第61話 今度こそ妹の笑顔を裏切らない③


「あーおかしかった……もう本当に兄貴ってネタに事欠かないなあ……」


 涙目になるほど爆笑していた香奈子がヒーヒーと息を整える。 

 毎回のことだが、この妹ときたら兄貴をネタに笑いすぎだ。


(ま、それが俺にとって幸せだなんて言ってやらないけどな……)


 実を言えば……今世でやり直しを初めてから、前世で交流がほとんどなかった香奈子とどう付き合うかは少し悩んだ。


 そして結局、前世とは違う関係になれることを願って、とにかく兄としてナチュラルに声をかけることから始めようと決めたのだ。


 その結果、前世では同じ家に住んでいるだけの同居人に等しかった香奈子は、俺の前で笑顔を見せてくれるようになった。それは俺が今世で勝ち取った、宝石のように価値のある成果の一つだ。


「ふぅ……ねえ、兄貴」


「ん? どうした?」


 ひとしきり笑った香奈子は一息吐き、何故か声のトーンを下げた。


 そして、俺は微かに息を飲んだ。


 妹の顔にはいつものような明るい無邪気さがなく、何故かとても神妙な表情をしていたからだ。


「今さ……私凄く楽しいよ」


「な、なんだ急に?」


「兄貴が明るくなってからさ、家の中もすごく変わったよね。ママもいつだって嬉しそうで……私もすっごく気分がいいの」


「そりゃまあ……母さんにはいつも笑顔でいて欲しいからな」


 母さんに楽をさせ、幸せな人生を歩んでもらうこと――それは今世において俺の青春リベンジにも勝る最大目標だった。そのために俺は料理や洗濯などの家事を積極的に手伝い、成績も頑張って上昇させたのだ。


 そしてそんな俺に、ある日母さんはこう言った。


『家事を手伝ってくれたりすることも、テストで一番を取ったことももちろん嬉しいけど……母さんが一番嬉しいのは心一郎が自分に自信を持ってくれたことよ』


『大人になったら大変なことがいっぱいあって、母さんは心一郎がそういうことに潰されないかとても心配だったのだけど……これでこの子もちゃんと自分の人生を歩いていけるんだって思えることが、とても嬉しいの』


 今世において母さんと話すとたびたび泣いてしまう俺だったが、この時は母さんと再会した時以上に涙が溢れ出てしまった。


 こんなにも俺を愛してくれていた人に、どうして俺は前世で報いることができなかったのかと――涙は止まることを知らなかった。


「そ、それでさ兄貴。一回しか話さないからよく聞いてね?」


 香奈子が恥ずかしそうに目を泳がせながら言う。

 な、なんだ? 本当にどうしたんだこいつ?


「私さ、嬉しいよ。こうやって兄貴と子どものころみたいに言いたいことを言い合って、楽しくやれてることが」


「え……?」


「兄貴はさ、いつの間にか私との間に壁を作っちゃってたじゃん。自分は暗い世界の住人で私はキラキラした光の世界にいるとか思ってたでしょ?」


 それは、完全にそのとおりだった。


 前世までの俺は典型的な陰キャで……だから陽キャの香奈子からウザがられないように距離を取った。香奈子は俺みたいな日陰者とは違うんだから関わるべきじゃない――そう思ったからだ。


「いや……だって……お前は美人で明るくて学校でも人気者で……お前だって俺の事を根暗な奴だって思っていただろ?」


「確かに兄貴のことは根暗なオタクだと思ってたよ。でも――だからって別に嫌いじゃなかった。今の明るい兄貴じゃなくても、昔みたいにくだらない話をしたり部屋でゲームしようぜって言ってくれれば、私はいくらでも付き合ったのに」


 香奈子の言葉を俺は呆然と聞いた。


 今世における妹との良好な関係は、前世の陰キャを脱却して俺がハキハキと喋れるようになったからこそ勝ち得たものだと思っていた。


 けど実際は、俺が勝手に壁を作って妹は暗くて不出来な兄貴を敬遠していると決めつけていただけで、俺が陰キャのままだろうと一歩踏み出せばいつだって子どものころのように話せたんだと――そう言っているのだ。


「ま、私だって同じなんだけどね。私を避ける兄貴に踏み込んでいいのかわからなくて、ずっと足踏みしてた。たった一言、『恋バナでもしようぜ兄貴! それか一緒に遊びに行こう!』って私の方から言うことだって、絶対できたはずなのに」


