ヴァージンロード・オーバードライブ!!

かぎろ

ブチ上げろ! 最高の結婚式!

「結婚してください、小夜子さん……!」


 喫茶〝フラッシュボンバー〟にて、健太郎は、小箱を開いて結婚指輪を差し出した。


 落ち着いたジャズのBGMがゆったりと流れていた。天井にはシーリングファンがくるくると回転している。照明を最低限に抑え、窓から光を採ることで、喫茶店は素朴な穏やかさを醸成させていた。

 木製のテーブルと椅子で、ふたりの年若い男女が向かい合っている。

 男は、名を健太郎けんたろう。おどおどとして頼りなさげな、朴訥とした印象がある。

 女は、名を小夜子さよこ。小柄だが背筋をしゃんと伸ばし、優しげな視線をまっすぐに送っている。


 健太郎の、小箱を持つ手が震えている。プロポーズしたのだから無理もないことだ。しかし彼は人よりも臆病であった。目をぎゅっと瞑って、恐れおののく小動物のようになっている。


「健太郎さん」


 小夜子が、口を開いた。


「わたしとあなたがお付き合いを始めて、もう五年になりますね」

「え……うん……」

「五年も経てば、良いところも、悪いところも、たくさん見えてきます。健太郎さんは、しっかり家事もやってくれるし、料理なんてわたしよりも上手だし、わたしが何かで悩んでいる時には一緒に悩んでくれて、最後には答えを出してくれる……。それだけではありません。健太郎さんの好きなところは、もっとたくさんあります。でも……」

「で、でも……?」

「健太郎さんの、肝心な時に目を逸らす癖は、悪いところだと思います」


 健太郎は「う……」と小さく呻いて、唇を噛み、俯いた。

 玉砕か。

 そう思った矢先に、小夜子の手が健太郎の耳に触れた。

 小夜子が、健太郎の頭を、ぐいっと自分に向かせる。


「わたしの目を見て」

「あ……」

「悪いところだからって、そこが嫌いだとは思っていませんわ。目を逸らす癖も、可愛くて、好きです。でも、今は……」


 ほのかな微笑のまま、小夜子が頬を撫でた。


「可愛いあなたではなく、格好良いあなたを見せて……」


 健太郎は、はっとして目を見開いた。

 それから、きっと目つきを鋭くさせ、決然と小夜子を見る。

 自分自身と約束したことがあった。

 この変てこな世界で、小夜子と一緒に生きるには、自分が強くならなくてはならない。


 健太郎が自分の頬をばしばしと叩き、気合いを入れた。


「小夜子さん!」

「はい、健太郎さん」

「僕はいつも踏み出す勇気を持てない、ビビりだった。みんなが海へ飛びこんで楽しそうに泳いでいるのに、僕は岸壁にただおろおろと佇むだけ。そんな時、きみと出会った。きみは断崖で伸びやかに咲く、一輪の花だった。きみは僕が飛び込めるまで、一緒に話してくれた。勇気をくれた」


 まだ身体が震える。しかし言わなくてはならない。


「きみのおかげでできるようになったことがたくさんある。きみが好きだ。ずっと一緒にいたい。だから」


 小箱を、今一度、小夜子に差し出す。

 今度は目を逸らさなかった。


「僕と、結婚してください」


 全身全霊のプロポーズであった。

 小夜子の目尻に、うっすらと涙が溜まる。

 小箱を持った健太郎の手に、しなやかな指を重ねた。

 愛おしそうに、唇が言葉を紡いだ。


「はい……! 喜んで……!」


 ふたりは見つめ合う。世界が甘美に縁取られる。幸福の天使が舞い降りて、金のラッパで祝福する。

 そのまっただなかで……、

 違和感があった。


「え?」「ん?」


 健太郎と小夜子は、手元に視線を落とす。

 小箱の中に収まっていた結婚指輪。

 青くきらめく、綺麗な指輪に……

 小さな手足が、生えていた。


 自分の脚で立ち上がる、結婚指輪。


 ひょい、と小箱から脱出すると、テーブルの上に降り立つ。


 きょろきょろと周りを見回して、喫茶店の出入り口を見つけると、そこへ向かって、ものすごい速さで走りだした。


 唖然とする健太郎。

 呆然とする小夜子。

 しかしすぐにハッとして、ふたりは立ち上がった。


「待てえーーーー!!!!」




     ◇◇◇




 半世紀以上も前、インドにとある隕石が落下した。

 その隕石は未知の物質で構成されており、ちょうど小学校の運動会で転がす大玉のような大きさをしていた。地表への落下時点でその大きさだ。にもかかわらず、驚くべきことに、物理的には何の被害ももたらさなかった。

