2 騎士たちの可愛い殿下

「護衛対象が俺とは、がっかりしただろ。せっかく、騎士で、近衛なのにな」


 大人用の椅子に座り、足をぶらぶら揺らしながらうつむく男の子は、母に捨てられた第一皇子。

 彼には元々一人の近衛騎士が付いていたが、皇子の言葉は、新しく第一皇子付きとなった若い二人へ向けられたものだった。


 七歳となった第一皇子の護衛が増員されたのは、彼の父である皇帝がもう一人の息子の存在を気に掛けたからではない。第一皇子が産まれた頃からそばにいる、たった一人だけ残った近衛騎士が隊長へ進言したからだ。


「これからイェルハルド殿下は、後宮の外へ出ることもあるでしょう。せめてもう二名ほど、人員を補充してはいただけないでしょうか」


 ロルフ・フリクセル。出世を諦めた近衛騎士と言われる人物だ。


 彼は平民から騎士となり、実力が認められて近衛隊の所属となった。

 最初は他の近衛騎士たちも共に、他国から迎えられた側妃の護衛をしていたのだ。彼女が国へ帰ることとなり、近衛騎士たちはその任を解かれたが、ロルフは志願して、第一皇子の護衛として残った。


「ラーシュ・クロンクヴィストと申します」

「マルク・ダールストレームと申します」


 後宮は、皇帝と皇子を除いて男子禁制となっている。例外は皇族の護衛である近衛騎士のみ。だが近衛騎士であっても、後宮内の女人との会話は禁じられていた。

 禁を破れば男女共に死罪が待っている。


 女達は一度後宮へ入れば、一生をそこで過ごすこととなる。皇帝直々の許可を勝ち取り第一皇子の母が帰国出来たのは、極めて稀な例だった。

 逆を言えば、後宮に入ることが出来れば衣食住は一生国が面倒を見てくれるということになる。


「クロンクヴィストのラーシュ……伯爵家の三男。ダールストレームのマルクは、侯爵家の四男か……。なるほど、悪くない」

「お褒めに預かり、光栄にございます」

「お前たち二人にとっては貧乏クジだったろうがな」


 幼い皇子とロルフの会話に、若い近衛騎士の二人は目を丸くした。

 帝国内に貴族は五万といる。事前にロルフが伝えていたのだろうかとも考えたが、皇子の表情と口振りから推測するに、そうではないようだ。

 第二皇子とは違い、後宮の外へ出て来ることのない第一皇子。幼いながらも己の敵味方をきちんと把握している様子が、窺えた。


「俺は、後宮の外のことをあまり知らない。教えてもらえたら……嬉しい」


 はにかんだ笑みは年相応で可愛らしい。この皇子を守れるのは光栄なことだと、ラーシュとマルクは感じていた。


「ラーシュ! マルク! うわぁっ……き、今日も、来たのか?」


 ロルフと共に、後宮内の第一皇子の自室を訪れると、頬を紅潮させたイェルハルド皇子に出迎えられた。

 マルクが「我々は殿下のための騎士ですから」と答えれば、とても嬉しそうに笑ってくれる。


「でも俺、まだ怖いから外には出ないぞ? 出たら、皇后にバクリと食べられるんだ」

「そのようなことは、ないと思いますよ?」

「ラーシュも知っているはずだ。皇后は、人を丸呑みにするんだろう? ここでは先生たちが守ってくれるが、お外は危険だと言われている」

「先生、ですか?」


 ラーシュとマルクは顔を見合わせた。第二皇子とは違い、第一皇子に家庭教師は付けられていないはずだった。


