第43話 社長VS社畜、決着
私は紫条院時宗。
今私は、目の前にいる少年が改めて特異な存在だと思い知っていた。
彼に放った『君が紫条院家の娘を支えられるほどの男になれるのか』という問いは、何の実績もない高校生にとって本来明確な答えなどない。
だからこそ、どう答えるかを見たかった。
そして彼はなんと自分の将来設計を語り出したのだが……それがまたやりすぎなまでに地に足がついたプランで、即興ではなく普段から将来をクソ真面目に考えているのは明らかだった。
(しかし……狙う大学を決めている程度ならともかく、就職候補の会社のことまですでにガチガチに調べているとは……ちょっと怖いぞこの少年)
だがこれだけ綿密に語られれば、『考えなし』、『一時の恋愛感情に舞い上がっているだけ』などとはとても言えない。
「……いや、不足とは言えないな。ありきたりな意気込みだけを語るよりは将来への覚悟を感じたよ」
「そ、そうですか」
私がそう答えると、新浜君は少しだけホッとした顔を見せる。
「しかし、やけにホワイト企業にこだわっているんだな?」
「それは……愚かな大人を知っているからです。その男はブラック企業を辞める勇気すら持てずに馬車馬のように働いて、家族を悲しませたあげくに過労で亡くなりました。俺はそうなりたくないんです」
(家族を悲しませて死んだ男……母子家庭……ははぁ、そういうことか?)
そういった過去があるからこそ、この歳でこうまで慎重な計画魔になったというわけか。なるほど、ルーツがわかって安心したよ。
「その……俺からもいいでしょうか」
この威圧感の中で、新浜君が頬に汗を伝わせながら声を上げる。
「ああ、これは男同士の話し合いだからな。言いたいことを言うといい」
ではお言葉に甘えます、と社会人のような前置きして新浜君は口を開く。
「時宗さんとしては、春華さんに会社の権利を活用する立場や、一族で影響力を振るう立場に立ってもらいたいと考えているんですか? そして将来付き合ったり結婚したりする相手も、家柄や財力が必要だと……?」
それは、遙か昔に私が紫条院本家のジジイに放った問いと同じようなものだった。
その時のジジイからの回答は『そのとおりだこの青二才が!』だったので、秋子との婚約が決まった時は『悔しいか? 青二才に娘取られて悔しいか? ん~?』と煽ったものだが、私の答えは――
「いや……あの子はそういうことに致命的と言っていいほど向いていない。本人が強く望むのなら考えるが、基本的に好きな職業に就けばいいと思っている。そして結婚も本人が幸せになれるのなら、相手の職業や家柄は問わない……だがっ!」
私の言葉にぱぁっと顔を明るくする新浜君を、声を荒げて牽制する。
「それも私の目に適った者だけだ! 生半可な男を春華に近づける気はない!」
俺――新浜心一郞の耳に時宗さんの一喝が響く。
(くそっ、娘は渡さんオーラが本当に強いなこの人! まあ俺だって紫条院さんみたいな超絶可愛い娘がいたらこうなるかもしれないけどさ……!)
けれど、その娘ラブな父親にある程度でも俺を認めさせないと、このほぼ面接な話し合いは終わらない。
俺の声を、この人に伝えなければならない。
「その……生意気を言うようですが、それはまず春華さんが判断すればいいんじゃないですか?」
「なに……?」
「春華さんは天真爛漫な性格ですけど、愚かじゃありませんし子どもでもありません。交際する相手の善し悪しは判断できると思います」
多少は慣れてきた威圧の空気の中、俺は時宗さんへ訴える。
「俺はいずれ春華さんに告白するつもりです。そしてフラれたら……自分でも悲しみから立ち上がるのに何日かかるかわかりませんが、ともかくそれまでです。時宗さんがわざわざ選別なんてしなくていいと思います」
もっとも、例えフラれたとしても彼女の破滅を食い止めることだけはどうあってでも成し遂げるつもりだが。
「春華がごく普通の娘ならその理屈が正しいだろう。だが――あの子は愚かでなくても純真すぎる! 君は子どもではないと言うがまだ子どもなんだ! だからこそ父親として近づく男をふるいにかけなくてはならん!」
俺の真剣な言葉に呼応してか、時宗さんの声に熱が帯びる。
そして、言葉に感情がこもっていくのは俺も同じだった。
「それは……春華さんを見くびりすぎていませんか? 確かにあの素直すぎる性格を心配する気持ちもわかりますけど、まずは春華さんの気持ちを確認してからでも遅くないでしょう。それとも、少しでも近づいた男は今後も社長の迫力に任せた圧迫面接で全員排除していくんですか? 春華さんを一生結婚させないつもりなんですか?」
「ぐ……妻と同じようなことを言いおって……!」
っておい! やっぱり奥さんにも言われてるんじゃねえか!