 しかし、その隕石が落ちた時から世界が変わってしまったことは確かだ。

 その隕石は物理的な実体を持たない。一方で人間は隕石を何故か知覚できた。まるで、意味はあるのに手で触れられはしない、概念のように。

 〝概念隕石〟と命名されたそれがインドに、ひいては地球に衝突した時の勢いで、世界は、ズレた。普通の隕石が落下時に地面をへこませるように、概念隕石は、世界の在り方の形を変えてしまった。

 法則は乱れた。

 ありえざることが日常になった。

 そして、今。

 プロポーズの最中に、結婚指輪が、逃げ出した――――




     ◇◇◇




 小さな脚を竜巻のごとき激しさで動かし走る、結婚指輪。

 それを追いかける、健太郎と小夜子。


「なに!? なんで!?」

「わかりません! でも、追いかけるしか!」


 中央通りに出た。交差点がある。車通りはそれなりに多い。

 結婚指輪は抜群の脚力で跳躍し、道路を走る大型トラックの荷台に飛び乗った。


「ああーっ!!」


 絶望に叫ぶ健太郎。しかし小夜子は冷静だった。素早く周囲を確認。自販機の前で自転車を停めて休憩している男性を見つけると、「すみません! 借ります!」と言い放ってその自転車にまたがる。


「健太郎さん、後ろに乗ってください!」

「ええっ!? でも」

「わたし、あなたと結婚したい!」


 小夜子の目の色は本気だった。


「あなたがくれるすべてを大切にしたい! だから追いかけて、取り戻します! 乗らないならひとりで行きます、それでは!」

「ま、待って!」


 小夜子は自転車で行ってしまった。途方に暮れる健太郎。どうすればよかったのか。健太郎が後部に乗れば、か弱い小夜子は重くてスピードを出せなくなってしまっただろう。だからといって、乗らないという選択は正しかったのだろうか。

 うだうだと考えていると、肩に手が置かれた。振り返る。

 たったいま、小夜子に自転車を奪われた男であった。

 サングラスをかけた強面の男は、今にもブチギレそうな顔をして、ドスの利いた声を発した。


「ゆーっくり、話そかァ……?」


 !?


 健太郎はほとんど泣きそうになりながら、「は、はいぃ……」と男に連れ去られていく。




     ◇◇◇




 小夜子は自転車を走らせ、結婚指輪の乗った大型トラックを追いかけていた。とっくに息は上がっている。しかし、トラックが赤信号に捕まる気配がまったくない。


「くう……! どうして……」


 どうして指輪に脚が。

 不可思議な力が働き、さまざまなありえざる現象が起こるようになった世界。この程度の不可思議現象は確かに珍しくはないのかもしれない。だが、なぜ、今日という日に限って。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 スピードが落ちてきた。トラックはむしろ速度を上げていく。追いつけない。その時だった。


「のるんだ、さよこちゃん!」


 小夜子の自転車の隣を並走するのは、シャチ並みの大きさがあろうかというほどの、巨大な金魚であった。

 巨金魚は巨背びれと巨尾びれを懸命に動かし、空中を泳いでいる。赤い巨鱗が太陽の光を照り返し、ギラリと輝いた。


「あなたは……!?」

「ぼくは、すーぱーきんぎょ!」

「すーぱー金魚!」

「じゅうねんまえの、なつまつり。きみは、まだちいさかったぼくをすくいあげて、しばらく、おせわをしてくれた。たくさんの、えさをくれた。さいごまで、たいせつにしてくれて、おはかまで、つくってくれた。……そのやさしさのチカラが……ぼくを、ぱわーあっぷしてよみがえらせたのさ! おぼえていなくても、むりはないよ。でもぼくは、わすれない! きみをたすける! さあ、のって!」


