第2話 秀郷公。竜宮へ参る
つい先程まで湖を照らし続けていた斜陽もすっかりとその姿を隠してしまい完全なる闇が訪れる。
物の怪達の百鬼夜行たる闇中、東海道を行く秀郷はふと足を止めた。
彼の前にはこのような刻に似つかわしくない緑なす黒髪の少女が秀郷に話しかけてきた。
秀郷は少女の漆黒に輝く綺羅の瞳はどこかで見た事があるような気がしていた。
蝋のように白い顔に紅を差したような真紅の唇の艶然な口元から恥ずかしげに声を漏らす。
「
秀郷は俄かには信じがたい話を聞かされ、半信半疑の目を向けた。
「だとしたら
「貴方は強いお方とお見受けいたします。
うっかりすると聞き逃してしまいそうで消え入るような声で少女は言った。
秀郷は例え人外の者であろうと少女の潤んだような様な瞳に惹かれずにはいられなかった。
「わかった。
「有難うございます。早速竜宮城に向かいましょう」
秀郷は少女と共にもと来た道を引き返した。
先程渡った勢田の橋に大蛇の姿は既に無い。
少女は白魚のような指先をそっと秀郷の手に重ねた。
驚いたような表情の秀郷に見つめられた少女は顔に紅葉を散らしたように赤面していた。
「それでは竜宮城に参ります」
秀郷は少女に導かれるまま手を牽かれ湖畔にその身を投げた。
彼の体は水中にあるのにも拘らず少しも苦しくなかった。
美少女が何らかの術をかけたのか、まるで魚になったように水中を自然に泳いでいた。
真下を見ても、際限も無く底も見えない湖底の煙のような波を押し分けていくと、その先は雲のような波が大きくうねっていた。
大波を抜けると憂き世に似た国へ辿り着いた。
そこには五丈もある七宝の宮殿がそびえ立ち、楼門や楼閣には竜頭の衛士達が徘徊している。
黄金に輝く楼門に入ると秀郷を伴う少女に対して竜神たちは頭を傾けお辞儀をした。
楼門を過ぎると、まるで紫震殿のような数千間にも及ぶ宮殿があらわれ、庭には瑠璃の砂や真珠の砂で撒かれて満ち、黄金の柱、縁側の欄干は七宝で作られ、玉の石畳もほんのりと暖かく、御殿の荘厳さは勿論美しさは聞いた事が無いほどであった。
少女に袖を引かれ寝殿の中央に辿り着くと椅子を据え置かれ、管絃を聴かされ歓待されていると、やがて老人が現われた。
「再び会うことが出来たな。豪の者よ」
先程の二十丈にも及ぶ威容の大蛇ととても同一に見えなかったが、その黒曜石のような瞳はまさしく勢田の橋で見かけた大蛇と同じものであった。
老人はその身丈に似合わぬ威厳を備えていた。
「竜王よ。如何なる用で吾を呼び寄せたのか。まさか吾が汝を踏みつけた非礼を詫びてもらいたいわけでもあるまい」
秀郷は竜王を相手に堂々と言った。
かつては都から叛逆者として討伐されそうになった彼にとって竜王の権威など全く意に介さなかった。
老人は怒る様子も無く頼もしそうに秀郷を眺めていた。
「たとえ
老人は肩を揺すり矍鑠と笑った
「朕は八萬四千の眷属を引き連れし八大竜王第一の王、+
「如何なる頼みか」
「朕の不倶戴天の敵を汝の手で討ち取って貰いたいのじゃ。豪の者よ」
「不倶戴天の敵とは」
「瀬田の大橋から五里程先にある三上山に棲む大蜈蚣を退治して欲しい」
「何故吾が大蜈蚣を退治しなければならぬのだ?」
そこに竜王の娘が話しに割って入った。
「三上山に住む大蜈蚣が野山の獣、大河の魚達を喰い殺すので困っているのでございます。それで、誰か強いお方がいないものかと、
とても人外には見えない竜王の娘は鈴を張った様な円らで美しい瞳を向けた。
純真そのものに見える清らかな表情は人からですら見たことが無かった。
たとえ人でなくてもこの少女の願いを聞き届けてやりたい。
だが秀郷の脳裏は一抹の不安を感じていた。
巨大な竜神が長い間争ってきた相手である。
生身の人間には太刀打ちが出来ない敵に違いない。
だが豪勇の士と見込まれては引き下がれなかった
「承知した。必ずや大蜈蚣を討ち果たして見せよう」
◇用語解説
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