第45話 好きな子の部屋でティータイムを(前編)


 時宗さんとの面接とは別のベクトルで、俺は緊張しまくっていた。


 なにせ、俺が今いるのは他ならぬ紫条院さんの私室であり、その中央にあるテーブル前の椅子に腰掛けているのだ。


(紫条院の家に足を踏み入れる時も嘘みたいだと思ったけど……紫条院さんの部屋にいるなんてもはや夢みたいだ……)


 俺の部屋の4~5倍の広さの部屋はいずれの家具も高級品なのは見てとれるが、それ以上に何か特別なものがあるわけじゃない。

 けれど、どうしても想像してしまう。

 

 あの勉強机で紫条院さんが期末テストの勉強に頭を悩ませ、休日にはラフな格好でライトノベルを読み、朝はあのダブルサイズのベッドから身を起こして寝間着姿で目をこすり、クローゼットを空けて制服に着替える。


 そしてお風呂上がりなんかはこの部屋を一糸まとわぬ姿で――


(何を考えている俺えええええ!? 無邪気な気持ちで部屋に上げてくれた女の子に対して頭をピンク色にしてんじゃねえええええ!)


 いかん……紫条院さんが普段生活している空間にいるかと思うとつい思考がよこしまなものになっていく……。


「……? どうしたんですか新浜君? なんだかとても緊張しているような……」


 テーブルの向かい側に座っている紫条院さんが首を傾げる。

 俺の悶々とした気持ちをよそに、いつもどおり純真そのものだ。


「い、いや俺って女の子の部屋に入るなんて生まれて初めてだから……」


「そうなんですか? でもリビングと比べて特別なことはないですけど……」


 特別だよっっ!!

 超絶特別だよっっっ!!


(紫条院さんが子どもみたいに無邪気なのはいつものことだけど……この状況でそんなキョトンとした顔をされると、自分が女の子を騙して部屋に入り込んだ変態みたいに思えてくる……!)

 

「失礼しますお嬢様」


 と、そこで軽いノックが響き、若い女性の家政婦――確か冬泉さん――さんが配膳ワゴンとともに入室してくる。


 しかし今更だが、現代日本で『お嬢様』なんて呼ばれる少女が目の前にいるなんて、ファンタジー感がすごい。


「ありがとうございます冬泉さん! あ、お茶は私が注ぎますから!」


「かしこまりました。……こぼさないように注意してくださいね?」


「もう、大丈夫ですよ! お客様の前でそんなミスはしませんから!」


 まるでお姉さんのように心配する冬泉さんと、紫条院さんのやりとりが微笑ましい。ここに勤めている人達はきっとお給料も職場環境も最高だろうなあ。


「では失礼します。……あ、それと新浜様」


「は、はい!?」


 名前を呼ばれて驚く俺の耳元にそっと口を近づけ、冬泉さんはぼそりと呟く。 


(節度さえ守れば多少は攻めていいと思いますよ?)


「な……!? ちょ、ええ……!?」


「それではごゆっくり」


 狼狽する俺と対照的に、冬泉さんは一礼して粛々と退室していった。


 ええとこれは……家政婦の人たちも秋子さんと同じく俺が紫条院さんに近づくことを忌避していないってことか……?


「どうぞ新浜君! 私の好きなブレンドです!」


 俺があたふたしている内に、紫条院さんがすでにテーブルの上に茶会の準備を整えてくれていた。


 煌びやかなボーンチャイナのカップに注がれた紅茶からはとても蠱惑的な香りな湯気が立ち、そのお茶請けとなるお菓子も堂々たる存在感を放っていた。


「うわ、凄い……! 綺麗すぎて食べるのがもったいないな……!」


 紫条院さんのお手製であろうそのお菓子は、絢爛たるフルーツタルトだった。

 イチゴ、ブルーベリー、キウイ、メロン、ピーチなどが山盛りになっており、まるで輝きに溢れた宝石箱のようだった。


「人が喜ぶお菓子ってどんなものか悩みましたけど……一目見た時にぱぁっと気持ちが華やぐものがいいと思ってフルーツタルトにしました。男の子が好きなお菓子かわかりませんけど……」