 小夜子は自転車からすーぱー金魚へと飛び移る。巨金魚の体は湿り気があって、ぶにぶにとした触り心地だ。


「思い出しました! まだ実家にあなたのお墓があるはずです。ほんとうに、ありがとう!」

「ぎょふふっ! さあ、しっかりつかまっててね!」


 すーぱー金魚が巨びれで空中を打つと、風と水しぶきが巻き起こり、推進力が上がる。自転車では決して出せないスピードだ。トラックとの距離が、すごい勢いで縮まっていく。

 そして遂に目視した。

 荷台に載った、結婚指輪の姿を。


「逃がしません! すーぱー金魚さん、わたし、飛び移ります!」

「まって! なにか、おかしい!」


 すーぱー金魚の制止を振り切る。一刻の猶予もなかった。小夜子はトラックの広い荷台に向かってジャンプする。しかしその瞬間、金魚の感じた嫌な予感が的中した。


 結婚指輪が、トラックから飛び降りている。

 そのままトラックの後輪に自分の体を巻きこませ、後方へと、ものすごい勢いで弾け飛んだ。


「そんな!」

「さよこちゃん、もっかいのって!」


 小夜子はすーぱー金魚の背にしがみつきながら、指輪の飛んでいった方を眺めている。

 勢いよく飛んでいった指輪は、線路の上を疾走する貨物列車にへばりついていた。


「すーぱー金魚さん、追えますか!?」

「がんばる! けど……! あのでんしゃ、はやいよ!」

「大丈夫じゃ! わしに任せんしゃい!」


 突如聞こえてきたしゃがれ声に小夜子と巨金魚は振り向く。

 漆黒のローブを身に纏ったとんがり帽子の老人がハーレーにまたがってエンジン音をドルンドルン轟かせていた。


「あなたは!?」

「わしは伝説の占い師・与那国島よなぐにじま羅生門らしょうもんじゃ!」

「伝説の占い師・与那国島よなぐにじま羅生門らしょうもん!!」




     ◇◇◇




 一方、健太郎はサングラスの強面男が運転するスポーツカーの助手席で、そのあまりのスピードに震え上がっていた。


「ひい~~~~!!」

「おっしゃ! このまま赤信号ガン無視したるでぇ!」

「やめてぇ~~~~!!」

「あんなあ、そもそもあんちゃんの結婚相手がワイのチャリンコ盗むから、ワイは猛スピードで愛車ふっとばしてチャリを追いかけなあかんくなってんねんで。お、ワイのチャリ見えてきよった。そろそろ減速を……」

「……っ! あ、あの! スピードを上げてください!!」

「はぁ!? あんちゃん何ゆうて」

「スピード上げて、右折して! 貨物列車を追いかけてっ!!」


 強面男が「チィッ」と声を出しながらハンドルを切る。ギャリギャリギャリ、とアスファルトを削りながらスポーツカーは方向を変え、びゅん!と線路上を走行し始めた。


「あんちゃん! 急に男の顔になって無茶ゆうもんやから言うとおりにしよったが、これはなんなんや!?」

「貨物列車に、小夜子さんへ渡すはずだった結婚指輪が乗ってるのが見えました! 追いかけないと!」

「ああ!?」

「今日、プロポーズしたんです。でも結婚指輪に脚が生えて、逃げられて! 絶対に捕まえて、今度こそちゃんとプロポーズしたいんです!」

「わけわからん!! ……わけわからん、が……」


 強面男はサングラスを放り捨て、案外つぶらな瞳を見せつつ獰猛に笑った。


「そのむちゃくちゃ、嫌いやないで!!」


 男が運転席に座ったまま、大きな赤いスイッチを叩く。すると洋画のカーチェイスパートのスリリングなBGMが爆音で流れだし、スポーツカーが変形を始めた。タイヤが折りたたまれ、トランクの蓋を大砲のようなバーニアがブチ抜く。ドイツのセラフィムテクノロジクス社が社運を懸けて製作したインフィニットブースター搭載のモンスターマシン。それは疑似反重力装置を応用した推進機構により蒼空を思いのままに飛翔する。