「ラーシュとマルクとも遊びたいが、今日もこれから先生に会いに行く。大人の男は来てはいけないんだ」


 行ってくる! と言って窓から飛び出そうとしたイェルハルドを慌てて追おうとした若い二人を、ロルフが止めた。

 止められた一瞬の内に、小さな背中は見えなくなってしまう。

 どういうことかとロルフへ詰め寄れば、苦笑を浮かべた年上の騎士は、何も言わずに茶の支度を始める。


「イェルハルド殿下は今日も自室に騎士と共にこもっている。ということに、して欲しい」


 職務中上司から茶を振る舞われるという落ち着かない状況。しかも護衛対象の姿は、完全に見失ってしまっている。


「二人とも、姉を失っていたな? 皇后候補だったはずだ」

「ロルフ殿は何かご存じなのですか!」


 言葉とともに立ち上がったマルクの腕を、ラーシュがそっと叩く。年上の近衛騎士の瞳をまっすぐに見つめ、ラーシュは口を開いた。


「……だから、俺とマルクをお選びになったのですね、ロルフ殿は」

「味方になるかはともかく、イェルハルド殿下の敵にはならんだろうと思ってな」

「そう、ですね。自分とラーシュは、ロンカイネン公爵家を疑っていますから。皇后陛下は、ロンカイネン家のご息女。イェルハルド殿下から見れば我々は、敵の、敵」


 ロルフから二人が指名されたのだと近衛騎士隊長から聞かされた時からなんとなく、わかってはいた。昨日の第一皇子との対面で、確信してもいた。


 ラーシュとマルクの姉の死因は、事故とされている。

 だが二人とも疑っているのだ。事故は、作為的に起こされたものだろうと。

 二人の姉の他にも皇后候補は存在したが、ロンカイネン家の娘以外は皆、不慮の事故により命を落とすか辞退している。

 今は、一人だけ残ったロンカイネン家の娘が皇后となり、未来の王太子である第二皇子の母となった。

 皇帝がロンカイネン家を恐れている上に証拠がないため、彼らは野放しにされているのが現状だ。


「後宮には、お子が流れてしまった側妃たちが残っている。彼女たちは殿下の母君とは違い、家には帰れない」


 イェルハルド皇子の母は、属国の王女とはいえ他国の人間。人質は必要ないと、判断された。

 他の側妃たちは帝国の人間。皇帝側の人質のようなものだ。娘が皇帝の手中にいる限り、彼女たちの実家は謀反を起こせない。

 近年貴族たちは各々力を付け、虎視眈々と、皇帝の権力を狙う動きがある。現在の帝国は、外よりも中の方が危険なのだ。


「元々優秀な方々だ。皇后から隠れ、彼女たちが殿下の家庭教師をされているようなのだ。……直接話を聞くことが叶わんから、思惑はわからない。だが俺は、イェルハルド殿下を様々な悪意からお守りしたいと考えている」


 ロルフから聞かされた密かな決意。ラーシュとマルクは、返す言葉を見つけられなかった。まだ二人は、幼い皇子のことを何も知らないのだから。


 昼近くになり、ひょこりと、小さな皇子は行きと同様窓から帰って来た。どことなく、落ち込んだ様子だ。

 ロルフが何かあったのかと尋ねれば、イェルハルド皇子はラーシュとマルクの前へ来て、二人を見上げた。

 二人は、小さな皇子の目線に合わせて膝を折る。


「叱られてしまった。ロルフがいるからと甘えて、せっかく来てくれた新しい騎士たちへ何も言わずに姿を消してはいけないと、先生から言われた。俺がいないと困るだろうと。……困らせて、ごめんなさい」


