星野流美と

自称姉から見た彼女とわたしから見た彼女

 満の兄妹は弟が一人だけ。しかし、幼馴染の二人を筆頭に、兄弟のように仲のいい人が何人か居る。その中の一人が声優の星野流美。満の幼馴染である星野望の姉。わたしは彼女が苦手だ。初めて会った日、わたしが満の恋人だと知ると楽しそうにニヤニヤしながら煽ってきた性格の悪い女だから。あの憎たらしい顔は満によく似ていた。あくまでも姉のような人で、本当の姉妹でもないくせに。

 わたしは星野流美が苦手だが、星野流美の方は何故かわたしを気に入っているらしい。勘弁してほしいと、静の運転する車で今日の仕事現場に向かいながらため息を吐く。今日の仕事はラジオの収録。星野流美がパーソナリティを務めるラジオの。だ。


「着きましたよ」


「ありがとう」


 ラジオ局の前に車を停めてもらい降りると「あ、みのにゃん」と、聞きたくない声が聞こえた。聞こえないふりをして、静にお礼を言って局に入ろうとすると足音が駆け寄ってくる。


「おいおい。芸能界の先輩を無視するなんて良い度胸してんねぇ君ぃ」


 と、声の主はわたしの肩を叩く。振り返るとぷすりと頬に彼女の指が刺さった。睨み上げるが彼女は「おはよう。今日はよろしくね」と一切動じずに微笑む。わたしの態度に腹を立てるどころか楽しんでいる。こういうところも満に似ていて気に食わないと思いつつ、手をそっと払って愛想笑いを作る。


「あら。これは星野さん。あいさつが遅れて申し訳ありません。気付かなかったもので。こちらこそ、本日はどうぞよろしくお願いいたします」


「うわー。絵に描いたような愛想笑い。好きになりそう」


「困ります」


「あはっ。じゃあ困らせちゃおーっと」


 この女……と思わず悪態を吐きそうになるのを抑えて、スタッフに挨拶をしながら一緒に収録ブースに入る。一緒に来るなんてプライベートでも仲が良いんですか? なんてスタッフに言われたが、本当に勘弁してほしかった。


「と、いうわけで。本日のゲストはヴァイオリニストの一条実さんです」


「初めまして。一条実です。本日はよろしくお願いいたします」


 結婚して苗字は一条ではなくなっているのだが、芸名は今も一条実のまま。一条という苗字は好きではないが、定着した芸名を変えたいと思うほどではなかった。


「みのにゃんはクロッカスのヴァイオリン担当でもあるんだよね」


「……あの。みのにゃんはやめてもらえませんか」


「みぃちゃんだと空美ちゃんと被るからさぁ。あ、空美ちゃんってのはクロッカスのドラム担当の子ね」


「普通に呼んでください」


「はーい。分かったよ」


 と、どこか不満気に唇を尖らせていた彼女だが、一息吐くと、一瞬にして纏う雰囲気が変わる。頬杖をついて、イタズラっぽく笑って「実さん」と呼ぶ声も雰囲気もわたしの妻そのものだった。まるで彼女が憑依したような。唖然としてしまうと彼女は「似てたでしょ」と、一瞬にして星野流美の顔に戻る。


