その他
一番じゃなくても良いなんて
結婚して数日経ったある日。家に帰るとソファに座って横持ちのスマホを眺めていた満が、私に気付くとワイヤレスイヤホンを片耳だけ外し「お帰り」と手を挙げる。隣に座り、肩にもたれかかって画面を覗く。画面には動画が流れていた。ゲームの画面だ。実況動画でも見ているのだろうか。キャラクターが忙しなく動いて調理をしたり、出来た料理を運んだりしている。レストランを経営するゲームのようだが、床に落ちた食材を拾って調理をしているし、キッチンは野外で、たまに隕石が降ってきたり床が抜けたりしてる。なんだこの危険すぎるキッチンは。
「これ、生放送だから。先風呂入って良いよ」
「……ご飯は?」
「作ってあるから勝手に食べて」
「……」
無視して頭を彼女の膝に移動させる。彼女は「猫かよ」と呆れながらも、手に持っていたイヤホンを私の耳にねじ込んで片手間に私の頭を撫で始めた。イヤホンから会話する声が聞こえてくる。どこか聞き覚えのある男女の声だ。
「……これ、星野流美と弟?」
「うん。流美さんのWeTube。今ね、望と料理するゲームやってる」
WeTube(ウィーチューブ)とは、動画サイトのこと。わたし達クロッカスもこのサイトに専用のチャンネルを作っている。MVやCMなど、音楽関係の動画をあげるチャンネルと、ライブの裏側やメンバーの何気ない日常的な動画をあげるサブチャンネルの二種類。前者は主に静と空美が、後者はきららがほとんど管理している。私と柚樹はたまに動画に映るくらいだ。映るというか、映されるが正しいが。
『流美さん、にんじん取ってください』
『にんじんどこ!? これか!?』
『それは肉ですね。いらないので捨ててください』
『うわっ、投げ返された! ゴミ箱どこ!? そっちにないの!?』
『あったけど隕石で破壊されたから再生に時間かかる』
『破壊って! なんなんだよこのデンジャラスキッチン! あっ、にんじんあったぞ! これだな!』
『あ、客帰ったからもう要らないです』
『なんなんだよおおおお!!』
パニックになって絶叫する姉と冷静な弟のやり取りが聞こえてくる。二人は姉弟であることを隠していたが、公表してからはこうして二人一緒に仕事しているところを見る機会が増えた気がする。需要があるのだろうか。
「……にしてもうるさいわね星野流美」
音量は絞ってあるようだが、それでも騒がしい。対する弟は淡々としている。なんだか空美の姉と弟みたいだと思いながら聴いていると、ゲームの中でケーキを作ることになった流れから、何故か幼馴染の結婚の話題に移り変わる。ケーキからウェディングケーキを連想してそこから繋がったようだ。なんだか無理矢理な気がする。どうしてもその話をしたかったのだろうか。
『今見てくれてるかな。改めまして、結婚おめでとうMちゃん』
『おめでとう』
どうもと画面に返事をする満。Mちゃんこと月島満は星野流美のファンの間では有名人らしく、その結婚相手がわたしであることも一部では噂になっているらしい。
「実さん、流美さんと望のファンからめちゃくちゃお祝いメッセージきてるよ」
「……わたしじゃなくて貴女にでしょう。一般人のくせに芸能人の生配信で祝福されてんじゃないわよ」
「んなこと言われても。流美さんが勝手に私のことばかり話すから」
「あの人、ほんと貴女のこと好きよね」
今もずっと満の話をしている。
『流美さん、ほんとあの人のこと好きですよね』
弟からも同じことを言われている。
『逆に嫌いな人居る?』
星野流美が言うと、満は「居るわけないだろ」と笑いながらわたしを見た。リアクションするのも面倒でスルーする。
『いや……結構好き嫌いはっきり分かれるタイプだと思うけど。俺はもう一人の幼馴染がいなかったら絶対仲良くなってない』
はっきりと言い切る星野望に対して「おいこら」と突っ込みを入れる満。しかしその声に怒りや悲しみの色は一切ない。正直に言っても許される仲の良さが伺える。
面白くない話を楽しそうに話を聞きながらわたしの頭を撫でる彼女の手を捕まえる。すると彼女はようやくわたしの方を見たが「まだ三十分くらいあるから待って」と子供に言い聞かせるように言って、またスマホに視線を戻してしまった。代わりに、捕まえた手が絡んでくる。
「……貴女って、ほんと自分優先よね」
「私はあんたのためだけに生きてるわけじゃないからね」
スマホを見たまま、悪びれる様子もなく彼女は言う。視線はスマホに向けられたまま。それなのに、拗ねるわたしの指を宥めるように動く指先から愛を感じてしまう。わたしのことを一番に考えてはいないけれど、それほど優先順位が低いわけでもないし、愛していないわけでもない。そのことに、最近はそれほど不満を感じなくなってきている。その事実が悔しくて、絡む手を振り払ってせめてもの抵抗をする。すると彼女は、いやよいやよも好きのうちだろう? と言わんばかりに、強引にわたしに絡んできた。手先を絡ませあっているだけなのに、身体全体を使って絡み合っているような感覚に陥っていく。
「……いやらしい触り方しないでよ」
「構えってうるさいから構ってやってんだろ」
「……片手間に構わないでよ」
「放っておいてほしかった?」
「……動画、あと何分?」
「もう終わる。どうする? 風呂入る? 飯食う?」
「……どっちも後で良い」
そう答えたわたしに、彼女は「言うと思った」と笑い、スマホを置いた。
「終わったからたっぷり構ってあげるね」
「……ほどほどで良いわよ。明日も仕事だから」
「とか言って寝かせてくれないのいつもそっちじゃん」
「うるさい。さっさとベッド連れて行きなさいよ」
「はいはい。わがままなお姫様だなほんと」
彼女はそう呆れるように言って、わたしを軽々と抱き上げて寝室へ。ベッドにそっと降ろすと何も言わずに唇を重ねる。そのまま静かに注がれる愛で、一番に優先してくれない不満ごと埋められていく。最初は大きかった不満も、そうやって何度も埋められているうちにすっかり小さくなってしまった。いつかは跡形もなく消えてなくなるのだろうか。想像するだけで悔しくて、わたしはいつものように悪態を吐く。それに対して彼女は「知ってる」と楽しそうに笑う。その憎たらしい笑顔を見るたびにわたしは思う。例えこの不満が完全に埋められて跡形もなくなっても、一番じゃなくても良いなんて絶対に口にしてやるもんかと。
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