2019年の目覚め
「美しいな」
柚ノ辺の丘より街を一望したエドガルドはそう呟いた。
──ここならば、少女達の聖戦の舞台に相応しい。
街に流れる魔力の量も、舞台の美しさも共に文句なし。エドガルドの呼ぶ聖戦とはその実殺し合いだ。勝者の願いを叶えるという餌で思春期の少女達を釣り、戦わせる。葛藤が見たい。慟哭が見たい。決意が見たい。少女という存在をエドガルドは好んでいた。
エドガルドの傍に立っている木には、ある噂が囁かれている。曰く、『この木の下で告白に成功したカップルは永遠に幸せになれる』。噂をエドガルドは知っていた。この場所で仲の良い少女同士を殺し合わせるのも乙なものだ、と考えていた……その時。
「見つけたぞ下種が。とっとと死ね」
「…………!?」
砲弾のような殺意。咄嗟に抜刀し、振り下ろされた剣を受け止める。
エドガルドを襲撃したのは見たこともない男だった。これといって特徴のない、平凡な男。その顔は憤怒と憎悪で染め上げられていた。
「待て──」
「待て、だと? お前の頭は何のためにあるんだ。蛆虫の共食いで脳を食い荒らされたのか? 俺はお前の起こそうとしている馬鹿げた遊戯を潰しに来たんだよ。待つ筈がないし待つ道理など一切ない」
「何故、それを知っている……!?」
返ってきたのは言葉ではなく斬撃だった。嵐のような剣筋を見極め、焦る心を抑えながら捌いていく。
「今死ねすぐ死ね此処で死ね万物に呪われて死ね。この世に生まれ落ちたという事実に泣いて詫びながら絶命しろ。尤も、お前の罪はそれでも灌がれんがな。ルシアをくだらん争いに巻き込み、傷つけた──その事実だけで万死でも尚足らん」
「ルシ、ア?」
知っている名前だった。彼女もまた、聖戦の戦士として迎え入れようとしていた少女の一人。その際に身辺調査を行ったが、眼前で怒り狂っている男と交流があるという情報はなかった。
「……貴様とルシアは、どういう関係なのだ?」
「愚か者は質問内容も愚か。分かりきっていた事だな。だが……ルシア、愛しきその名に免じて答えてやろう──俺の恋人だ」
「有り得ない」
人間関係は特に洗った。少女同士の関係性はエドガルドの大好物である。故に聖戦を深く楽しむべく念入りに調査した。仮に恋人がいるなら、己が探り当てていないとおかしい。脳内が疑問と混乱で埋まっていく。男の素性がまるで分からない。自分を惑わす霧を払うべく、エドガルドはある決断をした。
「──召喚」
地に、奇怪な紋様が描かれる。それは強く光り始め、やがて辺り一帯を光で照らし──
「……どういうこと?」
件の少女ルシアを、この場に呼び出した。
「ルシア、君に聞きたいことがある」
「……あなた、誰? どうして私の名前を知っているの?」
「申し訳ないが今は看過してくれ。そこに立っている男を君は知っているかな?」
エドガルドの目線の先にいる男を一瞥したのち、静かな声で呟いた。
「知らな──」
「ルシアァッ!!」
ルシアの声を掻き消したのは絶叫にも近い男の声。狂気で膨らんだ水風船が弾け飛んだような雰囲気を纏い、目をかっと見開く。笑顔は爽やかで淀みというものがない。
「戦っている最中でも出会ってしまうなんてやはり俺と君は運命の赤い糸で結ばれているようだな間違いない今日も綺麗だ今日も素敵だ好きだ好きだ大好きだ愛している付き合おう結婚しよう同じ墓の下に埋まろう君がいるだけで百人力だだけど申し訳ない実に実に心苦しいんだが少し待ってくれないか俺は今からあの男を殺さなければならないんだ本当にすぐ終わるからああそうだよかったら応援してくれないか君が応援してくれたのなら俺は神すら討てるだろう勿論無理強いはしないけどところでもしこの戦いが終わった後で望むなら世界中の人間を殺戮して君に贈ってもいい二人きりの世界で眺める水平線はきっと美しいだろうねまあ天の御遣いよりも心優しい君ならばそんなことを望まないのかもしれないけど」
