サイドストーリー
1 忌み子の皇子と陰謀の友人
父に連れられて行った皇宮の一室。引き合わされたのはにこりとも笑わない、忘れられていた第一皇子だった。
「ベーヴェルシュタム侯爵家の、ガスパル……」
名乗ったガスパルに掛けられた声はそれだけで、何かを確認するように彼はそう言った。
共に過ごす内に彼の頭の良さには舌を巻いたが、それ以外に惹かれる点は皆無。友人として時を過ごすのは退屈だった。
年下の友人というよりも子守を押し付けられた感覚で、皇后に溺愛されている、脳内お花畑な第二皇子よりはマシという程度。
皇后をよく思わない大人たちは、第一皇子に何かを期待しているようだった。それが悲劇を生むとわかった上で、大人たちは彼に、期待を押し付けたのだ。
第一皇子が、ずっと忘れられたままだったなら。
才能の欠片もないただの阿呆であったなら。
当時の皇帝が、第一皇子の才能に興味など持たなければ……。
恐らく皇帝の毒殺は起こらず、時間を掛けて知識と経験を積んだ第二皇子ヴァルデマルが平坦な道を歩き、皇帝の座に就いていたことだろう。
だからイェルハルドは恨んでいる。己自身とこの国の貴族たちは彼にとって、憎しみの対象なのだ。
「アスピヴァーラ子爵家の、エサイアス……」
「はい! 皇帝陛下」
皇帝が記憶を手繰るように相手の名を呟くのを聞くと、ガスパルはいつも緊張する。幼い頃に同じことをされた覚えはあるが、己の家が清廉潔白で本当に良かったと、今更ながら思う。
ガスパルのみならず、玉座の間に集まったエスターニャ帝国の政治を動かす者たち全員が同じ思いで、これから起こるかもしれないことを想像して顔面が蒼白になっている者も、中にはいた。
ガスパルも、必死に記憶を手繰る。事前調査では、アスピヴァーラ子爵家に、特に問題は見つからなかったはずだ。
「この度ご挨拶に伺いましたのは――」
何も気付かず、男の口は滑らかに言葉を吐いている。
多くの首をはね、異母弟を殺して玉座へおさまった十七になったばかりの皇帝を前にして、機嫌を取ろうと必死になっている様子。
恐らく、若さを理由に侮っている。
少しでも良い印象を与えて甘い汁をすすりたいのだろうが、皇帝が受ける印象は既に、謁見前に確定してしまっていることがほとんどなのだ。
「……思い出した」
低く、呟かれた声。
皇帝の頭の中には、どこまで深い帝国貴族に関わる情報が記憶されているのか、計り知れない。
情報源は明かされていないが、情報はいつでも正確だった。
ガスパルも、亡命前までは彼を侮っていた。優しさが欠点だと、考えていた。
まだまだ若輩者のガスパルを宰相へと指名した皇帝を、情に流される子供なのだと、この場の誰もが心の中では見くびっていた。――少し前までは。
「民は国の宝。すなわち、俺の宝だ」
カチャリ。金属が奏でる冷たい音と共に、皇帝が立ち上がる。剣を手に、階段を下りて行く。
状況を理解出来ていない男は訝しげに、皇帝の姿を見上げていた。
「アスピヴァーラ子爵領を徹底的に調べろ。人身売買の証拠が出て来る。しっかり、探すんだな」
命令と共に、男の首が胴体から切り離された。
誰もが悲鳴を口腔に飲み込む中、皇帝は表情一つ変えずに言い放つ。
「俺を担ぎ上げたお前らは、自分たちを優秀だと、考えているのではなかったか?」
嘲りを表情に乗せることなく淡々と、皇帝は高官たちの顔を見回した。
「それとも、俺も殺すか」
流れ出る血が床を汚す、玉座の間。
「この光景を目にする理由は、己らが手を抜いた結果と心得よ。……あと何度、お前らは繰り返すか」
最後にそう告げると皇帝は、玉座の間を後にした。
皇帝が、自分たちを試している。
この頃から政治の中枢にいる貴族たちは、イェルハルドという名の少年に薄気味悪さを感じるようになっていた。
だがそれは、時間を経るに連れ徐々に、全幅の信頼へと移り変わっていく。
復讐のような粛清。皇帝となった少年は、涙を流す代わりに血の雨を降らせた。隠れて悪事を働いてきた貴族たちにとっては、恐ろしい時代の到来だ。
一年と掛からず、帝国内の貴族の勢力図は大きく書き換わることとなる。
民にとっては英雄だが、暴利を貪って来た悪徳貴族にとっては死神――それが、即位直後のイェルハルド皇帝の姿。
膿は一掃され、帝国内はすっかり、風通しが良くなった。
全てを間近で見てきたガスパルは、彼に犠牲を強いた側の人間。今更共に笑い合うことなど出来るはずがない。そう……考えていた。
現在、玉座の間に置かれた椅子は二つ。
皇帝は、すっかり成長して貫禄が備わった隻眼の男性。
皇后は、真紅の髪に黄金の瞳を持った異国の顔立ちの女性。
二人は今、皇宮を不在にしている。
婚姻後になさねばならぬ仕事を全て片付けた後で、エスターニャ帝国全土の視察旅行へ出掛けているのだ。
通常女性を伴う旅ならば、馬車を使用するため移動にとても時間が掛かるのだが、現在の皇后も、護衛を兼ねた侍女二人もかなり身軽に動ける。
不在の間の采配は、宰相であるガスパルを筆頭に、高位高官を務める貴族たちに任されている。
長くなっていた鼻は、とうの昔にへし折られた。
任されたことで、いつも眉間に皺を寄せていたあの恐ろしくも優秀な皇帝に存外信頼されていたのかと、気が付いた。
玲燐が来てからの皇宮は、すっかり明るくなった。
イェルハルドもよく笑うようになった。
恐らく行く先々でも二人は幸せそうに、寄り添い合っていることだろう。
部下たちと共に書類と格闘するガスパルの口元には、小さな笑みが、浮かんでいた。
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