 しょんぼりうつむく皇子が愛しく思え、ラーシュとマルクは、目を細めた。


「ロルフ殿より、ご事情は伺いました」


 ラーシュの言葉で、皇子はそろりと、顔を上げる。


「殿下は、勉強がお好きなのですか?」


 マルクの言葉を聞いた皇子の顔には、パァッと明るい笑顔が浮かぶ。


「好きだ! 頑張ると褒めてもらえる。剣も好きだぞ! ロルフに教えてもらっているんだ」

「では、殿下がよろしければ我々も、剣の稽古のお相手を致します」

「本当か!? 今からか?」

「いつでも。殿下がお望みの時に」


 イェルハルド皇子は賢い子供だった。

 そして、後宮の中では自由で、多くの女たちからひっそり守られてもいるようだった。


「先生はどういう人か?」


 ある日剣の稽古相手をしながら、マルクが気になっていたことを聞いてみれば、イェルハルド皇子は顔を曇らせ悩む素振りを見せた。


「先生はたくさんいる。皆が先生で、個として考えることは禁じられている。だから『先生』という存在を語るのは難しい」

「母のような人たち、ではないのですか?」

「皇后は、ヴァルデマルを駒と考えているのだろうか?」

「っ、それは……」


 思わず、マルクは言葉に詰まってしまう。

 ヴァルデマルとは第二皇子の名で、皇后は、第二皇子の実母。


「俺の知る母という存在は、皇后しかいない。だが先生と皇后は、似たようなものかもしれないな。……俺は、母はわからないが父ならわかるぞ! ロルフだ!」


 剣を放り投げたイェルハルド皇子が、両手を広げて駆け寄った先。ロルフが腰を屈め、小さな男の子を抱き上げた。

 困ったような笑みを浮かべ、大きな手で皇子の頭を撫でている。


「そのような顔をせずとも、わかっている。気分を味わいたいだけだ」


 産まれた時からそばにいる近衛騎士の肩へ顔を埋めながら、皇子が呟いた。


「いつか俺がここを思い出す時、懐かしいと思えるのは……ロルフと、ラーシュと、マルクのことだけだろうと思うのだ」


 声と、言葉と、仕草。それら全てが、イェルハルド皇子は孤独なのだと、物語っているようだった。

 この孤独な皇子を、己の存在の全てを掛けて守ろうと、三人の近衛騎士たちは誓っていたのに――


 外敵の驚異から体を守ることはたやすい。だが心は、近衛騎士という立場では、守りきれなかった。


「俺は産まれるべきではなかったと、近頃強く思う」


 後宮の外へ出るようになったイェルハルド皇子の周りには、皇后と敵対する派閥に属する貴族たちが、まるで蜜を求めるアリのごとく集まるようになっていた。


「後宮にこもり続けるわけにもいかん。公務をおろそかにすることも出来ない。……もっと上手く立ち回らねば……ヴァルデマルに、迷惑が掛かる」


 後宮内の自室に戻ったイェルハルド皇子が両手で頭を抱え、こぼした弱音。


「殿下……」


 室内にいるのはイェルハルド皇子と、第一皇子付きの三人の近衛騎士のみ。

 心配したロルフが膝を付いて顔を覗きこめば、イェルハルド皇子はその顔に、静かな笑みを浮かべた。


「心配を掛けてすまない。少し、疲れただけだ」

「……皇帝陛下に、相談されるのはいかがでしょう?」


 イェルハルド皇子は、十三歳になっていた。


 少しずつ後宮の外へ出るようになり、与えられた仕事をこなすようになった。その仕事ぶりが評価され、どうやら皇帝が第一皇子を気に掛けているようだと、ロルフたちは近衛騎士隊の隊長から聞かされた。

 だから、提案したことだった。


「俺は、皇帝に近付くわけにはいかない。側妃たちの思惑には乗りたくないのだ」


 いつの頃からか、イェルハルドの口から「先生」という言葉は全く聞かれなくなっていた。同時に、まだ十三歳の子供だというのに、イェルハルドからは子供らしい明るさがすっかり失われてしまった。