まあ、それはさておき……。
「俺としては、今日ここで時宗さんに認められるかわかりませんが――今後もただ努力するだけです。貴方がかつてそうしたように」
「なんだと……?」
感情の昂ぶりを消し、時宗さんがジロリと俺を見る。
俺もまた、その視線を真っ向から迎え撃つ。
「昔の雑誌で、時宗さんのインタビュー記事を見ました。貴方が紫条院家入りして話題になった時のものです」
それは文化祭の時に紫条院さんから紫条院家の話を聞いた後、『今後のためにも紫条院さんの父親である社長さんのことはもっと知っておく必要がある』と思って図書館で調べたことだった。
「貴方はそのインタビューの中で『そもそも俺は秋子と交際していて、頭の固い紫条院家に結婚を認めさせるために急いで会社をデカくしたんだ』と答えてました。当時の記事の書きぶりでは半ばジョークだと捉えてましたけど、俺は言葉通りの意味なんだと思いました」
「………………」
「貴方が頑張ったのは好きな人のためだった。もちろん自分の夢のためでもあったんでしょうけど……ひょっとしたら千秋楽書店という屋号も秋子さんの名前から字を取ったんじゃないですか?」
時宗さんは無言のままだ。
ただ黙って俺の話を聞いている。
「俺も同じです。好きな人のためには努力を惜しみません。時宗さんみたいにビジネスの世界で大成功を収める真似はできないですけど……春華さんの喜ぶ顔も、一生懸命な顔も、怒った顔も全部大好きで、隣にいたいという気持ちは誰にも負けない自信はあります」
言葉は考えずにすらすらと出てくる。
ただ単に、俺の胸にある本音そのままなのだから。
「だからせめて……俺が春華さんに告白するまではそばにいることを許して欲しいんです! どうかお願いします!」
座ったまま、俺は深々と頭を下げる。
そして――訪れる沈黙。
俺はこれ以上なにも言えるはずもなく、時宗さんも無言だ。
ややあって――
「……一つ気になることを言っていたな」
「え……?」
「春華の怒った顔だと……? どういう状況でそれを見たのか説明してくれないか」
「は、はい……? ええと、期末テストの時のことなんですけど……」
俺はその話を手短に語った。
期末テストと、御剣から挑まれた勝負。
その結果と、紫条院さんが御剣にブチキレたことを。
「御剣……? まさかあの家の長男か? まあいい。ともかくそこで春華は君を罵る発言をしたその男子生徒に怒ったんだな?」
「はい、俺もびっくりしたんですけど……かなりの剣幕で、『二度と私に話しかけないでください!』とまで言ってました」
「そうか……あの春華がな」
言って、時宗さんは遠い目をして部屋に飾ってある家族写真を見た。
そこには、5歳ほどの妖精みたいな可愛さの紫条院さんが写っている。
「あの子は昔から、同性に妬まれがちだったが……それでも決して他人を怒らず自分の中に原因があると思い込んでいた。私たちもそれを改善しようとしたが、生来の性格なのかあまり効果がなかった」
ふう、とため息を吐き時宗さんは続ける。
「その春華がそこまで怒ったとなれば……それほど君に影響を受け、君に価値を感じているんだろう」
そしてまた少しの沈黙を挟み……まっすぐに俺を見た。
いつの間にか、あの重苦しい威圧感も消えていた。
「…………本日の面接もどきの結果を伝える」
へ……? 結果?
「真面目なのはよく伝わったが、やや固い。将来設計の話は綿密すぎて感嘆とドン引きが同時に来たので評価が難しいが、普通の高校生以上の回答を求めたのはこちらなのでまあプラスとしておこう。そしてそもそも私の威圧を耐えきったのは意味がわからん。心臓強すぎないか?」
「あ、あの……?」
「全体的に若者らしいフレッシュさが皆無なのはマイナスだが、私に臆することなく自分の意見を言えていたのはポイントが高い。あとこちらのエピソードを下調べして、それを最後の訴えの下敷きにしたのもまあまあだ。今の君の位置にいたのがかつての私なんだと改めて認識できたしな」
まるでそういう試験だったかのように、時宗さんは淡々と述べる。
「総評としては……娘にとって有害な男とは言えないし、半端な覚悟でもないと判断せざるをえん」
…………え……?
ということは、つまり……。
「あー……その、それでだ。これは元々妻に伝言を頼んでおいたことだが、今ここで私から言っておくべきだろう」
ひどく億劫そうに、不承不承という感じで時宗さんが口を開く。
「あの子は君もさっき言っていたように、良くも悪くも天真爛漫で、親から見れば危なっかしいところもある。なので……その、まあ、なんだ……これからもあの子を助けてやってくれ」
言った。
本当に仕方ないという様子ではあるが、俺が紫条院さんに近づくことを許可してくれた……!
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
「だが勘違いするなよ! あくまで友達としてだ! その分を超えるような真似は許さんからな!」
「もちろんわかっています! いよっしゃあああああああああああ!」
「絶対わかっていないだろう貴様っ!?」
思わずガッツポーズをとってしまった俺に、時宗さんがキレ気味に叫んだ。
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