第65話 蛇足話:天使を反転させてはならない


 ともあれ、春華はかなり元気が戻ってきたようで一安心だった。

 どう考えても何事もないことで友達が悩んでいるのは心苦しいし。

 

(これがラブコメなら三角関係の幕開けなんだろうけど……新浜君はあのとおり愛の重たい人だしねー……)

 

 あの想いの深さだと、もし春華にフラれてしまったら抜け殻みたいになってしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。


「あ、ところで春華は新浜君とメールのやり取りをしているんですよね? どんなメッセージを送り合っているんです?」


 話が一段落ついたところで、美月が目を輝かせながら聞く。


 普段のクールっぽい印象とは裏腹に彼女は割と乙女であり、二人がどんなメールをしているかすっごく興味があるらしい。

 

 ……正直に言えば私もそれはちょっと聞きたい。


「え? いえ、普通の内容ですよ。今日読んだあのライトノベルが面白かったとか、これを食べて美味しかったとか」


「本当にそれだけですか? 例えば写真を送り合ったりしてません?」


(もー、野次馬しすぎだって美月)


(まあまあ、世間にはピュアな子にエッチな写真を撮って送るように指示する男もいるらしいので、念のためですよ)


 小声で囁く私に、美月は面白がっているのが丸わかりの顔で答える。

 まー、新浜君がそんなヤバいおじさんみたいなことをするわけないけど……。


「写真ですか? そういえば私の写真を結構送ってますね」


「「えっ!?」」


「冬泉さんというウチの家政婦さんに『せっかくですしお嬢様の日常を切り取って写真で送ったら喜ぶと思います』と言われたので……」


 え、ちょ、何を言ってるの家政婦さん!?

 そりゃ新浜君は喜ぶだろうけど!


「パジャマを着てベッドに寝転ぶ写真とか、お風呂上がりにTシャツ姿でアイスを食べているところとかを送りましたね。ちょっと恥ずかしかったんですけど、お母様が『いいわ! この写真とかいい具合よ!』とか言って送る写真を選んでしまって……」


 本当にほんのりエロい写真を送ってたああああああ!?

 というか紫条院家の人たちノリノリすぎない!?


「そ、それで新浜君は何て返信してきたんですか……?」


「それが……そういう写真を送ると決まって返信がすごく遅くなって『これを俺が直視していいのかわからない……つらい』とか『これ絶対秋子さんが絡んでるだろ!?』とかみたいな感じで困ってる様子だったのでそれ以降はやめましたけど……」


 清楚な春華から突然爆弾のような写真が送られてきた時の新浜君の衝撃と混乱が目に浮かぶ。

 そりゃ健全な男子に春華のプライベートショットとか目に毒だって……。

 

「驚きました……冗談だったのにまさか本当にエロいことをしていたとは」


「な、何を言っているんですか!? 私はエッチなことなんてしてません!」


「そのどこもかしこも柔らかそうな身体にダブルメロンを実らせて何を言っているんですか。見れば見るほど羨ましいのであとでちょっと揉みますね」


「ええ!? も、もう! さらりと変な予約を入れないでください!」


 わきわきとエア揉みする美月に、春華が顔を真っ赤にする。

 楽しんでるなあ美月……。


「でも春華って新浜君以外の男子とはほとんど接点ないよねー。誰か声をかけてきたりしないの?」


 春華を狙っている男子は大勢いるけど、そのせいでギスギスの牽制状態が発生して抜け駆けしがたい雰囲気ができているのは知ってる。


(その中で新浜君は春華に超急速接近したんだから、本来ならクラスの男子に妬まれそうなものだけど……そうはならなかったんだよね)


 その要因は新浜君がクラスで一目置かれる人になったからだ。


 勉強がすごくできるようになったり、携帯関係の相談を受けたりしてクラスでの存在感を増していき、あの文化祭でオーバーワークな活躍をした後はもう春華の近くにいることに誰も文句を言わなくなっていた。


 けどそれはあくまでウチのクラスの話で、他のクラスの男子が『あの新浜って奴だって紫条院さんに近づいてるし、俺ももう我慢する必要ないよな!』と春華にコナをかけてきてもおかしくはない。

 私はその点でトラブルになったりしていないかちょっと心配しているのだ。


「え、他の男子ですか……? そういえば一学期中に何人かから話しかけられましたけど……おおむね『一緒にどこか遊びに行こう』という内容でしたね」


「え……!? そ、それでどう答えたの!?」


「それが……その、言い方は悪いですけど、全員が初対面なのに怖いほどに馴れ馴れしくて……丁重にお断りして立ち去りました。どういうつもりだったのか未だにちょっとわかりません」


 ええ……? 何なのその人たち……?


(あー……なるほど。あのことですか)


(え、なに、どういうこと美月?)


 ぼそりと呟いた美月に私は小声で尋ねる。


(私も噂でそういう動きがあったらしいと聞いただけですけど……つまり新浜君と春華が舐められたんですよ。『新浜とかいう平凡な奴が仲良くなれているのなら俺が行けばイチコロだろ!』という考えで、少しモテたことがあるちょいイケメンや運動部のレギュラーなんかの“小さな自信家”が動いたんです)


(ええー……それって何かすごくダサいよ……。好きになったからじゃなくて狙いやすいと見たから動き出すなんて……)

 

(ええ、カッコ悪いです。本当に好きならハードルの高さに関わらずにさっさと突撃しているはずですからね。しかも私たちの友達である二人を両方馬鹿にしているあたりマジムカつきます)


