第5話 放課後は好感度イベントと相場は決まっている
(やっちまったあああああああああああああああああ!)
午後の授業が終わり、俺は激しく後悔しながら放課後の廊下を歩いていた。
頭を抱えている原因は、もちろん昼間の火野との一件だ。
(人生であんなにキレたのは初めてだったな……俺があれだけ叫べるなんて自分でも驚いた)
だが、我ながら仕方がないとも思っている。
俺は社会に出て、父さんが早々に亡くなった家庭で母さんがどれだけ苦労して俺たち兄妹を養っていたかを思い知った。
その母さんがくれた金を働いたこともないガキが堂々と盗っていこうとしたのだ。ブチギレずにはいられない。
(今度から火野が確実に面倒くさくなるだろうし、俺が不良と喧嘩してたなんて噂が紫条院さんの耳に入ってイメージダウンになるのが心配だけど……まあもう過ぎ去ったことを考えるのはやめよう)
どっちみち、あのままみすみす財布を奪われるという選択肢はなかったのだ。
(よし切り替えだ! 今は紫条院さんと一緒に図書委員の仕事をする大事な時間に集中しなきゃな!)
そう決めて図書室の扉を開けると――
そこには、窓辺のテーブルで本を読んでいる紫条院さんの姿があった。
(ああ……やっぱ綺麗だな……)
暮れなずむ夕暮れに彩られ、紫条院さんはそよ風に長い黒髪をなびかせる。
整った顔立ちも、輝くような髪もその静かな佇まいも――ただただ美しい。
まるで一枚の絵画のようだ。
「あっ、新浜君! おつかれさまです!」
「ああ、おつかれさま紫条院さん。待たせたかな?」
「いいえ、今来たところです!」
そのデートの待ち合わせのような会話だけでささやかな幸せを感じてしまう辺り、いくら若返っても俺って童貞なんだな……という感想を抱く。
「よし、それじゃ早速始めるか! ええと、まずは本の整理だったかな?」
「はい、ピカピカの新刊が届いたのでその配架です!」
そうして、俺は大人になってもたびたび追憶した美しい思い出の中へ再び足を踏み入れた。
俺の唯一の甘美な青春と言える、紫条院さんとの二人っきりの時間を。
「期限を過ぎたのにまだ本を返してくれてない人がまたいっぱいいますね……」
「またこいつとこいつか……大体常習犯だな」
俺も作業している内にだんだん思い出してきたのだが、図書委員は新刊の配架、書庫の整理、日誌の作成となかなか仕事が多い。
そして今手をつけているのは本を借りても期限内に返さない奴への対応だ。
「どうしましょう……今まで何度期限切れを連絡してもなかなか返してくれなかった人ばかりですね」
「完全にこっちを舐めてるな……よし、もういっそ迷子の呼び出しみたいに昼休みの放送の時に名前を晒して『本を返してくださーい!』って言おう」
「え、ええ!? この人たちはちょっと気難しい人ばかりですよ!? そんなことしたらもの凄く怒るんじゃないですか!?」
「一応、『今度期限内に返さなかったら全校放送で名前を言う』って警告はしておくよ。それでも返却期限を無視し続けるなら……本当にやる」
取引先にもこっちの指定した納期や約束を平気で破る奴はよくいた。
そしてそういう奴は大抵ヤベー奴なので俺が『ちゃんと約束通りにやってください!』と言っても無視されるかキレるかどっちかだ。
だがそれで放置してたら俺の仕事が遅れて上司がキレる。
そこで俺はその約束破りの社員だけでなくそのチームや上司へまとめて『約束したこの件まだですけどどうなってます?』とメールを出したのだ。
すると効果は覿面で、そいつは慌てて約束の書類を提出してきた。
こっちを舐めているそのクソ社員も、自分の職場内で『こいつは約束が守れない奴です』と晒されるのは大ダメージだったというわけだ。
「ま、もしそうなったら名指し放送は俺がするし、トラブルになったら俺が話をつけるよ。人気の新刊は待っている生徒も多いんだから独占して返さないっていうのは流石に野放しできない」
「…………」
えっ、紫条院さん黙り込んじゃった……?
