人類サイド第4話

その者は、少年か青年か。

 世界中にダンジョンが出現し、一般市民のみならず政治を動かすべき存在である内閣府の人間にあたる者まで情報が正しく伝わった全ての国の、全ての人間が皆一様に、動揺と恐怖と現実を認めない為に語彙の限りを尽くして――やはり動揺からか限りを尽くしたと言うには余りに乏しいものであったが――それを否定している最中。


 一つの存在が、アスファルトに横たわっていた。

 そのダラン、と広げられたその手足に力は宿っておらず、放心したように開いたまま閉じられない口は言葉を発していない。目は閉じられて、光が宿っていない。


 その者は少年か青年か。恐らく高校生だろう。

 日本人の平均的な身長を大きくとは言わずとも上回る体躯に、シックスパックにはならないがついていないわけでもない筋肉。

 髪の色は銀。一口に銀といっても様々な種類があるが、彼のそれは磨きが足らぬ鈍いものではなく手間を惜しまず汚れや錆を徹底的に取り除かれたような鮮やかなタイプで、眉毛に少しと耳の半ばまで、後方は首の付け根に近いところまで伸びていた。

 服は学生服になっている。今は夏なので半袖のYシャツにズボンだけの簡単なものだ。


 目は閉じられているため、瞳の色は読み取れない。しかし、それ以外の情報から組み立ててシミュレートすることは可能だろう。

 目鼻立ちは優しげなものだった。これが少年か青年かの判断に迷った原因だ。

 鼻が高く滑らかでありながらも要所要所で緩やかにならず曲がっていれば、それだけで印象が優しげというものからクールに移り変わるだろう。

 そんな高校生だろう存在は、薄く目を開け、光を目にしてから一度眩しそうに瞼を落とそうとしながらもその目を更に開けていく。

 その瞳は、緑と蒼が混じったような色合いをしていた。

 マリンブルーとは明らかに違い、深碧というわけでもない、エメラルドグリーンとも違う感じだ。

 それでいて、絵の具を混ぜるのに失敗したみたいな感じはしない、自然に混ざり合っているので、どこか神秘的な雰囲気を醸し出してすらいる。

 と、彼が口を開く。


「ん……あぁー……ここどこ?」


 少年の声は、少し掠れていた。そしてその理由を青年は知っている。


「俺……気を失ってたのか」


 それも、恐らくかなり長い間。彼に人間はどれだけ声を発さなければ声が掠れるのかなんて知識は無いが、数時間程度でそうはならないだろう。現に、青年には何時間も声を出さなかった経験が――


「――んん?」


 その存在は、首を傾げた。

 普通に暮らしていたらあるはずの声を出さなかった経験が記憶に無いのだ。普通に睡眠するだけでもロングスリーパーならば10時間ほど声を出さない時間があるはずなのに。

 というか喋った記憶も、黙った記憶も、学校に行った記憶も誰かに会った記憶も無い。親の顔すら覚えていない。


「これ、記憶喪失って、やつか……!?」


 彼は、そう予測する。喋った記憶は無いのにどうやって喋るのか、言語をどうやって発するのかなどは覚えている。寝た記憶なんて無いのに、寝るという行為があることは覚えている。さらに、今の少年の体は高校生のものだ。

 この感じは、恐らく記憶喪失だろう。符号がピッタリ会っている。会っているという感想が出る時点でそれが正しいと言っているようなものだ。


 だからこそ、青年は自分の姿はどんなものなのか確かめようとする。もしかしたら何か思い出せることがあるのかもしれないのだし。

 考えるより先に行動する、痛い目にあった記憶が無い記憶喪失の子供はそういう行動原理をしている。


「鏡、鏡、そうじゃないならスマホは無いかねーっと」


 少年はそんな軽い調子で辺りの地面をザッと見てみる。記憶喪失と理解していても実感は余り湧かないなあと思いながら。そしてスマホという日常生活に組み込まれていただろう単語が出て来たことに記憶喪失であるという確信を強めながら。

 そして彼は、見付けた。

 地面に開いた大穴を。階段なんてお膳立てするような設備はなくとも意外と壁面が凸凹していて降りやすくなっているそれを。

 暗闇の先に待ち受けているのだろう何かへの危機感を、己の中に見付けた。


 だから少年は、大穴の中の暗闇にも微塵も怯まず、近付くために脚を踏み出す。

 その目的は、一つ。


「何だか分からないけど……助けなきゃ」


 この先これを放置したら、誰かに危険が及ぶのだろうなと考えたから。

 それは、絶対に嫌だと思ったから。ここで何となくで見逃して犠牲が出たら心が罪悪感で耐え切れなくなると直感で理解できたから。


「こんなもの少しでも早く壊して……一人でも多く、救わなくちゃ」


 彼が普通の高校生なら、不安定で不信感不安感が募っているはずだったのだろうが、火事場の馬鹿力なのかそれとは逆に強い意思が宿った心を軸に、その言葉を繰り出した。

 そして、意思の強さに比例するような強い力が宿った脚を、一歩一歩と進めていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モブで地味な俺だけど、現実世界にダンジョンができて種族がゴブリンになったから鍛えて進化して最強を目指す @RANDOSERU

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