「香奈子……」


 俺は、本当に何もわかっていなかったことを思い知った。


 キラキラした人生を歩む香奈子は、俺みたいな陰キャな兄を目障りに思っているだろうと……そんなふうに思い込んでいた。


 香奈子はむしろ昔みたいに普通に話せる関係に戻ることを望んでいたなんて、夢にも思っていなかったのだ。


「だ、だから何が言いたいかと言うと……! 兄貴が明るくなってこうやってガンガン話せるようになって、子どもの頃の私たちみたいなノリに戻してくれたことが、その……めっちゃ嬉しいし、感謝してるってこと! あーもうっ! こんな恥ずかしいこと二度と言わないから!」


 真っ赤になった顔を伏せて、香奈子はヤケクソ気味に叫ぶ。

  

「……お前まさか……荷物持ちっていうのは口実で、今日は俺にそれを言う踏ん切りをつけたくて……?」


「もおおおおおおお! 何でそういうところだけ勘を働かせるのっ!? 余計に恥ずかしいじゃん馬鹿兄貴!」


 普段の余裕をなくして怒る妹をとても愛らしく思うのと同時に、俺は前世における自分の罪がさらに深くなったことを悟った。


(今世の香奈子がこう思っていてくれたということは……前世の香奈子だって少なくとも中学生の時点までは同様だったってこと……だよな……)



 ――どうして……そんなにも馬鹿なの……!



 脳裏に木霊するのは、前世で妹と交わした最後の言葉だ。


 香奈子が陰キャの俺を昔から嫌っていたのなら、あの時の呪うような言葉はただ俺の心を抉るだけで済んだだろう。


 だが、決して俺のことを嫌っていたわけじゃなかったとしたら。

 いつか子どもの時のように笑い合える日が来ることを夢想してくれていたのだとしたら――あの時の大人の香奈子はどんな気持ちであれを口にしていたのか……。


(ごめん……ごめんな香奈子……)


 もう二度と会えない前世の妹に、俺は心から詫びた。


 あの未来はなかったことになったのか、それともパラレルワールドとして俺が死んだ後も続いていったのか……それはわからない。


 だが、どうあれ前世で犯した俺の罪は消えない。

 あれは俺が今世を全うする最後まで忘れちゃならないものだ。


「……ありがとうな、香奈子」


 未だに頬を朱に染めたままの妹の頭を撫でる。

 香奈子は「ちょ、え、何!?」と狼狽するが、俺の手を押しのけたりはしない。

 

「以前の陰気だった俺を、お前は嫌っていると思い込んでいたから……そんな気持ちを聞けてすごく嬉しい……。俺も母さんやお前と笑える今の全部が嬉しくて……まるで夢みたいに思ってる」


「ゆ、夢? もう、いくらなんでも大げさだよ兄貴」


 頭を撫でていた手を離すと、妹は照れが残った表情で呟く。


 いいや、夢なんだよ香奈子。

 今の新浜家は、俺の後悔が全て晴れた理想そのものなんだ。


 だからこそ――俺は今度こそ家族の繋がりを守る。

 前世のような、お前に兄を呪わせるような末路は絶対に辿らない。


「よし! おい香奈子! パフェが食いたいのなら奢ってやるぞ! 兄ちゃんに任せておけ!」


「え、マジ!? じゃあジャイアントチョコサンデートロピカルデラックスパフェ食べる! なんか2000円くらいするらしいけど!」


「おおおい!? なんだそのメニュー!? というか俺だって金がないんだから手加減しろ!」


「えー、でもパフェ一個はパフェ一個じゃん! めっちゃデカいみたいだから兄貴も一緒に食べよって!」


 いつもの調子を取り戻した香奈子がイタズラっぽい笑みを浮かべる。


 ああ、そうだ。

 やっぱりお前には、そういう顔が似合っている。

 

「あーもう、わかった! じゃあそのジャイアント何たらパフェを食うぞ香奈子! なんかメニュー見たら量が多いので4名様以上推奨とか書いてあるけど、俺たち兄妹の力を見せてやろうぜ!」


「おっしゃー、そうこなくちゃ! あはははははは! 本当にノリ良くなったじゃん兄貴!」

 

 前世という過去は変えられなくても今世という未来はどうにでも変わる。

 あんな結末だった新浜家にも幸せな未来があったはずなんだと……必ず証明してみせる。


 この瞬間に香奈子が浮かべている子どものように楽しそうな笑顔を――今度こそ絶対に裏切らないと俺は心に誓った。




 なお――ジャイアント何たらパフェについて「高校生と中学生の食欲にかかれば余裕だろ!」「甘い物なら女の子の胃って無限だからね!」とイキリ倒していた俺たちだったが……。


 メガホンみたいなパフェグラスに入ったクリームの富士山が到着し、思わず二人とも真顔になってしまったことを反省と共に記憶に残しておく。

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