第6話 一日目にして一緒に下校イベントへ


(はぁ疲れた……あの手の奴は問題行動が多いくせに周囲への体面は守りたがるからスキャンダルを握ると楽なんだよな)


 同僚のギャル系社員からたびたび仕事を押しつけられた時があり、それに俺が文句を言えば「新浜が仕事を押しつける!」「セクハラを受けた!」と騒いで困り果てたケースの解決法もこれだった。


 そいつが「母が病気でお休みを取りたいんですぅ!」とか言っておきながらその休みを東京バカンスで過ごしたのをSNSで見つけ、そのことを俺がほのめかすとそいつは冷や汗を流し、それ以降は俺に干渉してこなくなったのだ。


「あ、あの……ありがとうございました新浜君……」


「大したことはしてないよ。校舎には人が殆どいないはずなのに女子の大声が聞こえたから来てみたんだけど……上手く収まって良かった」


 紫条院さんの顔色は悪い。

 そりゃそうだ。あんな理屈もなにもない奴らに絡まれれば気分は最悪だろう。


「ご迷惑をおかけしてすいません……でも本当に助かりました……」


「……紫条院さん、迎えの車とか来る予定なの?」


「え? いえ、父はしきりに送迎の車を勧めているんですけど、私は皆と同じように登下校したかったので、いつも普通に歩いています」


「そっか。なら、ええと、その……完全に日が落ちたし、い、家まで送るよ」


 なんでもないふうを装ってはいたが、この時俺は汗がダラダラ流れるほどに緊張していた。


 今の俺は社畜時代を経ているおかげで高校生の時とは比べものにならないほどに強いメンタルを持っている。


 だが童貞なので女子と……しかも憧れの紫条院さんに「送るよ」などと漫画かドラマの主人公みたいな台詞を言うのは精神力と勇気をふり絞る必要があった。


 けれど、そうしたいと思った。


 極めて顔色が悪い紫条院さんを夜の街に一人で歩かせて帰すのは、彼女に惚れている男としてどうしても許容し難い話だったのだ。


「えっ、いいんですか? ご迷惑じゃなければとっても嬉しいです!」


 ドン引きされたら……という恐怖は、紫条院さんが笑顔で払ってくれた。


 しかし昨日まで陰キャだった男子が送るとか言い出してもこの笑顔……まじでこの子は天使か何かか? ちょっと天然すぎて将来が心配になる……。


 ともあれ――こうして俺と紫条院さんの下校イベントは開始した。




「『ブレイダーズ!』は本当に最高の最高ですっ! 第一部のラストに世界を引き換えにしてもあいつを守りたい! って決心してダークスレイブを唱えるところとかもうボロボロ泣いてしまいました……!」


「あそこは泣くよな! そして全てが終わったかと思ったらどんでん返しのあの結末! 最高の最高だった……!」


「そうそう! そうなんです!」


 女性と二人っきりで街を歩く。

 社畜時代の俺にも、出張やら外勤やら飲み会やらでそういう状況に出くわすことはあった。


 だが異性とのお喋りスキルなんて持たない俺はボソボソしたバッドコミュニケーションで相手への俺の心証を下げ、その結果仕事上でうまく連携出来ずに上司から怒られるということを招いてしまった。 


 そこで俺は一つの秘策を思いついた。

 俺はゲームとかラノベとか自分の趣味を存分に語れるととても気持ちがいい。


 であるなら、女性にもそうして貰えばいいのではないか? という策だ。


(これは大当たりだったんだよな……女だろうが上司だろうが飼ってるペットとか好きな野球チームのこととか好きなことを存分に喋らせれば大体みんな機嫌がよくなる。俺は相づちを打つだけだから楽だし)


「それでですね、その時主人公が……!」


 実際紫条院さんはとても楽しそうだ。


 彼女はずっと純文学しか読んでいなかったらしいが、図書室でラノベを見つけて以来すっかりハマってしまったらしい。


 思えば俺が図書室でラノベを読んでいる時に「新浜君はライトノベルに詳しかったりしますか?」と聞いてきたのが紫条院さんとの初会話だった。


 まあ、憧れの美少女に突然声をかけられたため、当然ながら当時の俺は汗ダラダラになってしどろもどろな言葉をボソボソ呟いただけだったのだが……。


「良かったよ。元気が出たみたいで」


「あ、はい。思いっきり喋ったらなんだか気分が良くなってきました」


 それは何よりだ。

 ああいうハラスメントな連中はさっさと忘れて、好きなことをしてマインドを癒やすに限る。それができないと俺の同期みたいに精神を病んでしまうのだ。


「本当に助かりました……実はああいうのは初めてじゃないんですけど、どうしても慣れなくて……」


「ああいうことが何度もあったの?」


「ええ、小学一年生くらいからたびたび……言ってくるのは必ず女子なんですけど、みんな決まって『調子に乗ってる』『目障りだ』って同じことを……」


 小学校一年生って……6歳かそこらでもうそういうこと言い出す奴がいるのかよ……女ってこええ……。


「……正直彼女たちが私に何を求めているのかわからなくて……でもすごく私を嫌っていることは伝わってくるから……怖いんです。本当に、新浜君が来てくれて良かったです……」


