GoTo 報復旅行

伊東へいざん

GoTo 報復旅行

 前期高齢者に到達する頃ともなれば、誰しも一人や二人は殺しておきたい人間はいるだろう。ところが、殺したいほど “このやろう” と思いつつも、突然の病に見舞われると、そんなことは二の次になり、ひたすら延命に走ることになる。しかし、そうではない人間もいる。


 猿渡吾郎はかつて昭和特撮番組のヒーローを演じた俳優だ。老いて癌を発症し、小説を書きながら闘病生活を過ごしていたが、愈々一年という余命宣告を受けるに至った。延命を告げる医師は猿渡吾郎の落胆を想定し、神妙に言葉を選びながら話し始めた。医師から余命宣告を受けた瞬間、猿渡吾郎の表情は輝いた。彼にとっては想定した選択の一つであり、最も憂うべき突然死などと違って、幸運にも生きて計画遂行のGOサインとなった。

 猿渡吾郎にとってはその日というのは死へのカウントダウンではなく、一大イベントの解禁日である。ついにその日が来たのだ。猿渡吾郎は人生に悔いはなかったが、敢えてたったひとつだけやり残していることがあった。それは、人生最後に実行することとして取っておいたことである。そのため、猿渡吾郎は計画遂行が不可能となる突然死を最も恐れた。従って、余命宣告を受けた猿渡吾郎は、落胆するどころか、少年のようにその目を輝かせ、これで自分の人生を完結させることが出来ると、抑えていた報復遂行の炎を点火できたのである。そう、一大イベントとは人生最期の楽しみに残しておいた “冥途の土産の報復旅行” だった。


 日本の仏教に於いて、地蔵菩薩はその本地の姿を閻魔の姿に垂迹すると考えられているが、猿渡吾郎は死期が分かった時点でその忍耐を解き、閻魔の姿となって畑中辰吉殺害を決行することにしたのである。この日のために猿渡吾郎は彼の動向調査を怠らなかった。その上で報復旅行計画を立て、この機を待っていた。それがついにやって来たのである。余命宣告を下した医師は猿渡吾郎のリアクションに驚いた。患者の誰しもが落胆し、“なんで私が…” と悔しさで地団駄を踏む重い空気になる場で、猿渡吾郎の表情は余りにも輝きに満ちていた。医師は恐る恐るそのわけを聞くと、猿渡吾郎は「やっと死ねると思うと肩の荷が降りまして…」とそれほど驚く内容ではなかった。医師は、表情の輝きに値する返答ではなかったことに少なからず違和感を覚えた。しかし、猿渡吾郎としては本当の訳を話せるはずもなかった。


 猿渡吾郎のターゲットに選ばれたのは昭和特撮オタである。猿渡吾郎はその男を他の特撮ファンと区別して “ クソオタ ” と分類していた。一生のうちには誰しも一人や二人は殺したいと思う人間と遭遇するものだが、恨んだまま死ななければならない心残りについては、殆どの人間が黙してあの世へ旅立つのが常であろう。しかし、猿渡吾郎は違っていた。この世のケジメは何としても生きている間に付けたかった。その昭和特撮オタ、いや “ クソオタ ” は、猿渡吾郎が冥途のみやげに報復旅行を思い付くきっかけとなった男である。そういった意味で、余命宣告は猿渡吾郎にとって胸躍る瞬間だった。

 この報復旅行を実行するにあたって、猿渡吾郎には美学があった。完全犯罪でなければならない。残す家族に殺人者の家族と言う汚名を着せてはならない。従って、決して自分の手を下さず、ターゲットの命を奪うことだ。つまり、ターゲット自らあの世に旅立ってもらう計画である。そのために猿渡吾郎はこれまでに周到な準備をしてきた。


 猿渡吾郎は一階の車庫を開けた。日頃乗り慣れたジープラングラークライスラー4WDには既に報復旅行用の荷造りが準備されていた。エンジンを始動させるや、猿渡吾郎の脳裏をターゲットとの忌々しい過去が駆け巡った。