「いや、最高だよ! 本当に綺麗だし!」


 昼の料理もそうだったけど、その豪華な見た目もさることながら、そうやって俺のためを思って悩んで作ってくれたという事実が何よりのご馳走だ。

 あまりにも嬉しくて、気を張っていないと涙ぐみそうになる。


(昼飯は食べ過ぎて苦しかったけど、時宗さんとの面接で時間が経ったしデザートくらい余裕だな。若い消化力って素晴らし――はっ!?)


「な、なあ紫条院さん……もしかしてデザートも複数用意していたり……?」


「いえ、私が他にも作ろうとしたらお母様や冬泉さんから『あの量の料理だけで絶対十分だから!』って止められたのでこれ一つなんですけど……や、やっぱり足りませんでしたか!?」


「いや十分! 全然足りるから! ちょうどこれでぴったりと思っていたんだ!」


 俺が必死にそう言うと、紫条院さんは「ふう、なら良かったです」と胸をなで下ろす。だがホッとしたのは俺もだ。デザートまでドカ盛りだと流石に今度こそギブアップだった。


「それじゃ頂きます――うお、めっちゃ美味い……!」


 紫条院さんが皿に取り分けてくれたタルトを口に運ぶと、いくつものフルーツの甘みと酸味がクリームと溶け合って掛け値無しに美味い。


「ふふっ、そうやって美味しそうに食べてくれると嬉しいです」


 タルトを頬張る俺を見て、紫条院さんが嬉しそうに言う。


(美味い……可愛い、嬉しい……なんだここ。俺を幸せにするものしかない……)


 素晴らしい香りのお茶に、俺の目の前で微笑むたおやかで美しい少女、そして彼女が作ってくれた甘いお菓子。桃源郷かここは?


「その……新浜君。さっきは父がすみませんでした。今日は勉強会のお礼として招待したのに失礼なことになってしまって……」


 ふと紫条院さんがフォークを置き、そう切り出した。

 その顔には申し訳なさが溢れており、俺がとても気分を害したと思っているようだった。 


「はは、まあ確かにいきなり時宗さんと話すことになったのは驚いたよ。でも……本当にいいお父さんだな」


「え……?」


「これは紫条院さんのお父さんだからそう言ってるんじゃなくて、本当にそう思うんだ。会社のことで忙しいはずなのに、すごく家族を大切にしてるし、単なる娘の友達である俺の言葉もちゃんと聞いてくれた」


 まあいきなり高校生を捕まえて本気の圧迫面接をかます大人げのなさは擁護できないが、少なくともあの人に対しては俺の中で敬意すら芽生え始めていた。


 好きな人を想いの力で勝ち取り、仕事をこなしつつ家族も大切にしている。

 俺の理想とする姿と言っていいかもしれない。


「だから気にしないでくれよ。そりゃ最初はちょっととっつきにくかったけど、少し話した後はわりと気さくに話せて楽しかったし」

 

 まあ、本当は『ちょっととっつきにくかった』などというレベルではなく、敵愾心バリバリで死ぬほど難物だったんだが……。


「そ、そうなんですか……。お父様と新浜君が仲良くなってくれたのなら、私は何だかとても嬉しいです」


「ちなみに、学校での紫条院さんのことを知りたがっていたよ」


「そうなんですか? なら今度話しておいていいですけど……なんだか最近のことだと新浜君と一緒にいる話ばっかりになりそうですね」


「いや、その、なるべく紫条院さん本人のことを中心にね?」

 

 紫条院さんの口から俺の名前が出るたびにキレ度が上がっていく時宗さんを想像して、俺は冷や汗を浮かべながらやんわりと言った。

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