第7話 紫条院春華、ベッドでジタバタする
(当たり前だけど紫条院さんの家デカいな……)
紫条院さんを郊外にある家の前まで送り届けた俺は、漫画じみた庭付き豪邸を前にして社会格差というものを味わっていた。
うわぁ……庭に噴水とか銅像とか花が咲き乱れている庭園とかある……どれもこれも維持費とかすごそう……。
「新浜君。今日は本当にありがとうございました。こんなに楽しい帰り道は初めてだったかもしれません」
「ああ、いや大したことはしてないよ。夜は流石に危ないから送っただけで」
深々と頭を下げる紫条院さんだが、本当に俺のやったことと言えば絡んできた嫉妬女子を脅迫で追い払い、紫条院さんを家まで送っただけだ。
「いいえ、本当に感謝しています。その……ええと、だから」
「ん?」
「是非、お礼に……いえ、何でもありません」
「そうか? じゃあそろそろ親も心配しているだろうし、これで帰るよ」
「はい、お気をつけて……それと……」
そこで紫条院さんは襟の乱れを直して咳払いし、俺と目を合わせた。
「その……また明日に」
「ああ、また明日な」
そうして下校イベントは終了し、俺は自分の家へと足を向けた。
(やっぱり本当にいい子だな……話せば話すほど好きになる)
自分の家へと帰る途中、俺は紫条院さんのことばかり考えながら足を進めていた。
(けど実際どうなんだろうな……紫条院さんはどれだけ俺のことを男として認識してくれているのやら)
紫条院さんはマジで天然で、自分が男子にとって非常に魅力的な異性であるという自覚に乏しい。
本人はすごく気さくに話しかけてくるが、そのせいで「俺に気がある!」と勘違いした男子は数知れない。しかし悲しいことに本人は子どものように純粋な気持ちで話しているだけなのだ。
(ま、俺のことなんて『図書委員で一緒の人』どまりだったろうな。けど今日あれこれ喋ったおかげで、多少はランクアップして『いい人』くらいにはなれたかな?)
あのほやほやしているお嬢様に「男」を認識させてあまつさえ恋愛感情に持って行くには多大な努力と時間が必要だろう。
(けどまだ焦らずいこう……告白はたった一度っきりの矢だ。このまま好感度を貯めていって確実に仕留めるんだ)
なんせ今まで誰も落とせなかった難攻不落の天然お嬢様だ。
今日は頬を染めたり、別れ際に名残惜しさを見せたような気がしたがそんなものは彼女のピュアな感謝の表れであり、自惚れて勘違いしてはいけない。
(過去に戻ってからたった一日目……そうそう好感度アップなんてしないよな。けどいずれ俺の告白を受け入れて貰えるようにもっともっと努力するぞ……!)
目指すべき目標を見据え、俺は明日に向けて決意を固めた。
私――紫条院春華は、かつて経験したことのない感情に翻弄されていた。
(なんなんですか!? 本当になんなんですかこの気持ち!)
自室のベッドに顔を突っ伏してみたりジタバタしたりして早30分。
胸のもやもやは大きくなるばかりで一向に治まってくれない。
(新浜君……)
元々優しくて本を大切にしているところは好ましく思っていた。
けど私と話すときは声が言葉少なめで寡黙な人なのかと思っていた。
けど今日の彼はまるで別人のように力強くて――それでいて完全に新浜君だった。
(今日はいっぱい助けてもらいました……)
花山さんたちが詰め寄って来た時は、過去に何度もあった恐怖がまた襲ってきたのだと震えた。
昔から私に絡んでくる女の子たちは、私を酷く忌々しい目で見る。
その理由がわからないからこそいつも怖かった。
(だから……新浜君来てくれた時は嬉しかったです)
ああやって絡まれた日は「私は彼女たちに何をしてしまったんだろう」と思い悩み、真っ黒になった重い心を抱える帰路になるのが常だった。
(今日はその逆です。帰り道の全部が楽しくて……)
何だか新浜君は喋り方が明るくなっただけじゃなくて話が上手くなったのか、話している間がずっと楽しくて暗い気持ちなんか全部吹き飛んだ。
それから、私がどうして花山さんみたいな人たちから憎まれるのか教えてもらったけど……その原因より新浜君が私を綺麗だと言ってくれたことが衝撃的だった。
(今まで綺麗と言われることは沢山あったのに……どうして新浜君に言われたらドキドキしたんでしょう)
小さいころから可愛いとか美人とかよく言われた。
けどそれは私服やアクセサリーを褒められた時と同じで、嬉しくはあるけどそれでこんなに気分が浮き立つものじゃなかった。
(新浜君から褒められるの……なんだか嬉しいです)
そうやって頬を緩ませて自分の顔を触り……なんだか熱くてムズムズした気持ちを持て余せてベッドの上でまたジタバタしてしまう。
さっきからずっとこの調子だった。
(ああもう! どうしてしまったんですか私!?)
