第4話 お前に3000円の重みがわかるのか

(おお……あの頃の教室だ……)


 自分のクラスに足を踏み入れると、あまりの懐かしさに一瞬動きが止まってしまった。


 机と椅子にこのざわざわした雰囲気……そうそうこれが教室だよな。


「じゃあ新浜君。放課後はまた頑張りましょう」


「え……? あ、うん。わかったよ」


 紫条院さんが教室の入り口での別れ際にそう言い、とりあえず返事はしたもののなんのことかすぐにも思い出せなかった。


 放課後……? 放課後のことって一体……あ!

 そうか、図書委員の仕事だ!

 

(そうだった。そもそも俺なんかと紫条院さんに接点があるのは図書委員で一緒にあれこれと仕事をしたからだったな)


 もうかなり昔のことなので流石に思い出すのに時間がかかることが多い。


 正直自分の席もどこなのかサッパリだったが、幸いにも見覚えのある体操服袋が下がっていたため見分けができた。

  

「おい……新浜」


「え……お前は……ひょっとして銀次……か?」


 俺に話しかけてきた男子生徒は俺の高校時代の唯一の友人山平銀次やまひらぎんじだった。

 こいつとだけは卒業後も何度か酒を飲んだこともある。


 俺と同様にオタクだが短髪でさっぱりした容姿であるため一見運動部のようにも見える。これは本人曰く、『オタクっぽいカッコしてたらすぐイジメられるだろ。これは俺なりの防衛策なんだよ』とのことだ。


「は? 何だよひょっとしてって。まあいい……そんなことよりお前どういうことなんだ!?」


「どういうことって……?」


「とぼけるな! 紫条院さんだよ紫条院さん! なんでお前と一緒に話しながら登校してるんだ!」


「何でも何も……朝通学路で会って紫条院さんが図書室から借りた本をいっぱい抱えてたから代わりに持って教室まで来たんだよ」


「は……はあああああ!? ボソボソ声で可愛い女子には照れてまともに話せないのがお前じゃないか! いつからそんな少女漫画のイケメンみたいなことができるようになった!?」


 いやまあ別に意識してやったわけじゃなくて社畜時代の習性だったんだが……確かに高校時代の俺からすれば信じられない行動だろう。


「というか何かお前……全体的にいつもと違わないか? 声はえらいハキハキだし全身のオドオドオーラが消えてるし……ひょっとして異世界転生して長く苦しい旅の果てに昨日地球に帰ってきたとか?」


 惜しい、異世界転生じゃなくて過去逆行だ。


「ああ、大当たりだ銀次。実は昨日まで違う世界にいてな。酷い奴隷労働組織に捕まって人格否定級の罵声を浴びながら早朝から深夜まで働かされて周囲の仲間の精神がおかしくなっていく環境で12年耐えてきたんだ」


「はは、そりゃひでーな! ダーク系異世界かよ!」


 残念ながらブラック系の現実だ。


 まだピュアなお前には笑い話だろうが、これは決してファンタジーじゃなくて今この時代にも存在する悪魔の深淵なんだ銀次。


 ああけど……こうやってこいつと馬鹿話するのは久しぶりだ。

 俺は今あの頃に戻っているという実感が強くなる。


「まあ紫条院さんは優しくて天然だから俺らみたいな奴にも気さくだけど、あんまり目立つように話すなよ。ヤンキー系の奴もリア充系の奴もあの子を狙ってんだからお前シメられちまうぞ」


 へぇ、リア充って言葉この時代にもう存在したのか。


「スクールカーストに気をつけろよ。俺らみたいなオタク系は学校内の地位が最低だからな。ちょっと目立つと“上”の奴らが黙ってない」


(スクールカースト……あったなあそんな概念も)


 今思えばたかだかガキの集団がマウントを取り合うなんてなんとも滑稽な不文律だったなあという感想を抱く。


 いやまあ、大人になってもどこの大学を出ただの年収いくらだのでマウントの取り合いが消えるわけじゃないんだが。


「ま、気をつけるよ。忠告ありがとな銀次」


 とは言え……誰に目をつけられようが俺は二度目の青春を自重する気はない。


 周囲の目を気にし続けて、誰かからの攻撃に怯え続けて何もしなかった結果が告白もできなかった高校時代であり、奴隷であることを辞められなかった社畜時代なのだ。


 俺は俺の願うままに動く。

 今度こそ後悔しないために。




 ……そう決心したその日の内に奴は現れた。


「おい、クソオタクの新浜。こっち向けよ」


 時は昼休み。自販機の前で財布を取り出していた俺にそいつは声をかけてきた。


(こいつは……火野か!)


 制服を着崩して耳にピアスをつけたこの男のことはよく覚えている。


 見た目や言動からわかるとおりヤンキー系であり……高校時代における俺の恐怖の象徴だった男だ。


 こいつは気の弱い男子から金を巻き上げたり遊びで殴ったりしており、俺はそのターゲットにされて在学中さんざんいたぶられて金を奪われた。


 校内でこいつに出会ってしまった時の、あの血の気が引く感覚を覚えている。

 今日も殴られるのかという恐怖に毎日怯えて身を震わせた。


 そんな男と再び出会ってしまった俺の心中は――


(ぜっっんぜん怖くねえ…………)


 あの頃抱いていた恐怖はなんだったんだと言いたくなるほど、何故か目の前のヤンキーに対して何の恐怖も感じない。


 それどころか高校生でピアス穴を開けようというその反骨心に子どもっぽさを感じて微笑ましくすらある。


「俺に何か用か?」


「ああ、てめえがチョーシ乗ってるみてえだったからヤキ入れに来たんだよ」


「は? なんだそれ?」


 確か覚えている限りこいつの行動は『ちょっと付き合ってくれや(憂さ晴らしの殴り)』と『ちょっと小遣い恵んでくれや(カツアゲ)』の二パターンしかなかったはずだ。

 こんな用件は体験した記憶がない。


「てめえは今朝紫条院と一緒に登校してただろ。そういうのぼせ上がった馬鹿は見ててムカつくんでな。身の程って奴を教えてやるよ」


(はあ? なんだその強引な理屈……ってそっか!)


