第46話 好きな子の部屋でティータイムを(後編)


「……ん? あれって……」


 ふと気付く。

 部屋の一角にガラス戸付きの至極立派な本棚があるのだが、そこに収まっている本の背表紙はほぼ全て見覚えがある。


「え……本棚全部がラノベで埋まってる!? すごい数だな……!」


「あ……はい、そうなんです。ラノベに出会ってから本が増える一方で……」


 恥ずかしいところを見られたという様子で紫条院さんが言う。

 

「そう言えば月40冊読んでるとか言ってたっけ。でも明らかにそれ以上の数があるような……?」


「その……期末テストという難関も突破できたので、名作をたくさん買ってみたんです。『天空のベルが鳴る星で』とか『猫と胡椒』とか『プリズン・ジャケット』とか、他にもいっぱい……」


 どれも名作でなかなかボリュームがある作品ばかりだ。

 大人買いでシリーズを揃えられるのはいいなあ……。


 しかしどうでもいいが、あの蔵書の中で14年後も完結していないシリーズがいくつもあると教えてあげたら紫条院さんはどんな顔をするだろうか。


「それにしても……オススメを教えたのは俺だけどここまでハマるとは……」


「ああ……懐かしいですね。初めて新浜君と話をした時のこと」


 そう、たまたま図書室で見つけた『プレイヤーズ』を読んでドハマりし、他の名作も読んでみたくなった紫条院さんが、しょっちゅう図書室でラノベを読んでいた俺にオススメを聞いてきたのが始まりだった。


 俺にとっては14年前の……本当に遠い思い出だ。


 あの日は憧れの少女と言葉を交わせたことが本当に嬉しくて……その夜に布団の中で多幸感のままにジタバタしてしまったことまで覚えている


「あの時は、こんなにも新浜君にお世話になってしまうなんて思っていませんでした。おかげでこの一学期は嬉しいことばかりで……あの学校に行って良かったと改めて思いました」


「そう言えば……紫条院さんはどうしてうちみたいな普通の学校に来たんだ? なんとなく今まで聞けてなかったけど……」


「それは……私の希望なんです。私の親戚なんかは名門の女子校に通っている子も多いですけど、私はどうしても昔からそういうところが苦手なんです。自分の実家は何をしているとか、お金をどれくらい持っているかとか……そんな話題が好きな子が多くてどうにも話が合わなくて……」


 なるほど。あの馬鹿王子の御剣ほどじゃなくても、お金持ちの子女が集まる学校では少なからずそういうエリートさの比べ合いがあるのだろう。

 純粋で清い価値観を持つ紫条院さんには、とても合わない環境だ。


「けど普通の高校に入ったものの、浅い交友関係は作れても親友と呼べる人には出会えませんでした。どうしても溝というか……みんな私には一歩引いてしまうんです」


(それは……きっとほとんどの女子たちは意地悪しているわけじゃなくて、萎縮してしまっているんだろうな……)

 

 多くの男子にとって紫条院さんがとても声をかけることができない高嶺の花であるのと同様に、お金持ち、お嬢様、美貌、男子からの人気――そういった要素が女子にとってもお近づきを気後れさせてしまっているのだ。


「だから新浜君が私のために色々してくれることも、私に積極的に関わってきてくれたことも……すごく嬉しかったです」


「紫条院さん……」


 俺が紫条院さんとお近づきになろうと積極的になったのは、もちろん恋心からだ。

 けれどそれが結果的に紫条院さんの心にとってプラスになっていたのなら、こんなに嬉しいことはない。


「あ、でも最近は風見原さんや筆橋さんがとても良くしてくれています。これも新浜君が引き合わせてくれた縁ですね」


「いやいや、縁を繋いだのは俺じゃなくてタコ焼きだろ?」


「あはははははは! それもあります! あの大変だった時のことはタコ焼きを見るたびに一生思い出しますね!」


 俺の憧れの少女は屈託のない笑顔を浮かべる。

 その様はまるで大輪の花が咲き誇るようで、とびきりに美しい。


 ああ、本当にどうして彼女はこんなにも心が綺麗なんだろう。

 美しくて、優しく、温かい少女。本当に妖精か天使だと言われてもノータイムで信じられる。


「うおっと……」


 紫条院さんに見とれていたら、タルトのカスタードクリームを胸にポトリと落としてしまった。いかんいかん、ボーっとしすぎだ。


「あ、動かないでください。すぐに拭きますから」


「え……?」


 紫条院さんは席を立って部屋の隅に置いてあったウェットティッシュを数枚取り、すたすたと俺に近づく。


 そのあまりにも自然な動きに、俺はただ座って見ていることしかできない。


「じっとしててくださいね」


「ひゃ……!?」


 俺は思わず女子のような声を上げてしまった。

 何せ、紫条院さんは座る俺の前に屈んだかと思うと、そのまま手を伸ばして汚れがついたシャツを拭き始めたのだ。


(ち、近い……! 俺の胸のすぐ上に紫条院さんの顔がある……!)


