第42話 お前が娘を支えるほどの男になれるのか

 

 時宗さんが目を見開いて驚愕の感情を見せる。


 まあ、驚くのも無理はない。

 こんな重苦しい威圧感の中で、堂々と娘さんが好きですと言える高校生なんて普通はいない。


(よし……ちゃんと声は出せるな……!)


 大企業の社長とサシで向かい合いそれでもなお重圧に負けていないのは、もちろん社畜としての忌まわしい経験があるからだ。


 俺が勤めていた会社の上司連中は、たびたび俺を捕まえて『説教』だの『指導』を行った。それは俺が仕事でヘマをしたかどうかに関係なく、ただ彼らの気分次第で始まるのだ。


『無能すぎだろお前、トロいし頭悪いしなんで生きてんの?』 

『辛いフリなんかするなよクズ。大した仕事もしてねえクセに』

『高卒とかありえなくない? 俺なら恥ずかしくて死ぬわ』

『お前みたいなカスを生んだ親もカスだな。製造責任取って親子で首吊れよ』


 罵詈雑言、人格否定、マウント、親の悪口――

 

 彼らの口から出る人間の醜悪を煮詰めたような言葉は、聞くだけで人の心を抉りそこにクソを塗りたくるのだ。そのため俺の心はいつも化膿して爛れ、腐り落ちしてしまいそうだった。


 あいつらの『説教』を腐った排泄物の沼だとするなら、時宗さんが発している威圧感は大河の激流だ。

 少しでも気を抜けば押し流されてしまいそうな重みと勢いがあるが――その水は清廉で澄み切っている。


(俺を貶める気はない。蔑む気もない。自分より弱いサンドバッグを叩いて気持ち良くなろうなんていう底辺の発想はそもそもない)


 だから腐臭に塗れた悪意の沼で心が腐っていくあの恐怖はない。

 どれだけ凄まじい迫力でも、ただ心に根を張って耐えるだけでいい。


(とは言え、社長クラスの圧力だから全然気は抜けないけどな! 冷や汗はずっと止まってないし……!)


 だからこそ俺はルーティン行動で自分を切り替えたのだ。


 これは逃げ場のないメンタル損傷覚悟のハード案件を前にした時に行っていたもので、自分の心と身体に『立ち止まるな! 進め!』という指令を出す儀式だ。


 もちろんこんなものは簡単な自己暗示に過ぎないが、12年も繰り返して使っている内にすっかり俺の中で定着し、今では緊張や恐怖をリセットし、メンタルを攻めの姿勢に切り替えるスイッチになっている。


「……私の聞き間違いではないのだな? 君は娘に恋愛感情があると?」


「その通りです。俺は春華さんが本気で好きです」


「……っ!」


 答えるべき言葉自体は簡単だ。

 父親にこうまで真剣に問われたのなら、ただ俺の本心を答えるしかない。


 言い淀んではならない。

 一歩でも引いたり何かを誤魔化そうとすれば、それが隙となって時宗さんの胆力に押し切られかねない。


「……正直驚いたよ。春華から『友達』としての話を聞いた時も普通の高校生らしくないとは思ったが、ここまで心臓が強いとは」


 俺への評価を一段階上昇させたのか、時宗さんの視線が一層鋭くなる。

 それと同時に、俺の全身を圧迫する威圧感も増大する。


(ぐっ、汗がさらに噴き出てきた……! ああもう、何で家に遊びに来た高校生に本気出してるんだこの人!? 前世の高校生時代の俺だったら緊張がオーバーフローして過呼吸になってるぞ!)