し、しまった! つい社畜的思考で発案したけど、高校生にとっては手段が過激すぎてドン引きさせちゃったか!?
「…………本当に、新浜君じゃないみたいです。考えることも、言葉もすごく力強くて……」
「そう……かな」
「はい、でも……それでも新浜君なんだって思います」
言葉の意味がわからず目を瞬かせる俺に、紫条院さんはそっと微笑む。
「新浜君は前々から、人気の本が貸し出し中になっててがっくりする生徒のみんなに申し訳なさそうにしてました」
「え……?」
「他にも本やカードを整理する時も次の人が使いやすいように気を使ったり、汚れた本を頑張って綺麗にしようとしたり……そういう優しいところはそのままに……なんというか大人になった感じで素敵だと思いますよ」
「……紫条院さん……」
まったく想像もしていなかった言葉に驚くと同時に胸が熱くなる。
あの陰キャだった高校時代の俺をそんなに見ていてくれていたなんて……。
「それにしても、喋り方を変えるだけでそんなに大人の雰囲気をまとえるってすごいです! 私も試したら大人っぽくなれるでしょうか!」
「いやいや、紫条院さんはもう十分明るいだろ」
「むー、でも私はいつも両親から子ども扱いされてるので……もうちょっと大人っぽい雰囲気を身につけたいんですっ」
一転して真剣な目で聞いてくる天然な紫条院さんに、俺は苦笑した。
ああ、何度でも思う。
彼女は――本当に、本当に素敵な女性だ。
「ふう、楽しい時間が過ぎるのが早いな……」
図書委員の仕事が終わって図書室の鍵を職員室に返し、俺は日没寸前の夕日が照らす廊下を一人歩いていた。
紫条院さんはすでに「また明日ですね!」と言って先に帰って行ったが正直名残惜しかった。
「二度目の青春……結果はともかく紫条院さんに告白するのが目的の一つだったけど……それじゃ嫌だ。俺は失敗じゃなくて成功が欲しい」
紫条院さんと再会してたった一日触れ合っただけで、彼女への熱が膨れ上がっている。もっと話していたい。手を握りたい。他の奴に渡したくない。
「よし……決めた。告白が失敗してもいいなんて考えはナシだ。好感度を貯めて告白して絶対にあの子を勝ち取る……!」
負けてもいいなんて思考だから俺はあんな負け組の人生に落ちたんだ。
陰キャがこれを認めるのは30歳になるまでかかったが……勝ちに行かないと欲しいものは絶対に手に入らないのだ。
「けど、どうするかなあ……社畜生活でメンタルはそれなりにマシになったけど、女性を誘うテクなんて童貞の俺には……」
「……からいってるだろっ! 聞いてんの!?」
(!? な、なんだ? 向こうの廊下から女子の声?)
誰かが激しく責められて……って紫条院さん!?
声が聞こえた廊下の曲がり角から身を乗り出して見てみると、紫条院さんが三人の女子に詰め寄られて困惑しているのが見えた。
「え、ええと、すいません言ってる意味がよく……」
「はっ! わからないわけないだろ! あれだけチョーシ乗っといて!」
(あいつら……ギャルの花山とその取り巻きたちか! いつも彼氏にどれだけ貢がせたとか自慢してるビッチどもじゃねーか!)