 しかも、ウェットティッシュごしに紫条院さんの手の感触が伝わるばかりか、その豊満な胸が今にも俺の身体に触れてしまいそうだった。


 あまりにもあっさりと至近距離を占拠され、俺はただ赤面することしかできない。


「ふう、これでひとまずOKです! あとでクリーニングに出して――」


 そこで紫条院さんは顔を上げた。

 そして、20㎝程度しかないごく至近距離で俺たちは目を合わせる。

 

「あ……――」


 紫条院さんはようやくこの近さを理解したようで、顔を朱に染めていく。

 それが自分の行いにはしたなさを感じたためなのか、ただ異性に近づきすぎたことに気付いて動揺したのか、俺にはわからない。


 けれど、俺たちは間違いなくお互いを意識していた。

 気恥ずかしさでいっぱいの顔が二つ向かい合ったまま、何も言うことができず、押すも引くもできない。


(すごく……甘い匂いがする……)


 頭がぼんやりする。

 紫条院さんの顔が、ごく間近にある。

 彼女の息づかいや匂いをありありと感じられる。


 どこにいても彼女の匂いしかしないこの部屋で、俺の理性がアイスクリームのようにじんわりと溶けていく。


(今、俺が手を伸ばしたら……捕まえてしまえる……)


 彼女に触れたい。

 抱きしめて、好きだと言って彼女の全てを手に入れたい。

 そんな衝動が、俺の中でどんどん膨れ上がっていく。


 無意識が、俺の手を微かに持ち上げる。

 そしてそのままその手は衝動のままに――


 と、そこでふと気付く。


 部屋の入り口のドアのほんの僅かに空いた隙間。

 そこからこちらをじぃぃいぃぃと覗いている怨念の塊のような血走った瞳があることを。


「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」


「え? 新浜君どうし……きゃああ!?」


 振り返った紫条院さんも部屋のドアに突如発生したホラーに悲鳴を上げる。

 あ、あれってまさか……!


「貴様あぁぁぁぁぁ……! 早速分を超えた真似をしおってぇぇぇぇ!」


 ドアをギィィィィと開けて現れたのは、憤怒の化身となった時宗さんだった。

 青筋が浮きまくっており、その表情は『コロス』と言わんばかりである。

 

「心配になって覗いてみれば案の定だ……! 私の家で不埒な真似に及ぼうとは不届き千ば――んぐっ!?」


「ああもう、じっとしてなさーい! 娘の部屋に無許可で突撃なんて100%嫌われるって言ったでしょう!」


 キレる時宗さんの背後から現れた秋子さんが、さっきと同様に夫の顔面をガッチリと腕でホールドする。


「うむぅ……ぷはっ! は、離せ秋子! そもそも娘の部屋に男がいること自体許されないんだ! 父として黙っていられむぐぅっ!?」


「もー! 若い時は実家の私の部屋までよじ登ってきた人がどの口で言うの! 今すっごくいいところだったみたいなのに時宗さんのお邪魔虫!」


 名家のセレブ妻と敏腕社長は激しく言い合いながら、娘の部屋の前でどったんばったんとプロレスを繰り広げる。


 そして最終的に秋子さんの腕力が勝ったようで、時宗さんは妻に口を封じられたまま、猿ぐつわを噛まされたように激しく唸ることしかできなくなっていた。


 しかしその状態でも、娘の部屋に居座る俺に怒りの視線を向けているのがめっちゃ怖い。


「ふう、やっと大人しくなったわぁ」


「あの……お母様。どうして二人して私の部屋の前にいるんですか……?」


 流石の紫条院さんもジト目でプロレス夫婦に非難めいた視線を送る。

 普段から彼女の機微に触れてきた俺だからわかるが、この感じは……ちょっぴり怒っているな。


「あ、あはは……ごめんなさいね! ちょっとこの人を逃がしちゃって! さあさあ続きをやって! 私たちのことは一切気にしなくていいから!」


「できるわきゃないでしょうがあああああああ!?」


 期待に溢れるキラキラした母親の目と怨念に満ちた父親の瞳に晒されながら、俺はこの長い一日における最大級のツッコミを叫んだ。


 ああもう……この家の人達はみんな本当に変わってる……。





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これにて紫条院家編は完結です。

長かった……。

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