「オワーーーー!? 空飛ぶ車!!」

「あんちゃん、詳しい事情を聞かせてもらおか!」

「わ、わかりました! あれは僕が七歳の時のことでした」

「遡りすぎや!!」

「健太郎さん! 健太郎さあーん!!」

「あっ!! 小夜子さん!?」


 貨物列車の右側を並走するモンスターマシン。その向こう、列車の左側から、小夜子の声がする。貨物に隠れて見えないが、小夜子も並走しているようだ。互いが互いの様子を確認するために、少し高度を上げる。

 姿が見えた。

 小夜子は伝説の占い師と一緒に、東洋の龍に乗っていた。


「うわーーーー!! 小夜子さんこの短い間に何が!?」

「健太郎さんこそ、なんですかそのマシーンは!?」

「込み入った事情があって!」

「わたしも事情が! 説明のために回想入りますね!」


 ~回想~


 小夜子とすーぱー金魚の前に現れたのは、ハーレーに乗った、魔法使いみたいな格好の謎の老爺であった。


「伝説の占い師・与那国島羅生門!!」

「以前にわしがやった一世一代の大占いの際に爆発四散してしまったわしの水晶のかけら! そやつは今、指輪の宝石として加工されておるが……この日に暴走するであろうとの占いの通りになったようじゃな! やつが暴走してしまったことにはわしにも責任がある。止めるためには協力を惜しまぬぞい!」

「えっとえっと、とにかくありがとうございます!」


 小夜子はぺこりとお辞儀をする。すーぱー金魚の方は黙ったまま口をぱくぱくしている。人見知りなのである。


「そこな巨大金魚!」

「ぎょっ!? な、なんですか!?」

「これより占いでおぬしの未来を歪める!」

「ぎょええ!?」

「わしは伝説の占い師! わしの占いは運命を知るものではない。占いによって出た結果にのじゃ!」


 占い師がタロットカードを取り出し、シュパパパパと並べ出す。


「見えたッ!! おぬしの三秒後の運勢は大吉! 待人まちびと、殺到! 失物うせもの、出まくり! 願望ねがいごと、叶いまくり! そしてッ! 覚醒めざめるちから、龍神のごとくじゃァッ!!」


 すーぱー金魚の未来が変わる。

 大蛇のような長大な身体に、鉤爪の手足、さらに鋼のようなひょろヒゲを持つ水神。

 すなわち、すーぱー龍神へと進化した!


「追いましょう! すーぱー龍神さん!」

「――――うん、いこう――――」

「喋り方が荘厳に!」


 ~回想おわり~


「というわけなんです!」

「意味わかんないけど、そういうわけなんだね!」

「あんちゃん! 結婚指輪ゆうんは、どこや!?」

「列車の上を走って、前の方へ行ったみたいだ! スピード上げられますか!?」

「当然や! 嬢ちゃんとドラゴンも、置いてくでえ~!」


 ヘルフレイムバーニアが火を噴き、推進力を爆発させる。すーぱー龍神も負けじと神性を発揮して速度を上げ、健太郎と小夜子はあっという間に結婚指輪のいる先頭車両に追いついた。


「さあ結婚指輪! 追い詰めたぞ!」

「おとなしくわたしの薬指に収まってください!」


 列車の両脇から声を投げかけられ、指輪はおろおろと周囲を見回す。

 指輪は、悩んでいるようであった。逃げ場を探しているというよりも、何かを考えているようだ。

 その時だった。

 指輪も、健太郎も小夜子も、それを見ている全員が驚愕して口をあんぐり開けた。

 列車に積まれている貨物が、突如として変形を始めたのである。


「な、何!?」


 健太郎が叫ぶ間も、貨物はガシャコンガシャコンとカクカクした変形を続け、遂には巨大な砲塔となって空へと狙いを定めた。


「な、なんということじゃ! この列車は、貨物列車ではなかったのじゃぞい!」

「なんですって!?」

「近く、アポキョポン星人が地球に攻めてくるという報道があったじゃろう! この列車は、その宇宙人に対抗すべく造られた武装列車のひとつ……超弩級和睦友愛列車・やさしさトレインじゃ!!」

「超弩級和睦友愛列車・やさしさトレイン!!」

「やさしさトレインは、その砲塔からふわふわの砲弾を発射し、もふもふが大好きなアポキョポン星人をしあわせな気持ちにさせるぞい! 和睦のための最終兵器……それがいま起動しおったということは、アポキョポン星からUFOが攻め込んで……!?」