 美月の怒りが滲んだ言葉に私は完全に同意する。


 よく知りもしない新浜君を自分たちより下に見て、その新浜君と一緒にいる春華をチョロいと思ったのならダサいだけじゃなくて本当に失礼だ。


「まあ、ともかくナイスな対応ですよ春華。いきなり馴れ馴れしくしてくる奴なんか相手にする必要はありません」


「ええ、正直怖かったのでそう言って貰えると助かります……あんまり我が強い人はちょっと苦手なので……」


 なんとなくわかっていたけど、やっぱり春華はオラオラした人は好みじゃないらしい。ま、新浜君も行動力とは裏腹に居丈高なタイプじゃないしね。


「あ……我が強いと言えばあの御剣って人はどうしたの? 期末テストで新浜君と一悶着があったらしいけど」


 ふと思い出して私は何気なくその名前を口にした。

 本当に会話の流れでポロっとそう言っただけで、まったくそれ以上の意味なんてなかったんだけど――


「ミツルギ……?」


「へ……?」


 春華の様子が一変した。

 何故か声のトーンがとても低く酷薄になり、目が据わっていく。


 いつものお日様が輝いているお花畑みたいな雰囲気が、北極の永久凍土みたいに凍てついて冷たくなる。


「ああ……あのとても失礼な人のことですか……」

 

「は、春華……?」


 ど、どうしちゃったの!?

 なんか目のハイライトが消えてるんだけど!?


「確かにあのおかしな人に話しかけられたこともあったかも知れませんが……もう忘れました。もう二度と話す気はありませんし、できれば完全に記憶から消したいです。……姿を見るだけでとても不快ですから」


 ふ、普段の春華なら絶対に言わないようなことばっかり……!

 なにこれ!? 天真爛漫さが裏返ってる!?


(ちょ、どうなってるの美月!? 天使な春華が能面みたいな無表情でキレてるんだけどぉ!)


(すいません……言っておくべきでした。どうやらあの期末テストの時に御剣が『新浜はクズでゴミ! 俺は最高クラスの男!』みたいなことを散々言って春華がブチキレたらしく……それ以来あの男の名前を聞くとこうなってしまうようで……)


(何やってんのあの王子気取りの人ぉぉ!? 温厚な春華をここまで怒らせるなんてよっぽどだよ!)


「本当に下品で、自意識過剰で、傲慢で……人にこんなに嫌悪感を抱くなんて思いもしませんでした。思い出しただけで胸の中が真っ黒になります……」


 ひ、ひいいい!

 忌々しそうにブツブツと呟く春華がメチャクチャ怖い……!


(……気を付けてくださいね。春華がこうなったのは明らかに新浜君をけなされた怒りのせいですけど、嫉妬でも同じことが起こらないとは限りません)


(え……どういうこと?)


(絶対ないとは思いますけど、もし春華がラブ的な嫉妬MAXになったらこの普段の天使さが反転した暗黒面が爆発するかもということです。我々はすでにジェラシー対象に入っているんですから、新浜君との仲を誤解されるような真似をして春華の闇ゲージを進めないように注意すべきです)


(え、その……実は私、球技大会の時に新浜君の特訓に付き合って一日中一緒にいたことがあるんだけど……これもしかしてアウト……?)


(絶対に言わないほうがいいですね。それを発端に嫉妬をこじらせて火曜サスペンスの『この泥棒猫……!』みたいな回が始まるかもしれませんし)


(ひぃぃ!? も、もしそうなったら……)


 そう言われると、ついほわんほわんと妄想が広がってしまう。


 ――誰もいない校舎の屋上。


 世界が夕暮れのオレンジ色に染まる中、私と春華が向かい合っている。


『新浜君と一緒に休日の公園でソフトボールの練習をした……? うふふ、そうやって運動が苦手な新浜君に擦り寄ったわけですねこの泥棒猫』


『そそそ、そんなつもりじゃなかったんだって! トラストミー!』


『泥棒猫はみんなそう言うんです。ああ、悲しいです舞さん。お友達だと思っていたのに、あなたを美月さんと同じところに送ってあげないといけないなんて』


 正気度ゼロな目をした春華が血まみれの包丁を手にして微笑む。

 あ、もう完全に対話が無理なやつだこれ。


『そ、その包丁にべったりついた血は……! うわああ! 美月ぃぃぃぃぃ!』


 うっかり現実でも声に出してしまい、外から「え、私が先に惨殺されたんですかっ!?」という声が聞こえるけど、なおも妄想は続く。


『ふふ、やっぱり新浜君に近づく女子は一掃すべきですね。というわけでさようなら舞さん。でも貴女が悪いんですよ?』


『ギャー! これがヤンデレってやつー!?』 


 そして、春華は光のない病んだ瞳でゆっくりと近づき――


「あわわわわわ……! 滅多刺し……!」 


 妄想から帰ってきた私はガタガタと身を震わせる。

 あの春華のピュアさが裏返ると……とってもマズい!


 そして、そうこうしている間に春華は落ち着きを取り戻したようだった。

 

「ふう……すいません。ちょっとあの変な人の名前を聞くと頭が冷静じゃなくなってしまって……舞さん? どうしたんですか?」


「は、春華!」


「え……?」


 私はテーブルに身を乗り出して春華の手を握った。

 いきなりの行動に春華は目を白黒させている。


「私はずっと友達で春華の味方だから! 信じてね!」


「は、はい……! そんなことを友達に言って貰えるなんてとっても嬉しいです! 私こそずっと舞さんの味方ですから!」


 驚きつつも、ぱあぁぁとピュアな笑顔を浮かべる春華の眩しさを、私はさっきまでとんでもない妄想を広げていた後ろめたさ全開で受け止めた。


 ……変なこと考えてごめんなさい……。

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