「……誰の真似ですか。今の」


「えー。分かるでしょ。妻だよ。君の」


「リスナーには通じないと思いますけど」


「通じる通じる。普段からやってるから」


「元ネタを知らない人の方が多いでしょう」


「でも、みのにゃんの今の反応でクオリティの高さは伝わったんじゃない?」


「似てません。全く」


「ん? なに? 本物の方がもっと可愛いって?」


 と、彼女は満の顔と声で言う。本人もこの場にいたら絶対同じことを言っていただろうなと想像して、思わずため息が漏れた。


「……そんなことより、進行してもらえますか」


「はいはーい。じゃあお便り読みますかね」


 ぐだぐだだ。いつもこうなのだろうかと呆れる。


「えー。ラジオネーム"アラサー人妻女子大生"さんからいただきました。『流美さん、実さん、こんばんは』はいこんばんは」


 情報量の多いラジオネームに苦笑しながら、挨拶を返す。


「『まずは実さん、ご結婚おめでとうございます』」


「はい。ありがとうございます」


「『私も先日結婚したのですが、妻は仕事が忙しく、新婚だというのになかなかゆっくりとコミュニケーションを取る暇がありません。実さんも流美さんも色々なところを飛び回ってお忙しいかと思いますが、パートナーとのコミュニケーションは取れているのでしょうか』だ、そうです。私はまぁ、そうですね。忙しくて帰れない日も多いですけど、なるべく一日一回は電話するようにしてます。出来なくてメッセージで済ませちゃう日がほとんどですけどね。あと、寂しい時は寂しいって素直に伝えるようにしてます。お互いに。実ちゃんは?」


 満は星野流美の出ている番組をほとんどチェックしている。このラジオも恐らく聴くだろう。つまり、この質問に対する答えを彼女が聞くということだ。


「……わたしは別に、寂しいと感じたことはないです」


「うっそだー。君、寂しがりやでしょ」


「いえ。一人の方が好きです」


「んもう。意地っ張りなんだから。あ、そうそう。私の友人ふうふの話なんだけど、交換日記してるらしいよ。夜勤と日勤で、真逆の生活しててすれ違うことが多いから始めたんだって」


「……交換日記ですか」


 確かにコミュニケーションを取る一つの手段ではある。しかし、きっとわたし達には向いていないだろう。星野流美も同じことを思ったのか「まぁでも、交換日記はむしろ逆効果なカップルもいるかもねー」と、わたしを見ながら言う。


「……そうですね。ですが、一つの手段として考えてみるのはありかと思います」


「そうね。実際友人カップルは今もずっと交換日記続けてるらしいし」


「わたし達は絶対続かないと思います」


「あははっ。だろうねぇ。あの子、そういうの絶対めんどくさがるタイプだし。愛の言葉が文字としてずっと残るのも、素直じゃない君らにとってはデメリットでしかないだろうねぇ」


「……次行ってください」


「はーい。続いて、ラジオネーム"ぴよりんの妻"さんからいただきました。『流美さん、実さん、こんばんは』はい、こんばんは」


「こんばんは」


「『実さん、ご結婚おめでとうございます。プロポーズはどちらからしましたか? その時に言われた言葉と、妻さんがどんな人かを教えてください。よろしくお願いします』だ、そうですよ実さん」


 プロポーズの言葉に関しては以前も聞かれた。その時の話は雑誌に載っている。またこの話をしなきゃいけないのかと苦笑しつつも、同じ話をする。


「以前も雑誌のインタビューで同じことを聞かれて答えたのですが、プロポーズは妻からです。『家族になりましょう』と、一言だけ」


「その後にこう言われたんだよね」


『ずっと側にいて。私の隣で一緒に生きてください』星野流美はそう、満の声で言う。しかし、声も表情も冗談みたいに軽い。星野流美の中では満はそういう、あっさりしたイメージなのだろう。それ自体は間違いではないが、あの時の彼女の言葉はもっと——。思い出しかけて、無理矢理かき消す。


「いちいちあの子の声真似するのやめてください」


「あはっ。顔真っ赤。プロポーズされた時のこと思い出した? かーわいい」


「あーもう! 次!」


「はーい」


 その後も何通かハガキを読んでいく。収録時間も残りわずかとなり、次が最後のハガキ。


「ラジオネーム、"みたらし"さんからいただきました。『流美さん、実さん、こんばんは』はい。こんばんは」


「……こんばんは」


 みたらし。満がゲームのキャラクターにつけている名前と同じだ。由来を聞くと『つきみが月見団子からきてるからだんご繋がり』らしい。


「『実さんに質問です。結婚して良かったと思うところはありますか』だそうですよ。実ちゃん」


「……」


「あ」


 流美さんの手からハガキを奪い取り、差出人の住所を確認する。やはり。私と彼女が住む家から送られてきている。てへとおどけた顔をする流美さんを睨みつつも、ハガキの質問に答える。


