第66話 春華と香奈子


 紫条院春華です。


 今私は街中の公園のベンチに座って、とても悩ましい問題に向き合っていた。


(……未だに新浜君に連絡できていません……)


 美月さんと舞さんのおかげで昨日のお茶会の間はとても心が軽かったけど、新浜君と見知らぬ女の子が一緒に歩いていた件はまだ私の胸に重くのしかかっている。


(お二人には『一番の友達である新浜君をとられることを怖がっている』と言われましたけど……本当にそうですね)


 それにしてもこんなにも心が震えるものだろうか?

 怖くて怖くて……心の奥の柔らかい部分が千切れるような感覚すらある。 


 私はさっきからじっと右手の携帯電話を見つめている。

 文明の利器はすごいもので、これをワンプッシュするだけで新浜君に繋がる。

 

 そしてそれから『昨日一緒に歩いていた女の子は誰ですか?』と聞いてみるしかこの悩みは進展しない。それはわかっているのだけど――


(……冷静に考えてみれば意味不明な質問のような……。新浜君が誰と一緒にいようと自由なはずで私は関係ないです。どうして私がそれを知りたいのかと言われれば……)


「……独占欲……?」


 自分の気持ちを身も蓋もなく表せばその一言に尽きた。

 そう悟ると急に恥ずかしくなる。

 私ったらなんて子どもじみた感情を……。


 昨日から今に至るまで、ずっとこんな調子で新浜君のことばかり考えている。


 それはきっと夏休みで新浜君本人に会えていないことも影響しているのかもしれない。いつの間にか、学校で毎日彼と話すのが当たり前になっていたから――


「会いたい……ですね」


 気付けば、私は無意識に呟いていた。

 新浜君の顔を見たいという欲求を、私は初めて認識できた。


 と、その時――

 頬を冷たい水滴が濡らした。


「え……わぁ!?」


 さっきまで天気が良かったのに、突然すぎる雨が降り注いだ。

 それもどんどん強くなっていく。


(ゆ、油断しました! 朝から晴れていたので、天気予報を全然見ていませんでした……!)


 雨の勢いはどんどん増していき、不意打ちを受けた街行く人々は慌てて雨宿り先を求めて走り出す。


 これは……どうしましょう?


 今日はちょっとした散歩のつもりだったので送迎の車はない。

 コンビニでビニール傘でも買ったほうが――


「うわ、何これ!? 全然天気予報見てなかったー!」


 ふと声がした方を見ると、ストレートヘアーの中学生くらいの女の子が突然に雨に悲鳴を上げていた。私と同じく傘を持ってきていないらしい。


(……あれ? あの子どこかで……?)


「あーもー! 雨ダッシュとか最悪ー!」


 妙に見覚えがあるその子はバッグを頭上に掲げて、それを雨よけにして走り出す。 けどその時――


「あ……っ!」


 女の子が頭の上に持ち上げたバッグのファスナーがちょっと開いていたらしく、そこから財布が落ちて水で濡れたアスファルトに転がる。


 けどその女の子はそれに気付かずに一目散に走り去ってしまい、どんどんその後ろ姿が小さくなっていく。


「…………っ!」


 行動に迷いはない。街角が雨音で満たされていく中で、私はすぐ財布を拾ってその女の子の後を追いかけた。

 



「ああもう、ビッショビショ……いきなり降りすぎだってもう……!」


 私こと新浜香奈子は雨に降られながら住宅街をダッシュしていた。


 昨日はパフェを食べ過ぎてかなりカロリーが増えちゃったので(おかげで夕飯が入らず兄貴ともどもママに怒られた)今日はウインドウショッピングしながらちょっと歩くかなーと思ったのにこれだ。


 ウチの家が市街地に近いめっちゃ便利なところにあって助かった。

 そうじゃなければコンビニで傘を買うという無駄の出費が必須だっただろうし。


「……って! ……さいっ!」


「ん……? えっ!?」


 雨音に紛れて何か聞こえたような気がして振り返ると、女子高生くらいの女の人が傘もささずに私の背後を走ってきていた。


 何事かを私に向かって叫んでおり、明らかに私を追っかけてきている。


「待って! 待ってくださーい!」


(え、え、何!? 何ごとなの!?)


 事態が把握できずに硬直していると、その人は荒い息を吐いて私の目の前までやってきた。どうやらずっと全力で走ってきたらしい


「ハァ……ハァ……や、やっと追いつきました……。その、落とし物です……!」


「え……あ!? わ、私のお財布!? どうしてバッグから……ってちょっと開いてたー!?」


 そこで私はようやく状況を理解した。

 私はうっかりバッグから財布を落として、この人は落とし主の私を追ってこの雨の中を追っかけてきてくれたんだ……!


「あ、ありがとうお姉さん……! ってめっちゃビショビショじゃん! 傘持ってなかったの!?」


「は、はい……うっかり天気予報を見てなくて……ああ、でも追いつけて良かったです……」


 心からほっとした表情を見せるそのお姉さんは、よく見たらとんでもない美人さんだった。ロングの髪は艶やかで目鼻立ちはとても綺麗、おまけにほっそりしているのに胸もお尻もとっても豊かというインチキぶりだ。


(え、なに? 美人な上に見ず知らずの私に財布を届けるために雨の中を全力疾走するほど心が綺麗なの……? なにこの人、女神かなんか?)


 んん……? というかこのお姉さんの顔ってどこかで見たような……?

 こんな美人と会ったら普通は忘れないと思うんだけど……。

  

「それじゃ私はこれで……風邪をひかないようにしてくださ……きゃあ!?」


 さらに雨の勢いが強くなって、お姉さんが悲鳴を上げる。

 というか遠くで雷もドッカンドッカン落ちてるし、本当に酷い雨だ。


「え、ちょ、ちょっと待ってよ! お姉さんはまた傘もささずに街中まで走るつもり!?」 


「は、はい……この辺は住宅街なので雨宿りもちょっと無理みたいですし、傘を買おうにも、もうちょっと戻らないとコンビニもありませんから……」


「そんなことしてたらお姉さんの方こそ100%風邪ひくって! ウチはもうすぐそこだから寄っていって! タオルくらい貸せるから!」


「え、そんなご迷惑じゃ……」


「いーから! 財布を届けてくれた恩人が遠慮しないで! ほら行こう!」


 私のために雨の中を走ってくれた人が、私のせいで風邪をひいてしまったら心苦しいなんてもんじゃない。


 遠慮するお姉さんの手を強引に引いて、私は自分の家へと走り出した。

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