックスに酒が紛れていたのはどういう訳だ?


(そ、そうか……! 行きの途中のスーパーで飲み物やらオヤツやらを買った時に……!)


 あの時、俺は別の買い物があり、銀次、風見原、筆橋に色んな種類のドリンクを買うようにお願いした。


 おそらく……その時に銀次たちはフルーツジュースだと思い込んで、このリキュールを何個も買い物カゴに入れてしまったのだろう。


 実際、問題のリキュールはフルーツのポップな絵が全面に押し出されたラベルデザインになっており、こうしてじっくり見ないと酒類であるという表示には気付けない。 


(カゴの中で大量のジュースと紛れて、未成年なのにレジも問題なく通っちゃったってことかよ!? もうちょっと目を光らせろやレジ打ち係ぃぃぃぃぃ!)


 胸中で叫び、俺は頭を抱えた。


 幸い、皆が飲んでしまった量はさほどでもないようなのでいきなり体調が悪くなったりはしないだろうが、一日中遊び回って疲労しているせいかどいつもこいつも酔いはそれなりに回っている。


(な、なんつう失態だ……! 大人をやってた俺がいながら未成年の飲酒を許してしまうなんて……!)


 買ったジュースをクーラーボックスで氷漬けにする作業をやってくれたのも銀次たちだったので、俺が紛れた酒の存在に気付くのは困難だったとは思う。

 だがそれでも、大人の経験がある俺が見落としてしまったのは落ち度としか言いようがない。


「うおおおおおおお新浜ああああああ! 俺を連れてきてくれてありがとおなあああああああ!」


「おわあ!? ちょ、おい離れろ銀次! 泣き上戸なのはこの頃からかよぉ!?」


 思い起こせば、前世で一緒に酒を飲んだ時もこいつはこんな感じだった。

 もっとも、前世で流していたのはままならない人生への悲哀の涙であり、今流しているのは紛れもない歓喜の涙だろうが。


「いっじょうお思い出にずる……! 俺のじんぜいのざいこうの日だぁ! おおおおおおおおおお……! いぎででよがったあああああああ!」


「いいから離れろ! 泣いてる男に縋り付かれて喜ぶ趣味はねーっての!」


 ワンワンと号泣する銀次を、俺はなんとか引き剥がす。

 くそ、さっさと水を飲ませないと――


「ふへへへ……ところでさぁ、午後に春華と二人っきりでどーだったのぉ? 人目がない事を良いことにぃ、あのたゆんたゆんに実ったマスクメロンとか丸々としたピーチとか堪能しちゃったぁ……?」


「んな訳あるかぁ! 猥談で盛り上がるオッサンかお前は!?」


「えぇーもったいなーい! 更衣室で見たけどさぁ、あのダイナマイトなボディも勿論だけどさぁ、鎖骨の下にあるホクロがもうとってもエッチでねぇ……ぐえっへっへっへ……」


 普段の健康的な陸上美少女の雰囲気とは真逆に、筆橋の酔い方はセクハラ親父すぎた。この後こいつの記憶が残っていたら、さぞ自分の言動に悶絶するする事だろう。


 と、そんなムッツリなクラスメイトのニヤけ顔を痛ましく眺めていると、今度は一番酔っ払っている様子の風見原がずいっと俺へ接近してきた。


「聞いてまずがあ新浜ぐん! 私ぃ、無愛想だから文化祭の時にあんな無表情ヒロインみたいな顔してまじだげどぉ! 新浜君が何もがもずぐってくれてぇ、死ぬほど感謝してたんでずよおおお!」


 風見原が俺に頭突きするかのような距離に接近し、居酒屋を三軒ハシゴしたみたいな状態で叫ぶ。視界いっぱいにメガネ少女の(口を開かなければ)見目麗しい顔が広がるが、これでは色気もへったくれもない。


「でもそれはそれとしてぇ! リア充全開で文化祭デートしてたのは羨ましずぎで爆発じろって思ってましたああああああ!」


「仕組んだ張本人のお前が言うなよ!?」


 ああもう、収拾がつかん……!


 銀次は号泣しているし、筆橋はエロい事ばっか言ってニヤけまくっており、風見原はくだ撒きマシーンと化している。


 酒は取り上げたというのに酔いは回りっぱなしであり、どいつもこいつもまともな会話は不可能である。


(地獄かよ……)


 一人だけ素面な俺が、酔っ払いどもの世話をさせられる――前世でさんざん味わったこの最悪な貧乏くじ役が降りかかってきた事を認識し、俺は暗澹たる気分になる。


「――新浜君」


「あ、紫条院さんっ! 実はちょっと大変な状況に……!」


 ふと背後から聞こえた天使の声に、俺は喜色を露わにして振り返った。

 三人のカオスっぷりに一人だけ正気の世界に取り残されたような絶望感があったが、この場にはまだ最後の希望が残っていた……!


 ――と、そう思っていたのだが。


「へ?」


 胸板に感じたのは、ふにょんとした信じれないほど柔らかい感触だった。

 同時に首にすべすべしたものが触れて、人肌の温かさが俺を包んだ。


 これまで何度か嗅いだ事のある甘い匂いがふわっと周囲に満たされて、突然の事に俺の思考が真っ白になる。


 俺の首に腕を回す形で、紫条院さんに正面から抱き締められている――

 そう理解するのにたっぷりと五秒ほどかかった。


「な、ななななな!? し、紫条院さん、何を……!?」


「ふふ、ふふふー……」 


 耳元で聞こえたのは、フワフワした紫条院さんの声だった。

 まるでお風呂で鼻歌を歌うかのように、声音が実に軽い。


「うふふー……捕まえましたよぉ新浜くん……」


(こ、これは……!)


 呟く紫条院さんの瞳はとろんとしており、とても艶やかに微笑んでいる。

 火照ったその顔を見るに、理性が本日休業の看板を出しているのは明らかであり、もはや夢の中にたゆたっているかのような有様である。

 

(し、しっかり酔っ払っていらっしゃるうううううう!?)


 カオスにカオスが重なるこの状況に、俺は胸中で悲鳴を上げた。



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