「それに俺が皇帝に近付けば、皇后が黙っていないだろう」


 皇后に、表立った動きはない。だが何度か後宮の外で、毒を盛られたことがあった。

 イェルハルド自身が気付き大事には至っていないが、トカゲの尻尾切りのように、黒幕には辿り着けないでいる。

 忌み子と呼ばれた第一皇子は帝位など望んでいない。それなのに周りの大人たちが、彼を先頭に押し上げ皇后と敵対させようと画策している。

 イェルハルドなら皇后を失墜させられると、信じているようなのだ。


「弟の邪魔など俺は、望んでいない」


 第一皇子の心の内など気にも止められず、大きなうねりは、少年へと襲いかかる。


 そして迎えた、運命の日――。


「ロルフ、ラーシュ、マルク」


 イェルハルド皇子は、己の近衛騎士たちの名を呼んだ。


「俺にとって、お前たちはとても大切なんだ。毒牙に掛かって欲しくない」


 うっすら涙が浮かぶ少年の顔を見つめ返し、三人の近衛騎士たちはそれぞれに、笑みを浮かべる。


「ご安心を。後から必ず、我々もサージハルへ向かいます」


 ラーシュは、力強く頷いて見せ


「ご理解ください。追手の目を引き付けるのに、我々以上の適任はおりません」


 マルクは深い慈しみを声と表情に乗せ


「我々三人が揃った方へ、追手は来るでしょう。このロルフ、決して死なぬとお約束致します。必ず、殿下のおそばへ舞い戻りましょう!」


 皇帝が毒殺され、第二皇子が即位する。

 皇后の手の者から逃げるため、イェルハルド皇子は皇宮を脱出せざるを得なくなった。


 ロルフとラーシュとマルクが第一皇子の腹心であることは、有名な事実。だからこそ、追手の目を引き付け欺くために三人は、イェルハルド皇子とは別行動を取る道を選択した。

 近衛騎士たちは、忠誠を誓うイェルハルドから危険を遠ざけるためにそばを離れた。


 この選択を激しく後悔することになるとも知らずに……。


 なんとか追手を巻いてサージハルへと辿り着いた三人へもたらされたのは、イェルハルド皇子の、訃報だった。


「何故、守るべき御方に守られお主らが生きているッ!」

「……ッ、我々が殿下のおそばを離れたことが、間違いだったのです」

「ロルフ殿、ラーシュ! 諦めるのは早いですよ! きっと殿下は生きておられます! 我々を待っているはずです! 探しに行きましょう!」


 サージハルの国王から、東国にとっての聖域であるソシエル山脈へ踏み入ることを禁じられ、三人は、勝手な行動をしないよう軟禁された。

 亡命した者たちはイェルハルド皇子の命よりも己の保身を選んだのだ。帝国に帰れない彼らは、サージハルの怒りを買うわけにはいかないと判断したのだろう。


 時が立ち――諦めとともに、軟禁は解除された。


 墓は立てていない。墓を立ててしまえば本当に、イェルハルド皇子は死んでしまうような気がしたのだ。

 どこかで生きていることを信じ、三人は、情報を集め続けた。


「ロルフ、お前……酷い顔だな?」


 サージハルでの生活にも慣れ、二年が経つころ、街中でフードを目深に被った若者から声を掛けられたロルフは、戸惑った。声と雰囲気が、よく知る少年に似ているような気がしたのだ。


「心配、させたよな?」


 フードがずらされ、現れた、その顔。


「い――イェルハルド、殿下?」


 若者は口元をほころばせ、笑った。無邪気な、幼い頃のような表情で。


「あの頃より成長したはずなのだが、俺だとわかるとはさすがだな。……ロルフ。今、戻った」


 泣き崩れそうになったもののすぐに大地を踏みしめたロルフの小脇に抱えられるようにして連れて行かれた先で、イェルハルド皇子は、ラーシュとマルクとも再会を果たした。


「殿下ッ、よくぞご無事で……っ!」

「ラーシュ、マルク。久しいな。お前たちも、ロルフに負けず劣らず酷い顔だ。……俺の、せいだな」

「良いのです! ご無事だったのなら、良いのです」

「殿下は生きておられると、信じておりました!」


 生きて舞い戻った第一皇子は再び笑顔を失い、血塗れの道を、選ばざるを得なかった。


  ※


「それじゃあロルフさんは、シン君が赤ちゃんの頃からおそばにいるんですね!」


 西国の町娘姿で、栗毛を帽子の中へ隠した籐春が笑顔を向けた先にいるのは、皇帝付き近衛隊の隊長ロルフ・フリクセル。ロルフもまた、普段身に着けている近衛騎士の制服ではなく、私服姿で腰に剣を下げている。