花山美智子は印象深くて名前を覚えていた奴の一人で、カレシとカネが思考の中心な典型的なビッチ系ギャルだ。
(あいつらは自分より可愛くて男にモテる女子が大っ嫌いだったもんな……勝手に紫条院さんを敵視してイチャモンつけてるってとこか)
おそらく教室でダベっていたところに紫条院さんが通りがかり、人目がないのをいいことにシメにかかったのだろう。
「そ、そのすいません。調子に乗っているというのはどういう所が……」
「チョーシ乗ってるのはチョーシ乗ってるんだよ! はっ! ブリっ子して男に毎日媚び売っちゃってさ! マジムカつくんだよね!」
「そーそー! ミチコの言うとおりよね! マジでチョーシ乗ってる!」
しかしチョーシ乗ってるって難癖つける時に便利な言葉だなあ。
単に自分が気にいらないだけなのに、さも相手の振る舞いに問題があるようなイメージを与えるイチャモン特化言語だ。
「明日から媚び売るのやめてよね。髪も中学の校則みたいにダサく切ってメイクもナシ。オジョーサマは男から距離とって生きろってのっ!」
「え? 私は特にメイクなんてしてないですけど……」
「~~~~っ! このっ……!」
メイクバリバリの花山はそのノーメイク発言がカンに障ったのか、紫条院さんの胸元へ手を伸ばして掴み上げようとする。
「おい、やめろ」
だが見かねてその場に飛び出た俺が声をかけてそれを制し、紫条院さんを暴力から守るために彼女の前へ立つ。
「新浜君……!」
「はぁ? 誰かと思ったら新浜? ネクラはすっこんでろっての!」
スクールカースト上位の花山らしく、俺を見るなり“下”の奴が邪魔すんなと言いたげな言葉を浴びせてくる。
(いくつになってもこの手の女は苦手だったな……)
自分の顔に自信があり、男に仕事を押しつけたり上司に愛想を使って特別扱いしてもらう女子社員も俺はそこそこ見てきた。
そして、こいつらは「私は可愛いから特別!」という理屈で生きているため、自分より可愛い女性の存在を許せずにすぐイジメに走るのだ。
(うぁー……大人メンタルでもこれ系の相手は胃が痛い……。何か文句言われるとすぐ自分を悲劇のヒロインに仕立てて相手のネガキャン始めるからなあ)
「今、紫条院さんに掴みかかろうとしただろ? やめろよそういうのは」
「関係ないから失せろっての。なんなん? 漫画読みすぎてこの女を守ったら付き合えるとか思ったの? ふはっキモっ!」
マジで品がない女だ。
まあいい、こういう時の対処法は決まってる。しかも俺は未来人だからな。手札は最初っからある。
「ところで花山さんさあ、最近駅から北の繁華街行った? 特に五丁目のホテル前あたりでよくサラリーマンと話しているのを見るんだけど」
「……っ!?」
花山の顔色がさっと青ざめる。
そりゃそうだよな。お前は普段からそこでおっさんに援助交際を持ちかけるフリして会話を録音して写真を撮り、口止め料をせしめているもんな。
もちろんバレたら退学もありうる。
「てめ……っ! なんでお前……!」
「ちょっと知る機会があったんだよ。花山さんの小遣い稼ぎをね」
知る機会とはもちろん未来での話だ。
こいつは高三の時に援交脅迫がバレて退学になった上にニュースにもなったのだ。その時は学校も騒然となったから詳細もよく憶えている。
「別にどうこうする気はないけど、これ以上紫条院さんに絡むのなら俺も口が軽くなるよ?」
「ちっ……! てめえ絶対チクるなよ! チクったら彼氏に言って殺すぞ!」
そう言い捨てると、花山はさっさと去って行った。
話の中身がわかっていない取り巻きたちも「え、ちょ、どうしたのミチコ!?」と怪訝な顔になりつつも、「ああくそ、もういいんだよそいつらはっ!」と吐き捨てる花山の後を追う。
いやまあ……俺が言わなくても一年後にバレて退学になることは確定してるんだけどな!
その未来が訪れた際、花山が死刑判決を喰らったように絶望することを知っている俺は、何も知らない援交詐欺女の背中をニッコニコで見送った。
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