 かつて、特撮番組が終了して長い年月がっ経ったある日、揉み手をして近付いて来る昭和特撮ファンの畑中辰吉が居た。畑中辰吉は猿渡吾郎にしつこく自分の主催オフ会へのゲスト参加を懇願して来た。猿渡吾郎は根負けし、仕方なく参加を承諾した。特撮ファンのオフ会などどんなものか分からなかったが、往年の特撮俳優ら数人も参加していたので、見よう見まねで時を過ごした。番組関連の様々な発売グッズにやたらサインさせられながら、何かしらの違和感を覚えた。居心地の悪い時間を過ごしてどうにか解放された。しばらくすると畑中辰吉は2回目の主催オフ会への参加を執拗に懇願してきた。仕方なく参加を承諾したが、グッズへのサインは断ろうと思った。三回目の要請がまた来た。猿渡吾郎は切れた。畑中辰吉はゲストにファンの待機する小部屋を回って対話をするというホスト扱いを強要して来たその図々しさにブチ切れたのだ。まるで所属俳優を管理するマネージャー気取りである。何のメリットもない昭和特撮オタの甘ったれた俳優私物化イベントに我慢ならなくなった。以後、猿渡吾郎は畑中辰吉の主催するイベントの誘いに応じることを拒み続けた。


 暫くすると2ちゃんねるが騒がしくなった。猿渡吾郎を名指しで身に覚えのない誹謗中傷が繰り返され、それが十年に及んだ。畑中辰吉の仕業であることは当初からすぐに分かった。畑中辰吉は他の特撮俳優に対しても、開催イベントの参加要請を断った特撮俳優に対しての腰の低さからは想像も付かない残酷さで2ちゃんねるでの誹謗中傷を繰り返し、特撮俳優がその苦痛に屈した頃を見計らって、同じ特撮連に助け舟の使いをさせて送り込んで来た。再度参加を受け入れた特撮俳優には2ちゃんねるでの誹謗中傷を止めさせるという結果を示した。それもその筈、犯人は畑中辰吉本人なわけだから、誹謗中傷が止むのは当然だ。その裏事情を知らない特撮俳優は、畑中辰吉に大いに感謝し、イベントの要請には従順に従うようになった。以後、畑中辰吉のイベント要請を断る特撮俳優はいなくなった。2ちゃんねるでの誹謗中傷が再開されることを誰もが恐れ、畑中辰吉に睨みを利かせてもらう意味でもその関係を断ち切れなくなったからだ。飛んだ弱虫ヒーローが集まったわけである。

 猿渡吾郎はその愚かを特撮俳優たちに説いたが、誰一人耳を傾けて畑中辰吉と対峙しようとする者はいなかった。正義のヒーローの正体がこのざまかと猿渡吾郎は笑うしかなかった。


 同じような被害を受け、嫌々イベントに参加している “親しかった” 特撮俳優から、名前を出さないことを条件に畑中辰吉の悪質なやり口に酷似していることを知らされた猿渡吾郎は、特撮ファン事情に詳しい親友の弁護士・花岡尚樹に調査を依頼した。そして花岡尚樹と最も合法的な犯人暴きを楽しむ計画を開始した。その第一弾が特撮ファンと特撮ヒーローの癒着による堕落劇の小説化である。猿渡吾郎は、その無様を描いた小説をネット上に晒すことにした。“これはフィクションです” という冒頭の文言には、逆説的な皮肉が込められていた。