「わーわー言うとる場合やないで! あんさんらの結婚指輪が!」


 見れば、結婚指輪はピンク色の可愛らしい砲塔によじ登っている。そして砲塔の方も根元が膨らんでおり、発射直前といった様相を呈していた。


「――――あのゆびわ、きっとこのまま、ふわふわといっしょにはっしゃされるつもりだよ――――」

「そんな! すーぱー龍神さん、高度を上げてください! 早く指輪を取り戻さなくちゃ!」

「結婚指輪! いいや、水晶のかけら!」


 健太郎が叫ぶ。強風に目を瞑りそうになりながらも、なんとか指輪を視界に収め続ける。

 伝えたいことがあった。


「きみは……ひょっとして、僕らに結婚してほしくないんじゃないのか!?」

「健太郎さん、何を言って!」

「元は与那国島羅生門さんの持っていたものだったんだろう!? 水晶占いに使う、水晶だったんだろう! だったら、自分の力で未来を占うことができても不思議じゃあない! きみは……僕らが結婚することで、何か悲しいことが起こる未来を知ってしまったんじゃないか!?」


 指輪は、まだ迷っていた。しかしふわふわ砲の発射も近い。覚悟して、健太郎と言葉を交わした。


「その通りである」

「指輪!」

「貴様等がプロポーズをした時。私は想像した。貴様等のゆく、幸せな未来への道程を。しかし現実は非情であった」

「非情……!?」

「私は貴様等を占った。そして私は視た。貴様等が教会で結婚式を挙げる時、誓いのキスの場面で、貴様等が突然走ってきた一トンのトラックにぶつかり……命を落とす未来を」

「なん……だって!?」

「トラックは、与那国島羅生門の水晶を奪うために放たれた刺客だった。つまり、私さえいなくなれば、貴様等は平和だ。故に……」


 指輪はよじ登りを再開し、砲塔の先端に位置取った。


「私は、貴様等を守るため、決して結婚などさせぬ!」

「指輪ぁっ!」

『ヤサシサトレイン、フワフワ砲、発射マデ、3、2、1……』

「待ってください!」

『ゼロ。フワフワ発射』


 指輪を乗せて、ふわふわの毛玉が遥か空へと飛んでいく。

 成層圏を突破し、中間圏、熱圏、そして一瞬にして宇宙空間へと達した。

 ここまで来れば、もうふたりは来られない。

 指輪は安堵し、その後、ぶるっと身体を震わせた。


(……寒い。宇宙は、寒い……)


 宇宙をのんびりと漂う。青い惑星、地球を見下ろす。


(これから永遠に私は孤独だ。しかし、これでいい。無辜の男女が、私ひとつの犠牲で救われる……。きっと彼らは私とは別の結婚指輪でまた結ばれるだろう……)


 未来が変わったかもしれない。

 そう思い、指輪は、ふたりを占った。

 そして驚愕する。


「なんだ、この未来は!?」


 次の瞬間!

 地球から宇宙空間へ向けて、長い長い、白色のカーペットが敷かれた!


「新ッ郎ッ新婦のォ!! ご入場じゃボケぇぇえーッッ!!」


 サングラスの強面男の野太い声が響き渡り、カーペットの上をモンスターマシンが疾駆する!


「――――拍手と感涙でお迎えください――――」


 すーぱー龍神もまた、カーペットの上を飛翔し、結婚指輪の浮遊する座標へ突き進んでくる!


「占いの結果ぞい! おぬしらの一秒後の運勢は……超吉ッッ!! 縁談、全てうまくいく!! 運命、振り切って進む!! そしてッ!! 服装、式にふさわしき装いとなるのじゃァッッ!!」


 マシンの上に仁王立ちするのはタキシード姿の健太郎!

 唖然とする結婚指輪をキャッチ! そして!

 ウェディングドレス姿の小夜子が、健太郎の元へ飛びこんでくる!