「……ありきたりではありますが、家に帰っても一人ではないことでしょうか」


 と言っても、忙しくて家に帰れない日も多いけれど。帰れなくても彼女が家を守ってくれているという安心感はある。彼女なら空き巣に入られても普通に撃退しそうだし。という話をすると流美さんは分かると腹を抱えて笑ったが、わたしの妻を知らないリスナーも多いだろう。こういう身内ネタで盛り上がるのはファン的にはどうなのだろう。まぁ、星野流美の話はほとんどがMちゃんこと満の話らしいから今更かもしれないが。


「さて、そろそろお時間です。あっという間だったね」


「ええ。ようやく終われますね」


「また来てくれる?」


「行けたら行きます」


「来ないやつじゃん」


 なんて冗談を言い合って、締める。収録時間は二時間くらいだったが、なんだか半日くらい喋っていた気がする。どっと疲れた。しかし、今日はもう仕事もない。飲み会に誘われる前に、挨拶だけして現場を後にする。

 外に出たところで、立ち止まって満に連絡を入れる。『こっちも今帰るところ。拾おうか?』と、すぐに返事が来た。お言葉に甘えて、ラジオ局から少し離れたコンビニで彼女を待つ。しばらく待っていると、目の前に黄色い軽自動車が勢いよくバックで迫ってきた。車止めにタイヤを乗り上げると、エンジン音が切れて運転席から彼女が降りてくる。

 わたしが助手席に近づくより先にドアを開けて「どうぞ。お嬢様」なんて冗談っぽく笑う。その憎たらしい顔を軽くつねってから助手席に乗り込む。


「よっぽど楽しかったみたいだな。収録」


「あなたの目は節穴なのかしら」


「放送、楽しみにしてる」


「聞かなくて良い」


 窓の外を見ながらふと気付く。そういえば彼女は普段は電車で通勤している。何故今日は車だったのかと問うと、彼女は笑いながらこう答えた。


「流美さんに散々いじられてストレス溜まってるだろうから可愛い顔見せて癒してあげようかなーって」


「……余計にストレスだわ」


「……なんて、冗談だよ。本当は、私があんたに会いたかったんだ」


 と、急にシリアスな声が聞こえて、思わず彼女の方を見る。彼女はハンドルにもたれかかって私と目を合わせながら「あんた、ほんと私のこと好きだよなぁ」と揶揄うように笑った。


「……やっぱり本物の方が憎たらしいわね」


「舌打ちすんなよお嬢様のくせに。てかなんだよ本物って。本物も偽物も何も私は一人しかおらんぞ。唯一無二の可愛い私を独り占めできるんだからもっと光栄に思えよ」


「うるさい。信号変わった。前見て」


「えー。まだ赤だけど」


「どこ見て言ってんのよ! 信号を見ろ!」


 私の方を向いている顔を無理矢理前に向かせる。「あーおもしれぇ」とケラケラ笑う横顔は星野流美とは比較にならないくらい、あの人の方が何倍もマシなくらい憎たらしいのに、心臓がうるさい。


「はぁ……」


「まーたため息吐いてる。幸せ逃げんぞ」


「そんなの、あなたに出会った瞬間に全部逃げちゃってるわよ」


「しょうがねえな。なら、一生かけて返してやるよ」


 そう笑う彼女の顔は優しい。星野流美が演じる月島満ならきっと、もっと揶揄うような顔で、もっと軽い言い方をする。想像して、わたしはまたため息を吐く。やっぱり本物の方がムカつくなと。

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満と実の話 三郎 @sabu_saburou

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