 花岡尚樹の調査であぶり出した事実を小説にして、まずブログに掲載し、その反響を試した。すると畑中辰吉が「内容に齟齬がある」と自ブログに書き込んだ。他人の書いたフィクションである小説の内容に齟齬があるということはどういうことか・・・自らの犯行を自白したようなものである。畑中辰吉が猿渡吾郎と花岡尚樹の仕掛けた罠にまんまと掛かった瞬間である。すぐさまネット投稿小説として発表すると、特撮ファンらの喰い付きは予想以上の反響だった。畑中辰吉に不満を募らせていた特撮ファンは想像以上に多かった。彼の傲慢な愚かぶりを見逃していなかったと同時に、特撮ヒーローの無様の実態を知って納得した。 “夢を返せ” と著者である猿渡吾郎に八つ当たりする者まで現れたが、“筋違いの甘ったれた八つ当たり” と、同じ特撮ファンらの総攻撃を浴びた。後日、花岡尚樹の調査で “夢を返せ” と2ちゃんねるに投稿したのは染山古都江という畑中辰吉の特撮愛人だった。彼女も用が無くなれば畑中辰吉によって容赦なく2ちゃんねるで叩き捲られ、掃いて捨てられる運命にある一人だった。


 そうしている間に、畑中辰吉自慢のブログが炎上した。偽善ぶった慇懃無礼で非の打ち所のない言葉の羅列が舞い踊るブログが炎上したのである。真実を暴いた小説が身を結んだ勝利の瞬間だった。しかし、猿渡吾郎にとって畑中辰吉のブログ炎上如きでは到底治まりが付くはずもなく、その日以来、特撮ファンと特撮オタを区別し、畑中辰吉を2ちゃんねるの糞溜りの “ダマリンちゃん” と命名し、死の報復を以って償わせる決意をしたのである。何故ならば、それまでにも畑中辰吉には俳優業に於ける様々な妨害をされ、俳優としての信用を著しく失墜させられ続けたからである。

 中でも、畑中辰吉の匿名電話による営業妨害は正気を逸していた。決定的に猿渡吾郎の逆鱗に触れたのは、墓参りの帰郷にあった。予約した宿の突然のキャンセル、“猿渡吾郎は前科者のヤクザである”と郷里の至る所に匿名電話を駆け回っていた。猿渡吾郎をよく知る郷里の同級生たちのお蔭で事なきを得たが、猿渡吾郎はその時点で畑中辰吉に対し決定的な殺意が芽生え、冥途の土産の報復旅行計画へと向かわせることになったのである。


 猿渡吾郎の小説によって、特撮ファンたちが畑中辰吉の悪質な醜態に対する集中攻撃を浴びせる中、報復計画の概要が完成した。人脈に頼れば今すぐにでも畑中辰吉を追い詰めることも殺害することも可能だが、猿渡吾郎は猫が虫を甚振るように、己の死を掛けて報復の経過を味わって楽しもうと考えた。そのため、人生最後のご褒美に、報復レクリエーションとして残しておくことを思い付いたのだ。ご馳走を目の前に一番好きなものは最後に食べる感覚である。余命宣告を受け、既に完成していた報復計画を更に見直し、現状にそぐったものに修正し、同時にその旅の経過を小説化することにした。それは報復以上に心弾む至福のひとときとなった。


 猿渡吾郎はその後、報復旅行の出発に際し、少しでも苦痛を和らげるため、抗癌剤治療を受け、治療後の体力の回復を待った。髪は抜け落ちて薄くなったまま回復しないが、病状は落ち着きを取り戻した。余命が延びる可能性が大きくなり、免疫治療などで体調も回復して来たので一時退院による経過観察となった。猿渡吾郎はこの機を置いて報復旅行のチャンスはないと思った。すぐに冥途の土産の報復旅行計画を実行に移すことにした。愛車のジープの移送を現地まで陸送業者に依頼し、列車に乗ってターゲットの住む土地に向かった。猿渡吾郎にとって余命を背負ったにも拘らず、この上ない “楽しい” 報復計画の旅が始まったのである。協力を申し出た三人が調査隊として現地へ先行した。猿渡の懐刀である花岡尚樹、劇団を支援していた広崎啓次郎、猿渡の芸能マネージャーである服部賢である。帰る必要のない死出の旅を満喫しようとする猿渡吾郎の表情は輝いていた。