「だが……そこまで言い切ったからには、もう君を子どもとは思わん。娘を奪いにきた一人の男として続けて問うぞ」


「はい、俺もそのつもりで答えます」


 さらなる威圧に胃腸がゴロゴロ鳴り始めるが、耐えて平静な顔で言う。

 俺の好きな人の父親が発する問いから、元より逃げるつもりはない。


「……春華は全国書店チェーンの社長令嬢であり、紫条院家現当主の孫にして次期当主の私の娘だ。紫条院一族の中では重い意味を持っている」


 現当主……文化祭で紫条院さんが言っていた「おじいさま」が恐らくそうなのだろう。


 そして時宗さんは自ら築いた大企業・千秋楽書店を引っさげて一族入りし、紫条院家を財政的に大いに潤して現当主の娘を娶った人だ。

 なるほど、次期当主と呼ばれるには相応しいだろう。


「春華はゆくゆくは会社の権利を持ち、一族でも強い影響力を持つようになる。様々な思惑の中で政争に巻き込まれたり、敵対者が出てきたりするだろう」


 普通の高校生のお気楽な恋愛とはわけが違うと、時宗さんは暗に強調する。


「仮にそんな娘のパートナーになったとして、君は将来支えていける自信があるのか? 特殊な立場の春華を『本気で好き』というのはそういうことだぞ」


 それはどう回答しても苦しくなる問いかけだった。


 自信なんてないと言えば『その程度の想いか』と覚悟の不足を突かれ、自信はあると言えば『何を根拠にそんな大口を叩くのか』と言われるだろう。


 そして俺の答えは――


「俺がもし将来春華さんの隣を歩いていけるのなら……彼女をどんな困難からも守りますし、やりたいことを助けます」


 陳腐にも聞こえる台詞だが、100%俺の本心だ。


 前世において紫条院さんに降りかかった破滅、そしてその他のあらゆる困難からも彼女を守って、その笑顔を絶やさない。

 それは俺が絶対に成し遂げたいことだ。


「ふん、口だけならなんとでも言えるものだ。大人になった君がそんな強い存在になれると何故言える?」


「なら、ご説明しましょう。一角の男になるための俺の将来設計を」


「……なに?」


 テーブルの上に備え付けてあるメモ帳とペンを断って借り、やや虚を突かれた様子の時宗さんにその内容を示していく。


「まず……今の俺の偏差値がこれくらいです。高校2年生のものですが、3年になってからは大体これくらいの数値に達する予定です。俺の勉強の教え方と期末1位を取ったことを褒めてくださった時宗さんなら、この言葉をある程度信じて頂けると思っています」


「む……まあ、君が努力家なのはそうなのだろうが」


「そしてその偏差値から狙える大学の候補が――」


 俺が狙う可能な限りハイレベルな大学の候補を次々と挙げていく。

 それのみならず、狙う学部の候補と在学中にどんな資格を取得するかも。


「英語、簿記、MOSなどは基本として、最終的に狙う就職先によってFP資格、宅建なんかも候補に入ります。そして――」


 俺が示すのは将来のルートだ。

 どんな大学のどの学部に入ることができるのか?

 その学部からのどんな就職先が狙えるのか?

 そのために必要な資格は?


 その可能性の分岐を、枝分かれしていく木のように紙に書いて説明していく。


「そして、このプランを逆算すれば、例えばこのA社に入るには、K大に入って学部はここ、資格はこれで……というふうにルートがわかります。現在はそれを選んでいる段階ですね」


 3年生までにはそれも決めたいところだが、紫条院さんと恋仲になれるかで変動するのでまだ未定だ。


「最終的な候補としてはS社、R社、T社……まだまだありますがとにかく最終的な到達地点はそんなふうに考えています」


「………………」


 俺がそう答えると、時宗さんはなんとも言えない顔でしばし沈黙した。

 なんだか、若干引いているようにも見える。


「あー……その、ずいぶんよく調べているようだが……君はいつもこういうことを考えているのか?」


「はい。とにかく人生を失敗したくないので」


 いつも考えて調べているのかと言わればその通りだ。

 なにせ、前世における俺の人生の後悔の大半はあんなクソ企業に就職したことに尽きる。その轍を踏まないように、今から本気でプランニングするのは当然だ。


「そ、そうか……。そして目指すのは優良企業ばかりというわけか」


「はい、けど俺が最重視するのはホワイト企業かどうかです。社員が心身ともに健康で、給料も不足なく、人間らしく生きていける就職先――そういう場所を求めるとどうしてもレベルが高くなるんです」


 それは、今世における俺の譲れない点だった。

 

 ホワイト企業。

 罵詈雑言を浴びせられることもなく、身体が壊れるまで酷使されることもなく、休みが取れて、サービス残業がなくて、ボーナスが貰える夢の世界。


 そこに辿り着き、二回目の人生こそ幸せになるのだ。


「そして、そういった一流企業に就職して経験を積めば、貴方のような天才企業家にはなれずとも、会社や名家の力学を理解して春華さんを支えるくらいの力は身につくと思っています」


 自分は凡人だが、誰かを支える程度の男にはなれると俺は告げる。


「これが今俺が考えている一人前になるための将来のプランです。高校生が現在答え得るものとしては不足でしょうか?」


 時宗さんの目を見据えて、俺はその是非を問いかけた。

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