第2話 母さんの形見
その日、店に帰ると父さんはすぐに奥様を呼んでイゴール様とのやり取りを報告した。
奥様は父さんの話になんとも言えない顔をした後で、例の布袋の中身を見て飛び跳ねるほどに喜んで、声を裏返しながら体をそらすほどに興奮していた。
まあ嬉しいだろうね。
僕の方はと言うと、この家に特にこれと言って用はなかったが、イゴール様が家族に挨拶が必要だろうと言ったので父さんと一緒に1度戻って来た。
もちろん、奥様は僕に興味なんてないし、弟達も僕に興味なんてない。
今も僕の方には目もくれずに先程の布袋の中身の事で盛り上がっている「今まで育ててやって無駄にはならなかった」とか「バカな奴もたまには役にたつんだね」とか、まあそんな感じだ。
でも、こちらは今日まで世話になったので「お世話になりました」と頭を下げて挨拶した。
もちろんこれと言って返事は戻って来なかったけど、こう言うのは自己満足なんだから、こちらの気持ちが伝えられれば良い。
まだ盛り上がっている家族をしばらく眺めた後で、僕は自分の住み慣れた離れに移動して、親しんだ部屋を見渡す。
ベッドと机とタンス、それから本棚。
どれも古くからの使用人であるトムさんが用意してくれた物だ。傷の目立つ中古品だけど、トムさんのお給金を考えたら安い買い物ではないはずだ。
しかも、奥様にはかなり睨まれただろうね。トムさんは僕の事なんて放って置けば良いのに、懲りない人だよね。
もちろん嬉しいけど。
机を撫でながら、必要最低限の物を荷造りする。
あちらで生活する物はイゴール様の家であるグドウィン家が用意するから特に持っていく必要はないそうだ。
タンスの中の使用人のエミリーさんが繕ってくれたり裾を伸ばしてくれた服も、下働きの兄ちゃんがお下がりでくれた木のおもちゃも、持っては行けない。
それに僕としても母さんの形見のペンダントだけあれば他は良いのだけど、なんとなく首から下げているそれを服の上からギュッと確認した後で、本当に少しだけ切なくなった。
それを誤魔化す様に、机に置いてあった本をペラペラとめくる。
この家だって、いずれ出て行かなくてはならない事はわかっていた。だけど、出て行く日が来るのが思っていたよりずっと早かった。
あまりにも急に来たから少し驚いてはいるけど、まあそれもどうという事はないね。
一応、慣れ親しんだ本だけは持っていく事にして、簡単な読み書きの本、計算の本、魔獣についての本などを棚から出して机に積み上げて置く。
そうだ、訓練用の木刀も持っていこうか?
壁に立てかけておいた木刀も本の横に置いた。
これぐらいなら持って行っても怒られないよね? だけどさ、うーむ、これ? どうやって運ぶ?
僕がキョロキョロと周りを見渡していると、トムさんが部屋に入ってきた。手には腰に巻く形の革製のバックを持っている。
でもあの小さなバックでは、木刀はもちろんだけど本も入らないね。
「アル坊っちゃま、こちらのマジックバックをお使いください」
「マジックバックですか?」
「さようでございます。こちらは魔術具ですのでそちらの木刀も本もすべて入ります」
僕はその言葉に「えっ?」と驚いてトムさんを見た。
だってさ、魔術具って……。
「高いんじゃないですか? そんなのもらえないですよ」
「いえ、こちらは亡きアンジェ様の形見の品で、アンジェ様が冒険者をされていた時の物でございますので、坊っちゃまにお使い頂くのがよろしいかと」
母さんのか。それなら欲しいね。
僕は「ありがとう」と礼を言ってトムさんからマジックバックを受け取る。
「いえ、アンジェ様がご存命ならば、この様な」
「そこまでにして下さい。僕の事は良いんです」
僕は首を横に振って優しく微笑んで見せた。
「どう考えても、僕に商人は向いていないと思いませんか?」
「ですが、本来ならば……」
「求められていないのだから、ここに居ても仕方ないですよ、だからとりあえず貴族の家に行ってみます。少なくともあちらは僕を求めていますから」
トムさんは1度目をつぶって「さようでございますね」と言葉を絞り出した。
「マジックバック、ありがとう。もう仕事に戻った方が良いですよ」
僕がニッコリと笑って見せると、トムさんは顔をしかめた。
心配してくれるのは嬉しいけど、僕を気にかけているのが奥様にバレたらまたトムさんがひどい目にあう。
今度はどんな目にあうか分からないからね。
トムさんは顔をしかめたままで頭を下げる。
「申し訳ありません」
「謝らないで下さい。いつも気にかけてくれた事がすごく嬉しいです。今日まで本当にありがとう」
「使用人一同は……」
「うん、みんなにも今日までお世話になりました。ありがとうって伝えてくれますか?」
僕が再び微笑むと、トムさんは「間違いなく皆に伝えます」と笑った。
トムさんが部屋から出て行った後で、僕はマジックバックに本と木刀を入れる。本当に全て入ってビックリした。しかもその容量の少しも使っていない。
すごいものをもらったね。
それに母さんは冒険者をしていたのか、これに旅の道具を全て入れていたのかもしれないね。
遠く知らない場所を旅して回る。
様々な物を見て、いろんな人と出会って、自由に好きな事をする。
それはひどく素敵で、とても憧れる。
だけど力のない子供の僕には夢の話だ。
バックを軽く撫でてから腰に巻くと、僕はグドウィン家に戻るために離れを出た。
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