「小夜子さん!」

「健太郎さん!」


 ――――無音。


 健太郎の指先がつまんだ指輪。


 小夜子が薬指を差し出す。


 ふたりは、微笑んでいた。


 息のかかるほど近くで、健太郎は、小夜子の指に、結婚指輪を通した。


「何故……」


 指輪が、震える声で呟く。


「何故、私にこだわる。指輪など、私でなくてもいいはずだ。私を使えば貴様等は死ぬ。どんなに行動を変えても、最後にはトラックに轢かれる。死の未来は、覆せないのだ。私にこだわる必要など、ないのに……」

「あるさ」


 健太郎の声は確信に満ちていた。


「きみは僕らを大切に思ってくれた。だから犠牲になんかなっちゃいけないんだ!」

「それに、あなたは健太郎さんが用意してくれた初めての指輪なのです。結婚指輪は、あなたでなくては」

「貴様等……」

「さあ、みんな! 式を挙げちゃおう! 実はもう既に、友達とか恩人とかを呼んでいるんだ」

「何だと!? しかしここは、宇宙空間。貴様等は占い師や龍神の加護を受けているからここへいられるのであって、他の者は立ち入れぬのでは!?」

「ソンナコトハ、ネーゼ」


 サイボーグの男がスラスターを噴かせて飛んできた。


「サイボーグ!?」

「ケンタロー、オマエガ結婚スルナンテナァ。友達トシテ嬉シイゼ」

「我のことも呼んでくれてありがとな~」


 次に現れたのはこの世界の唯一神だった。


「唯一神!?」

「さよちゃん、幸せになれよな~。神も応援してるよ~」

「ぼくたちのことも忘れんなよ!!」


 次々と現れるのは、妖精、幽霊、宇宙飛行士、魔王、フヤフヤアイランドの王妃、トップアイドル、第十三次元の住人、アポキョポン星人などなど、誰しもが宇宙空間に耐えられる人々だった。

 盛り上がりを見せる中で、牧師役を務める与那国島羅生門が、「ヌォッホン!」と咳払いする。

 誓いのキスをする、今がその時だった。


「新郎・健太郎。新婦・小夜子。おぬしはここにいる相手を、病める時も、健やかなる時も……」


 その時!

 残酷な運命に導かれ、地球から飛んできた一トントラックがふたりに襲いかかろうとする!


「富める時も、貧しき時も……」


 しかし!

 すーぱー龍神が、これをドラゴンキャノンで撃墜!


「伴侶として愛し、敬い……」


 今度は大量のトラックがワープしてきてふたりを押し潰そうと迫る!

 それは死の運命を覆させまいとする、理不尽なる世界のルール!


「慈しむことを、誓いますか?」


 しかし!

 すーぱー龍神が、サングラス強面男が、サイボーグが、唯一神が、妖精幽霊宇宙飛行士魔王フヤフヤアイランドの王妃トップアイドル第十三次元の住人アポキョポン星人その他たくさんの愛すべき者たちが!

 それら全てを、はねのけた!






「「――――誓いますッッ!!」」






 地球の裏側から、太陽が昇る。

 煌々とした命の光に照らされて、ふたりの唇が触れ合った。

 健太郎と小夜子は、自分と、仲間と、愛の力で、あたたかな家庭を築き上げるのだろう。

 水晶の、結婚指輪とともに。




     ◇◇◇




 宇宙での披露宴、そのどんちゃん騒ぎは続いた。健太郎は賑やかさに少し疲れてしまい、小夜子と目配せして会場をそっと離れた。

 ふたりで地球を眺める。

 しばらく「あそこがアメリカ」「あそこらへんがハワイ」などと指さして微笑み合っていたが、やがて言葉少なになった。

 健太郎の手に、小夜子が手を重ねる。

 小夜子の肩と、健太郎の肩が、もたれかかり合った。

 ふたりだけの時間。

 物思いに耽る。


(……死の運命はもう、僕たちを追ってこない)


(それはわたしと健太郎さんと仲間たちが、運命をはねのけると、誓ったから)


(でも……きっとこれからも、悲しい運命は、僕らのもとへ現れる)


(運命はひたひたと足音を立てて、いつの間にかわたしたちの首元に手をかけている)


(だけど)


(それでも)


(決して諦めはしない)


(決して逃げたりもしない)


(なぜなら、小夜子さんがいるから)


(健太郎さんが、いてくれるから)






 ふたつの思いはひとつだった。






〝きっとこれからも、大丈夫〟






 【完】

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