 飼い主に不安を訴える子犬のような表情で、紫条院さんは俺の顔を見上げた。そんな仕草に俺はまたもハートを貫かれたが、なんとか持ちこたえる。


(しかし……なるほど、絡まれる理由は理解不能なのか。紫条院さんって他人を激しく嫉妬したこととかなさそうだもんな……)


「その……紫条院さんは花山みたいな奴が絡んでくる原因を知っておいたほうがいいと思う」


「え? 新浜君はわかるんですか!? なら是非教えてください! 私に至らない点があったら直したいんです!」


「わかった。その原因は――紫条院さんが美人で優しいからだよ」


「え…………?」


「つまり嫉妬なんだよ。みんな紫条院さんみたいな美人さや優しさを持っていないから羨ましくて仕方ないんだ」


「え、いえ、何を言ってるんですか! 私なんてそんな……!」


「いや、誰がどう見ても美人だから。そこは流石に自覚するべきだと思う」


 自覚を促す理由は、紫条院さんが思い悩まないためだ。このままでは絡まれる原因がわからずに「自分に欠点があるのでは?」と苦しみかねない。


「だから紫条院さんは悪くない。いいか、復唱するんだ。『私は悪くない』って」


「わ、『私は悪くない』……? え、でも本当にそうなんですか? 何か別の要因で他人を不愉快にさせてるのかも……」


「はい、そういう考えが駄目だよ。あと十回は『私は悪くないって』って口に出してくれ」


「ええっ!?」


 紫条院さんは困惑しつつも、やはり素直な性格のせいか『私は悪くない』を連呼し始める。


 けどこれはマジで絶対に必要なことなのだ。


 さっきから俺の口調が強めなのも、紫条院さんの自罰的思考を改めさせなければという必死の思いからだ。


(ブラック企業で潰れるのは決まって真面目で優しい奴だったからな。理不尽な仕事を押しつけられても周囲から怒られても『私が悪いんだ』って考えるからどんどんストレスが溜まっていって……最後は崩壊する)


 そして、未来において紫条院さんが破滅してしまった原因もおそらくそこにある。 イジメの要因が単なる嫉妬だと理解できなかったからこそ、思い悩みすぎて彼女は壊れた。


 そんな未来にさせないために、この思考改造は必須事項なのだ。


「『私は悪くない』『私は悪くない』……これでいいんですか?」


「ああ、今後花山みたいな奴に絡まれても『私は悪くない』で行こう。だいたいあいつらは『お前が私より美人だから気にくわない』とは流石に言いがたいから『調子に乗ってる』って便利な言葉を使うんだよ」


「そうなん……ですか?」


「そうなんだ。嫉妬で噛みついてくる奴はたくさんいて、自分を改めるとか全然意味ないから上手くスルーするのが重要で……ってどうした?」


 何故か紫条院さんが俺の顔を見て、少し照れたような表情になっていた。


「いえ、新浜君の顔がすごく真剣だったので……すごく私のことを案じてくれてるんだと思ったら嬉しくなったんです」


「それはもちろんそうだよ。俺は紫条院さんが思い悩んでいるのは嫌だ」


「……っ」


 この時、俺は未来において紫条院さんが精神崩壊したことを思い出し、あんな未来を繰り返してなるものかと、破滅の芽を摘もうとヒートアップしていた。


 だから自分の台詞の恥ずかしさも麻痺していたし――紫条院さんが頬を紅潮させて息を飲んだことには気付かなかった。


「あ……その……新浜君……」


「うん?」


「さっき私の容姿が良いから他人が嫉妬するって言ってましたけど……新浜君から見ても私は、その……きれいですか?」


「ああ、それはもちろん。最初に見た時から美人すぎてびっくりした」


「~~~~っ!」


 ハイになっていた頭がド正直な言葉を紡いだが、 それは本当に俺の正直な気持ちだった。

 

 その後――――何故か少しの間紫条院さんが頬を朱に染めて言葉少なめになったりしたが、俺たちはお喋りに花を咲かせながら帰り道を歩いた。


 それはかつての俺が体験できなかった、本当に幸せな時間だった。

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