未知の感情に翻弄されながら、私は真っ赤になった顔をベッドに押しつけた。
私は紫条院時宗。
勝ち組オブ勝ち組の52歳である
いくつになっても20代のように若々しく美しい妻と天使そのものの娘を持ち、自他共に認める大会社を経営している。
自分で言うのもなんだが誰もが羨む人生を送っているだろう。
今日も仕事を終えて愛しき我が家でくつろいでいる最中だったのだが、なんだか娘の部屋からガタガタと妙な物音が聞こえてきて首を傾げる。
「おい、秋子。春華の部屋から妙な音が……」
「あら、気にしないでいいわ時宗さん。女の子には時に顔を真っ赤にしてジタバタしたくなる時くらいあるものよ♪」
一緒に食後のお茶を飲んでいる妻――紫条院秋子が嬉しそうに言う。
「真っ赤な顔? ジタバタ? ははは、バカなことを言うな秋子。それじゃまるで春華が恋に悩んでいるみたいじゃ……え?」
おい待て秋子。何故笑顔のままで黙る。
ここは笑い飛ばすところだろう!?
「ふふ、あの子はずっとお子様だったからいつになるかと思ったけど……母さんはとても嬉しいわ!」
「待てえええええええええ! 何を楽しそうに言ってるんだ! 春華が恋!? あり得ない! あり得ていいはずがない! 高校生で恋なんて早すぎる……!」
「あらまあ、本気で言っているのなら心底キモいわ時宗さん」
笑顔の妻に罵倒されて心がぶん殴られるが、それでも私はそれを認めらない。
「春華は私の天使なんだ……! まさに純真無垢の具現化した奇跡だ! 娘のためなら私は会社も何もかも捨てたっていい!」
「もう、それ株主総会では絶対言っちゃ駄目よ?」
「アホか! 娘に色目を使う社員は海外に飛ばすぞ!くらいしか言っとらんわ!」
しかし……どうしていきなりそんな?
昨日まであの天然気味な笑顔に変わりはなかったのに!
「今日家の前まで男の子が春華を送ってきたみたいだったけど……多分その子ね。春華ったらわかりやすく顔を真っ赤にしてたもの」
「この家の前まで送った……だと……!? ぐぅぅ、殺したい……!」
すでに二人で下校するほどの仲……!
危険だ! 私の天使にはすでに悪魔が接近していたのだ!
「まあ、落ち着いて時宗さん。娘は溺愛しすぎると嫌われたあげくに『お父様なんて大っ嫌い!』という定番の台詞で刺してくるわよー?」
「む……ぐぅ……! いや、しかし真面目な話、私は心配なんだよ。あの子はちょっと天然すぎて子どもっぽいところが天使なんだが、そこを悪い男につけこまれたらと……」
「まあ、家柄のせいで世間知らずだった私を口説き落とした時、弱小ベンチャー企業社長だったあなたが言うの? 父だってさんざんあなたを悪い虫扱いしてたのよー?」
「いやそれは……君に惚れたから仕方ないだろ!」
「……もう、時宗さん。そういうことはもっと良いムードの時に言いなさいっ」
「あ、はい」
赤面して怒ってくる私の妻が可愛い。
「まあ、もしかしたらいつか家に連れてくるかもしれないわね。そこまで行ったらじっくりどんな子か見てあげたらいいじゃない」
「ふん! もしそいつが家に挨拶などに来ようものなら100億の商談レベルで圧迫面接をかけてやる! 根性がないそこらのガキなんて二度と春華に近づかなくなるだろう!」
「あら、あの子の選んだ男の子なら意外と耐えられるかもしれないわよ?」
「あっはっは! ないない! 百戦錬磨の営業のプロでもプレッシャーに負けて魂が飛んでいくんだぞ! もし耐えられるとすれば……そうだな。人間の尊厳を奪われて毎日罵声を浴びせられて、あらゆる理不尽を乗り越えてきてなお心が壊れなかった奴隷兵士の精鋭みたいな奴とかか?」
もちろん高校生でそんな奴がいるわけがない。
だが正直それくらいの心の強さがある奴でないと、娘を預けるには足らないのだ。
「ふっ、もし私の本気度100%の圧迫面接に耐えられる男だったら春華との交際どころか結婚を許可したっていいぞ! それくらい無理な話だ!」
私はまだ見ぬ悪い虫の魂を飛ばしてやる様を想像して呵々と笑い、そんな私を見て妻は「ふーん……」と意味ありげな笑みを浮かべていた。
そして娘の春華の部屋からは、ベッドの上で激しく身をよじっているような音がなおもドタバタと聞こえてきた。
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