「産まれたばかりのシン様は本当にお可愛らしかったですな。言葉を操れるようになってからは、ロルフ、ロルフとおっしゃりながら両手を伸ばして来られて……」

「あ、ちょっとまた泣いてるんですかぁ? マルクさんとラーシュさんは、シン君が七歳からでしたっけ?」


 春と同様、町娘の服装で黒髪を帽子で隠した林明明から渡されたハンカチで目元を拭うロルフから視線を横へと移し、春はもう一人の顔見知りの騎士へと問い掛けた。

 マルクと呼ばれた騎士は現在、皇后付き近衛隊副隊長をしている人物で、彼もまた私服姿に剣を佩いている。


「七つの頃のシン様もお可愛らしかったですよ。ラーシュと共に、剣の稽古のお相手をよく致しました」


 昔を懐かしむように目を細め、マルクは口元をほころばせた。


 視線の先にいるのは、お忍びで街中の視察をしている玲燐とイェルハルドの姿。

 玲燐は丈の長いワンピースに、帽子とサングラスで目立つ髪と瞳を隠している。万が一帽子が外れてしまった時のため、鮮やかな真紅の髪は染め粉で黒く染めてある。

 イェルハルドは、シンプルな服装に玲燐とお揃いのサングラスを掛けていた。顔の傷全てを覆いきれてはいないが、潰れた左目は隠れている。


 二人の周囲には、近衛騎士たちが散らばり潜んでいた。


「素敵だぞ、シン! 夫が素敵過ぎて、心臓がつらい」

「レイも、いつもと違う髪色と装いだがそれも良いな。似合っている」

「前の街でこのサングラスを見つけたのだ。絶対シンに似合うと思って、買ってみた」

「視界がやけ暗くて、妙な感じだ」

「見えづらいか? 手を繋いでやるぞ!」

「あぁ。頼む」


 サングラス越しに互いの目を見て微笑み合う夫婦は現在、エスターニャ全土の視察旅行中。あらゆる街を巡り、場合によってはその地を治める貴族にも会う。


「ラーシュさんがついて来ていたら、また泣いてましたかね?」


 春に聞かれ、マルクは小さな笑みを浮かべた。


「自分も泣きそうなので、恐らくラーシュも泣くでしょうね」


 ラーシュは、皇帝命令で視察旅行のメンバーから外されていた。皇帝と皇后が不在の皇宮で問題が起きないよう、目を光らせる役目を負っているのだ。皇后付き近衛騎士では、リキャルドもお留守番組となっている。


「私たち雅烙の人間にとっては見慣れた光景なんですけどね~。シン君って、幸せな子どもじゃなかったんです?」

「……幸せの、定義によります。ですが、あの方から笑顔が消えてしまうような環境ではありました」

「シン様はな、本当は補佐役として、弟君を支えることを望んでおられたのだ。だが周囲はそれを良しとはせんかった」


 ロルフたちがイェルハルドのことを「陛下」と呼ばず「シン」と呼んでいるのは、皇帝がこの場にいるということを伏せておきたいからだ。


「弟君の母上にとってシン様は邪魔な存在でしかなく、歩み寄ろうとは、決してなさらなかったのです」

「彼女と敵対していた方々に、シン様は育てられた。母代わりであっても誰一人として、シン様のお心に目を向けようとはせんかったのだ。……あの頃は、己が平民で何の権力も持たぬことが口惜しいと、毎日考えていた」

「マルクさんとロルフさん、それとラーシュさんは、シン君にとっては救いだったのでしょうね」


 優しく落とされた明明の言葉。近衛騎士の二人はちらりと明明へ視線を向け、言葉の真意を問う。


「歪まなかったのは、シン君自身の強さです。でも、心の支えがなければきっと、あの子は折れてしまっていたでしょう。――父と、年の離れた兄が二人いると、優しいお顔で言っていたんです。最近気付きました。あなた方三人のことを、シン君は話していたのでしょうね」

「明明さんっ……よして下さい。泣いてしまうではないですか!」

「マルク。俺は、目から汗が流れて止まらんッ」

「ロルフ殿、それは涙ですよ。目立つので頑張って止めてください」

「すまんっ。あぁ明明殿、ハンカチ、申し訳ない!」

「大丈夫ですよ。お気になさらないでください」

「明明先輩ってばもぉ~、泣かせちゃダメじゃないですかぁ」

「あら。でも、泣くのは悪いことではないわよ」

「今この場で泣かれるのは良いことではないと思いまーす」


 遠目から四人の様子に視線を向けた玲燐の口元が、緩やかにほころんだ。

 それに気付いたイェルハルドも玲燐の視線の先を追い、ロルフの号泣に気が付く。


「あいつらは何をしているんだ?」

「さてな。昔話にでも花を咲かせているのではないか?」

「……一度、気を引き締めさせなければならんな」

「他の者らに示しが付かんか」

「その通りだ。ロルフとマルクは、この場の責任者なのだから」

「まぁ良いじゃないか。平和ということだろう」

「そういうわけにもいかん」


 背伸びをした玲燐が、トン、とイェルハルドの眉間を人差し指で突く。


「彼らはかなりの手練。あの状況でも、何かあればすぐに動けるだろう」

「警戒の糸が切れていないのは、俺もわかっている」

「厳格であることは悪いことではないがな。疲れないか?」

「レイと再会するまで俺は、ずっとこうだったからな」

「私は、柔らかく穏やかなシンも大好きだぞ」

「ならば夜に、柔らかに甘やかしてやろう」

「~~っ、突然色気を出すな!」

「俺は、可愛らしく照れているレイも大好きだぞ」


 真っ赤な顔の玲燐と、口元をほころばせて愛しい妻を見下ろすイェルハルド。

 頭上には心地よく晴れ渡った青空が広がり、穏やかな街の喧騒の中、二人の周囲には甘ったるい空気が満ちていた。



Ended happily.

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林檎姫と隻眼皇帝の初恋 よろず @yorozu_462

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