第117話 報告義務

 驚いているセレニティさんとワイアットさんを見ていたコタロウが首を傾げて「なんで驚いてんの?」と言う。


「アル兄ちゃんは領主の孫だよ。少し考えればわかるでしょ?」

「笑わせないで、一体何を報告するってのよ。さっきから言っているけど、そっちが勝手にロウカストを狩ったのに、助けてやったなんて思わない事ね」


 セレニティさんはそう言ったけど、コタロウは「違うよ」と首を振る。


「ウロスの街に住んでいた領民が大勢亡くなっているだろ?」

「だから、どうしたの? 街を逃げ出した者達まで面倒見きれないわ。だいたい私達街付きの貴族には元々街の統治の義務もなければ、領民を守る義理もないのよ」


 セレニティさんはそこまで言うと「それこそ、どこかの領主の義務でしょ?」とニヤニヤ笑う。


 それにコタロウは「フン」と鼻で笑った後で「貴族がなぜ貴族なのかも忘れたの?」と言うと、ワイアットさんが眉間にシワを寄せた。


「至らなくとも、街に残った者達は守った。メルクーリ家は街付きの貴族としての最低限の義務は果たしていると思うが……」

「どこがだよ。お前達がスグノキと毒水の池を放置したせいで、タウロの下町で疫病が起こっているんだぞ」


 ワイアットさんが「なっ!」と驚いて、セレニティさんが「なんの話?」と首を傾げた。ワイアットさんの顔色がどんどん悪くなっていく。


「もしかして、ビックラットは毒水を飲んだロウカストを食べて、体に毒素を溜めていたのか?」

「そうだよ」


 ワイアットさんの問いにコタロウが頷くと、ワイアットさんは目を見開いた。


「アルフレッド様はもしかして、我らを助けるためではなく、疫病の原因であるロウカスト達を狩りに来たのか?」

「いや、アル兄ちゃんはロウカスト達の事もあったけど、あんた達の苦境を知って助けに来たんだよ」

「だけど、坊主達は違うんだな?」


 ワイアットさんがクシャッと顔を歪めると、コタロウは「そうだね」と頷く。


「ダインさんからあんたらの話は聞いていたからさ、だいたいあんたらがどんな態度に出るかも想定済みだよ」

「なっ! では、もしかしてイゴール様はすでにこの事をご存知なのか?」


 ワイアットさんがコタロウの胴当ての襟を掴んで詰め寄ったが、コタロウはそれを気にすることなく頷く。


「だから、僕はおばさんじゃなくて、ワイアットさんにさっきのがメルクーリ家の考えでいいのか? って、確認したんだよ。あんたは元々イゴール様の部下だからね」


 完全に白い顔になったワイアットさんは「なんて事だ」と言いながらコタロウの胴当てを掴んでいた手を離すと、ドサっとその場に座り込んだ。


 それを見ていたセレニティさんが「どうしたのよ、ワイアット!」と呼びかけてもワイアットさんは項垂れたままで、首を横に振った。


「おばさんの家は終わったんだよ」

「えっ?」

「王国に疫病が蔓延する原因を作ったんだからね」


 セレニティさんが「何言ってんのよ!」と怒鳴る。


「私達は何もしてないわよ」

「そうだね、池の水が毒水になっている事を知りながら放置していた。ロウカスト達がその水を飲んでいる事を知りながら放置していた。ウロスの街から逃げ出した人達がロウカスト達に殺されていた事を知っていたのに放置していた」


 コタロウはそこで首を傾げた。


「街付きの貴族は領主の下ではないから領主への報告義務はない。だけど、王国に対しては報告義務があるはずだろ? 疫病や魔獣の大量発生が起きた場合は?」

「速やかに王国に報告するべし……」

「おばさん、知ってんじゃん」


 セレニティさんは「嘘よ」と呟いた。


「それを破りし家は、貴族としての爵位と称号を剥奪されて、私財は没収されるんだったよね? 少し前にビックアントの大量発生を放置していたマルタの街付きの貴族の家が潰されたよ」


 コタロウがそう言うとセレニティは「そんな事させるものですか!」と怒鳴る。


「そうよ。娘に言って、エゼルバルド王子になんとかしてもらうわ」

「会ってくれるかな? 平民に落ちた没落貴族令嬢のあなたの娘に?」


 コタロウが首を傾げるとワイアットさんはコタロウを見上げた。


「まだ、詳しくは報告していないのだろ?」

「うん、メルクーリ家が毒水の池を知っていた事も、ロウカストの大量発生を放置していた事も、さらには逃げ出した領民を見殺しにした事も、まだ報告してないよ」


 コタロウがそう答えて、ワイアットさんが「そうか」と言った瞬間にブランがワイアットさんを蹴り飛ばした。


 えっ?


 ワイアットさんが地面にバウンドしながら飛ばされて倒れると、すぐにセレニティさんが「ワイアット!」と叫んで、転がっているワイアットさんに駆け寄る。


「奥様、不意をつこうとしましたが、申し訳ありません。諦めてお嬢様を迎えに行きましょう。お嬢様が平民落ちする事を知れば、エゼルバルド王子の事です。お嬢様を奴隷にして手に入れようとするでしょう」

「何を言ってるの? そんな事をする訳ないじゃない」


 セレニティさんがそう言うと、ダインさんが「残念だが、ありえるな」と頷く。


「セレニティさんよ、あんたがエゼルバルド王子にどんな幻想を抱いているのか知らないが、王子は欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れようとする、わがまま王子だ」

「何よ、それ?」

「知らないのか? 王都を歩いていた美しい平民の女の子を、気に入ったと言って奴隷落ちさせて、自分のおもちゃにした話は有名だぞ」


 セレニティさんが「そんなの嘘よ」と青くなった。


「同級生の生意気な子爵令嬢が平民に落ちたと知れば、絶対面白がって奴隷にする。王子はそういう奴だ」

「そんな訳ないでしょ! そんな事、許される訳ないじゃない」

「なんでだよ、あんただって今まで平民の事なんてそんな程度にしか考えてなかったろ? だからここはアル様とコタロウ達に謝って穏便に事を運んでもらった方がいいんじゃねぇか?」


 ダインさんはそう言って頭を掻きながら、コタロウを見た。


「コタロウはさ、セレニティさんが、アル様の従者について王国に報告しないと約束すれば、なんとかしてくれるんだろ?」

「うん、そういう条件なら、アル兄ちゃんしだいだけど、たぶん譲歩できるよ」


 コタロウがそう言って僕を見るので、よくわかんないけど、それに頷いて、ダインさんにも「はい」と言っておく。


 こういう時はそれがいいんだよね?


 だけど、セレニティさんがその場にヘナヘナと座り込んだ。


「無理よ。もうアルフレッドの従者について王都に手紙を送ってしまったもの」

「奥様、それはまだ待って欲しいと、申し上げましたよね?」


 ワイアットさんがそう言いながら無理矢理に体を起こして、ダインさんが「なっ、馬鹿やろう」と頭を抱える。そして、コタロウが腕を組んで空を見上げた。


「ナタクさんが恐れていた事態になったね」


 そう言ったコタロウが「フゥ」と息を吐いてから顔を下ろして僕を真っ直ぐに見た。

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