「ああ、なるほど! お前って紫条院さんが好きだったんだな!」


「なっ……!」


「それで今朝俺と紫条院さんが一緒に登校しているのを見てどうしようもなくムカついたって訳か! なるほど、お前がそうだったとはなー」


「だ、黙れてめえ……! 俺は紫条院なんざどうだっていい! てめえみたいなカスが顔のいい女と仲良くなれたと勘違いしてんのがイラつくだけだ!」


 焦った様子の火野がまくしたてる。


 あー、仕事でのミスを疑われた上司とかそうだったけど、人間って本当のことを誤魔化したい時って多弁で早口になるよな。


「とにかくてめえツラ貸せ!」


「は? 人気のないところで俺を殴る気満々な奴について行くわけないだろ。俺をボコりたいなら人がいっぱいのここでやれよ」


「うるせえっ! グダグダ言ってるとぶっ殺すぞ!」


「嫌だって言ってんだろ。ちゃんとコミュニケーション取れよ」


「な……てめぇ……!」


 ヤンキーお得意のデカい声で火野が脅してくるが、そんな脅し文句が通用するほど俺はもう青くはない。


 かつての社畜生活において、上司どもは俺に様々な脅しをかけてきた。


『この仕事は君がやってよ。じゃなきゃ君の勤務評価は……わかるよね?』

『俺にたてついてみろ。明日からお前の仕事は地下倉庫で何十年たっても終わらない備品整理になるぜぇ』

『パワハラの事実なんてなかったと言え! なんならお前こそパワハラの主犯だったと他の奴らに証言させることもできるんだぞ!』


 思い出すだけで醜悪な事例の数々だが、会社という小さな世界を牛耳る権力者どもの力は絶大で、俺はたびたび涙を飲んだ。


(アレに比べればこいつは俺に何のペナルティを課す力もないただのガキだ。どんなにでかい声でわめこうが全然怖くない)


「ほら、どうした。人がいっぱいいるだけで殴れないのか? ヤンキーがまさか停学や退学にビビってるのか?」


「こ、このクソオタクが……! なめてんじゃねえぞ!」


 火野が俺へ手を伸ばす。


 挑発のままに殴ってくれたら俺にとって都合がよかったのだが、奴の狙いは俺がジュースを買う直前だったため手に持っていた財布だった。


 母さんから渡された3000円が入った俺の財布を、奪ったのだ。


「はっ! クソ生意気な口をきいた罰に今日は財布ごと貰ってやる! さて、中身は……ちっ! たかが3000円ぽっちかよ! シケたオタクは財布の中身までシケてやがんな!」


 3000円ぽっち。

 ははは、3000円ぽっちか。


 よくも俺の前でそんなガキ丸出しの台詞を吐けたもんだな……! 


「だがこれで済んだと思うじゃねーぞ! 今度きっちりボコって……っ!?」


 火野の言葉が途中で止まる。


 俺が両腕を伸ばして奴の胸ぐらを掴み上げたからだ。

 

「てめえ、何しやが……っ」


「黙れクソガキ」


 怒りと侮蔑を込めた声は、自分でも聞いたことのないほどに冷徹な響きとなっていた。


「こ、こんな真似してタダで済むと……」


「金を奪おうとしたな?」


 自分でも驚くほどの冷たい声が滑り出た。


「3000円ぽっちなんて言った上に、それを奪おうとしただろって聞いてるんだ」


「はっ! だったらなんだって――」


「ぶっ殺されたいのかクソガキがああああああああああああああああ!!」


 大音量で叫ぶと、火野も周囲の生徒たちも呆気にとられて固まる。


「何が3000円ぽっちだボケが……! それだけ稼ぐのにどれだけの苦労が必要かわかってんのか、あ゙あ゙っ!?」


 俺は完全にキレていた。

 間違いなく火野は自分で稼いだことなんてない。

 金の重みもありがたみも全くわかっていない。


 そんな正真正銘のクソガキが母さんが仕事で稼いだ金を奪おうとしたことに対し、俺の内で信じられないほどの怒りが迸っていた。


「腕が腱鞘炎になるほどキーボードを叩いて! 時には頭のおかしい客に罵声を浴びせられながらペコペコ頭を下げて! 一つでもミスしようもんならバカ、ボケ、死ねと責められて! 金ってのはそんなクソみたいな思いをしてやっと手に入るものなんだよっっ!!」


 その辛さも知らないガキが不良ごっこで軽々しく他人の金を奪うのは、もはや処刑ものの罪だ。今すぐギロチンで粛清しても許される。


「お前なんかどれだけヤンキーごっこしてても、メシも寝床も全部親に養って貰ってるぬるま湯の坊ちゃんなんだよ! 今度俺の親が稼いだ金を盗ろうとしてみろ! マジで殺すぞ……っ! わかったかオイ!」


「あ……う……」


「わかったかって聞いてんだっ!!」


「あ、ああ……」


 金を軽くみているバカへの俺の怒りが効いたのか、火野は混乱気味に返事をした。

 

 ぺたんと尻餅をついてしまったアホの胸ぐらから手を離して財布を回収し、俺は周囲から凄まじく注目を浴びているのを自覚しながらその場を離れた。 

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