 猿渡吾郎は列車に揺られながら、ターゲットを睨み据えてペンを走らせていた。

「長く生きていれば、一人や二人殺したい人間はいる。

『おい、そこのお前だよ!』

 人が怨念を以ってターゲットに殺意を抱き続けることは創作業に携わる者にとっては普通のことであり、特段悪いことだとは思わない。 憲法19条は、「思想及び良心の自由」を「侵してはならない」とある。あらゆる目的達成計画の過程で、人は悩み、耐え、学び、大きな成長を遂げ、準備する。拙者もリアル追求のためにいろいろ準備した。そのひとつ、拙者のペンは呪いの五寸釘である。日々、目的達成のために、その刃先に呪文を浴びせ、砥ぎ続けている。

人は意図しようがしまいが、他人を窮地に立たせもすれば、助けもしているのが世の中だ。そして、節度と礼節を貫いて頑張っている人は、多くの人からの陰ながらの肯定と信頼と応援を得易い。拙者もそういう人は、薄縁でも陰ながらの応援はしたいし、目の前で窮地に立っている姿を見たら拙者如きでも、何処ぞに置き忘れた正義感を思い出すだろう。

 拙者は特撮番組に出演したことによって “クソオタ” なるものの存在を知った。常に申し上げていることだが、特撮ファンと “クソオタ” は全く異次元の存在である。“クソオタ”は特撮番組とは何ら無関係と言っていい。その種の人間は、あらゆる場面で偽善の仮面を被って、生きている限り周囲の人間に迷惑と不幸を撒き散らし、感染させる極悪人なのだ。狂犬病や日本脳炎のように、この世から駆除しなければならない病なのだ。五寸釘を何万本撃ち付けて切り刻んだところで、創作の中でなら一切の罪の意識を覚える必要のない存在であると同時に、もし仮に、傍らで現実にそうした災難に遭遇しているのを認めたとしても、無視することが世のため人のためになる場合もあるかもしれない。拙者としては、 “クソオタ” が不幸に見舞われるような現場には近付かないことが重要であるし、専ら創作の上で信頼に足る情報提供と裏取り取材に基いた残虐な演出を楽しむことが至高の極にある。

 拙者の描く “クソオタ” 像は、拙者という刺客に永遠に命を狙われ続け、何人なんびとかによって惨殺されるキャラなのだ。ゆえに、拙者の呪いのペンはこれからもその“クソオタ”キャラを引き摺り出し、そして何人かに駆除させるために呪い続ける。夢か現か、思い当たる者あらば悔い改める必要などない。既に自分が撒いた種によって周囲から徐々に不幸が襲っている。今は自分に不幸が向かっているなどとは思いも寄らないだろうが、もう起こっている。気付いた時、既に遅しで、動けば動くほど首の締まり具合が快感となろう。生まれたことを後悔する瞬間がゴールだ。現実に於いても、拙者に至高の極を与え賜うたことを神仏に感謝する。


 ここにクソオタが産んだクソ溜りの生霊 “ダマリンちゃん” が繁殖して飛び散った。拙者は呪文を施し、繁殖ダマリンちゃんを一個体に纏めた。そのダマリンちゃんが、これからクソオタのもとに帰る旅が始まる。この呪いは、ダマリンちゃんがクソオタの魂に帰り、一体となるまで恐怖が続く。

『わたし、ダマリンちゃん…あなたの魂よ…やっと故郷の狩野川に辿り着いたわ。今、我入道の渡し船に乗るところなの』


 ダマリンちゃんがクソオタの魂に帰ることは己の死を意味するのだ。(合掌)


 これはフィクションです。』


 そう書き終えて猿渡吾郎は一先ず呪いの五寸釘を治め、期待の車窓に目を移した。そこには、この旅を許してくれた妻の寂しげな笑顔が浮かんでいた。


( 完 )

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