第7話

どれくらいの時間がたったのだろうか。気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。

桂木を放置して延々と泣き続けていたことに気づき、澪は慌てて謝った。


「あ、あの、すみませんでした」

「いえ、気になさらないでください。これが私たちの仕事ですから」


手を振る桂木の姿は、どこからどう見ても賢一ではなかった。あらためて見ても、シャツ以外に似ているところがまったくない。

けれど、さっきまでは、まるで賢一そのものだった。


「それでは、ご不明点がなければこちらの受け取りにサインをお願いいたします」


桂木は何事もなかったような顔で紙を指さし、ボールペンを取り出した。賢一の名前の下に受取人のサイン欄があった。


「あの、その前にお伺いしたいことがあるんですけど」

「どうぞ、ご遠慮なくおっしゃってください」

「今のは……何だったんでしょうか」


「真心便のお届けです」

桂木がにっこり笑う。


「その……。最初のほうのご説明を、あんまり聞いていなくて……すみません……」

消え入りそうな声で言う。とても申し訳ないが、事実だから仕方がない。


「いえ、お客様のお気持ちはよくわかります。先ほど申し上げた通り、私たちはご依頼主様の真心をお届けしています。今回は空田様から、『自分の想いを、そのまま届けてほしい』とご依頼を受けて、こうしてお届けさせていただきました」


「依頼を受けられたのはいつ頃なんですか?」

「半年少し前くらいでしょうか」

桂木の視線の先を追うと、先ほどの紙の賢一のサインの横に日付があった。澪に別れ話をした2週間後の日付だった。


「それで、今届けに来てくれたんですか?」

「はい、空田様から半年後に届けてほしいというご依頼でしたので」


「全部、お見通しなんだなあ」

涙声で上を向く。また涙がこぼれそうだった。


真心便の事はいまだによくわかってはいなかったが、賢一が伝えたかったことは確かに胸に刻まれていた。そしてそれを伝えるために、目の前の桂木という男が頑張ってくれたのだろうということもなんとなく理解していた。


「なにがあったかとか、聞かないんですか?」

「私たちは運送会社です。真心をお運びするのが仕事ですから、お客様の事情を詮索することはありません。ただ、私たちは、本物の『真心』しか運びません。そこに嘘偽りがないことを確かめてお届けしています。それだけはお約束できます」


終始絶やさぬ笑みを浮かべたまま、しかしまっすぐな目をして桂木は言った。

その言葉に込められた意味をかみしめる。震える声で「ありがとうございます」と澪は頭を下げた。




窓の外には夜の街が広がる。

車のランプが色とりどりに糸を引き、人々の騒めきが遠く聞こえる。

外からの風にあおられ、カーテンがふわりと揺れた。

ずいぶん久しぶりに窓を開けたが、夜風はこんなに気持ちのいいものだったんだ、と驚く。

 

ずっと賢一のことが好きだった。その気持ちを押し殺していたところに訃報を聞いて、その気持ちの置き場所を見失っていた。ぶつけることも捨てることもできなくて、どうしていいかわからなかった。

でも、賢一のことをこれからも愛し続けていいんだ。好きでいていいんだ。

それは、澪にとっての救いであり、許しだった。


この先、新しい出会いがあって、誰かと共に新しい道を歩んでいくかもしれない。その時が来たとしても、賢一のことを愛し続けよう。私を心から愛してくれた彼のことを。


澪は大きく伸びをした。長らく動かしていなかった体がばきばきと音を立てた。お腹が盛大に鳴って苦笑する。体が急激に生きる活力を取り戻してきたらしい。

買い置きしていたカップラーメンでも作ろうと、お湯を沸かす準備をする。

ふたたび風が吹いて、窓に目をやる。

立ち去った桂木の背中を探しながら、「真心課かあ」と呟いた。


依頼人の望む形で、その真心を届ける仕事。

――ちょっと、面白そうだな。

 

テーブルの上に置かれた桂木の名刺が、優しい風に吹かれてさわさわと揺れていた。

 

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