「ひっ……」
ルシアは感情の起伏が乏しく、それに伴い日常生活でも常に表情は一定である。彼女が表情を変えるなど滅多にない。だが、見ず知らずの男の妄言には流石に恐怖を覚えたようだ。頬がぴくぴくと引きつっている。
男が『かつて』聖戦の最中にルシアに出会い恋をしたこと。ルシアを救おうと奮戦したこと。願い虚しくルシアが死亡したこと。絶望と嘆きの最中に制限付きの時間逆行能力に覚醒したこと。男が何度も何度も時を遡り、ルシアを救おうとしていること。そして辿ってきた永い道の途中でルシアが男に一度たりとも好意を寄せなかったこと。
──全て、エドガルドとルシアには知るよしもない。
男は顔をルシアからエドガルドに向ける。柔らかな微笑みは瞬きの間に消え失せ、汚物を目の当たりにしたかのように歪んでいく。
「俺とルシアの輝かしい未来のために死ね。そもそもなんだお前は。少女達の殺し合いを企画する? 最低だな最悪だな趣味が悪い。一体全体どんな教育を施せばそうなるんだ。親の顔が見てみたい」
罵倒と共に再度男は襲い掛かる。その際、ベルガルドの心に今までとは違う感情が湧き出した。
「全く以て救い難い。まるで理解できんよ塵屑め。なあ教えてくれ、どうやったらそんな恥ずかしい精神性を持ちながら平然と生きていられるんだ? 俺だったらとっくの昔に自殺しているぞ。生きている価値などお前にはない。人権などお前には過ぎた概念だ」
未だかつて、起こり得なかった現象がベルガルドの内部で発生する。
「狂人に何を言っても無駄だとは思うが、一応言っておこう。少しは自分の歪みを自覚したらどうだ? お前は異常者であり破綻者なんだよ。普通じゃないんだ。自分が悍ましい腐汁まみれの思考回路の持ち主であることに気が付いていない。客観視もまともにできないその様は一周回って哀れだぞ。無論殺すことに変わりはないがな」
──生まれてこの方、エドガルドは男というものにまるで興味がなかった。母の言いつけはよく覚えているが、父の言いつけは記憶にない。男が発する言葉、否──男という存在にまるで関心がなかったのだ。何を言われようが、どのような格好をしていようが、素晴らしい歌を披露されようが……心はまるで動かなかった。
逆に、女と接している時は感覚が豊かになった。特に、少女の反応はエドガルドの精神に彩りを与えた。そのためエドガルドは少女に傾倒──恋愛ではなく、眺めるという方向性で──するようになった。
「人の意向を無視し平然と踏みにじるお前は邪悪だ。害悪だ。誰かの気持ちというものを考えたことがあるのか? ないんだろうな宇宙のゴミが。早急に死ね無様に死ね無意味に死ね無駄に死ね無残に死ね」
「…………貴様」
男の発する言葉に、エドガルドは激しく心を動かされていた。男が襲い掛かってきた時も困惑こそしていたが、それは状況に対してである。襲ってきた当の本人には何の思いも抱かなかった。
もし男の在り方が真っ当だったら。あるいは発言が正論だったら。エドガルドの心には響かなかっただろう。だが、在り方は異常だった。発言は自分のことを棚に上げていた。
それが、余りにも苛立たしくて。
お前だけには言われたくないと心の底から思ったから。
「……名を名乗れ」
「長坂龍一だ。別に覚えなくていいぞ、これからお前は死ぬんだからな」
「長坂龍一……覚えたぞ。私は全身全霊で、貴様を冥府に叩き落とす! その首を刎ね落としてやるぞ長坂龍一ィッ!」
人生初の男に対する激昂を胸に、エドガルドは咆哮した。
ワンドロ企画 紅井りんご @apple24
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