リアルマサロン

「尿検査は」

「陰性です」


 警察署の中では刑事たちが陰鬱な表情をしていた。コカイン、ヘロイン、大麻……ありとあらゆる薬物の痕跡を探してみたが、全部陰性だったのである。


 普通の主婦があんな感情を高ぶらせてあんな前後の見境を失った行動を起こすだろうか。脱法ハーブの可能性ももちろん探らせているが、どうも期待できそうもない。


「彼女はどうだ」

「全く変わってませんね、パトカーの中からずっと同じ有様です」




 桧山紀男及び水川かずひろ殺人未遂容疑により逮捕された間庭優梨愛は、取り押さえられてからパトカーに乗せられ警察署に連れ込まれ取調室に入れられた今まで、三十分以上の間一秒たりとも休む事なくメダルボットと桧山に対しての敵意を剥き出しにした悪口雑言を吐いていた。


 メダルボットに九族皆殺しにされたとしても出て来なさそうな謗り言葉の連続に、警官たちはほとほと閉口してしまった。そして同時にその異常なほどの興奮ぶりに薬物の常習を疑い、同時にそうでなければ普通の主婦がこんな事をする訳がない、絶対薬物のせいでこんなになってしまったんだと思いたくなった。


「家宅捜索も入れますか?」

「無駄足だろうな。しかしなあ……カルトという言葉が出て来たのは俺だけか?」

「私もそう思いますよ」



 みんなあの男に騙されている。

 みんなメダルボットと言うくだらない物のせいで時間を空費している。

 目を覚まさせてあげなければいけない。

 そんな物に大事な未来を奪われてたまるか。


 彼女の吐き続けた言葉はだいたいそんなである。



 カルトが他の宗教をカルトと言って非難し攻撃対象にする事はよくある話である。

 優梨愛の中では自分たちこそ桧山の作り上げたメダルボットと言うカルト教団に洗脳されており、彼女は自らの手でその洗脳を解かねばならないと思い込んでいる、

 いや一片たりとも疑ってはいないのだ。


「精神鑑定します?」

「そうだな……」


 刑事たちは正常でない事を願わずにいられなくなった。正常な責任能力があるはずの人間があんな事をしたなんて思いたくない、それが偽らざる本音であった。







 翌日、間庭家の家宅捜索が行われた。

 そして警察の予想通り、かつ期待に反して薬物使用の痕跡及びカルト宗教関連の本は出て来なかった。


「何か際立った物はないか」

「あえて言えば子供部屋ですかね。絵本やおもちゃとかひとつもなくて、あるのは文学全集とかばかりですよ」

「それって書斎の間違いだろ」

「いえ、優梨愛の息子がそう言ってましたので」

「息子の名前は確か基弘と言ったな、その基弘君は今どうしている」

「平然としていますね。昨日朝から面倒を見ていた優梨愛の姉の森本卓美さんに聞いてみたんですけど、昨日からそんな調子だったようです」

「母親が帰って来ない事について何かないのか」

「どうしてなのとは聞いて来ましたが、逮捕されたとは言えず用事が長引いてとお茶を濁した所ああそうなんだで終わりました」


 基弘にとって優梨愛は何だったのか。


 普通の六歳児ならばその日に午後に帰って来ると言っていたはずの母親が一日経っても帰って来なければもう少し泣き喚いたり動揺したりするだろう。


「それで亭主はどうした」

「亭主は年中海外回りで、家にいたのは去年一年間で二十日あるかないかだとか」


 実質一人で子育てをやっていたような物だ。ゆえに自分一人の情念を息子に注ぎ込んでいたのだろうか。


「マスコミも大騒ぎだな」

「当たり前ですよ、そりゃこんなセンセーショナルな事件。だがそれにも増して」

「ああ、ニュースでもやってたな。最低女、子どもの敵はお前だ、人間あそこまで堕ちられるのか……」




 当然、新聞雑誌テレビラジオ等々各種メディアはこの事件を全力で取り上げた。だがそれ以上に、ブログやツイッターなどでの物言いが凄まじかった。


 デパートで逮捕されてから警察に連れ込まれるまでの間、優梨愛の妄言は垂れ流しにされ続けていた。

 桧山紀男と言うメダルボットの大ヒットで時の人になっている存在をこの世の全ての悪の根源、空が青いのも郵便ポストが赤いのも全部桧山のせいだと言わんばかりの世迷言を喚き散らす狂気の存在を目の当たりにした人間たちは、家族や知人に言い触らしまたネットメディアによって不特定多数に向けて間庭優梨愛の狂気を伝播した。




 なお優梨愛の暴発を生で目撃した人間の大半が、水川かずひろのサイン会とトークショーを楽しみにしてデパートにやって来た人間である。

 トークショーが優梨愛のせいで中止に追い込まれた事に失望と怒りを覚えた事は言うまでもなく、みな最大限の憎悪をもって優梨愛を非難した。


 マスコミのように幾度もの咀嚼を経ている事がないゆえその言葉は露骨であり、より迫力があった。




「皆さんが待っているのです、メダルボット次回作は予定通り来年1月に発売します、鋭意開発を進めます」


 優梨愛に十数発殴られ入院した桧山は、取材に来たマスコミに対し病室でそう高らかに宣言した。


 実際問題、たった一人の歪みきった悪意の持ち主より三百万人のお客様を大事にした方がずっと建設的である。



「確かにそういう非難を受ける事はありました」


 メダルボットのせいで私の子どもたちが勉強をしなくなった、そういう抗議は以前から会社に寄せられていたと言う。

 しかし、どんなに出来が良かろうとメダルボットはただのゲームであり、玩具である。

 そんな玩具に「親の考えたこの子の理想の人生への道」を壊されるならば、その道にはその程度の強度しかなかったと言わざるを得ないのだ。

 結婚して子どもを持つ事ができる程度に人生を経験しているのならば、もう十分に理想と現実とのギャップに苦しんできているはずなのだ。


(これでメダルボットはいよいよ国民的ゲームになるな…)

 刑事はそんな事を思った。三百万人のお客様と言うが、その中で進んでメダルボットのゲームソフトを与えた親と言うのはどれだけいるのだろうか。正確な割合はわからないが、おそらくさほど多くはないだろう。

 多くの親が、優梨愛ほど極端ではないにせよメダルボットに対しいい感情を持っておらず、子どもの強い願望や周りの空気に押されてやむなく購入したと言うケースも少なくないはずだ。




 それで、今度の優梨愛の事件を目の当たりにした親たちはどう思うだろうか。


 自分の中にあるメダルボットに対する悪感情が行き付く所まで行き付くとどうなるか、その果てを見せられてしまった親たちは、優梨愛の二の舞を演じてはならないとメダルボットに悪感情を抱くのを抑えようとする。そして子どもも、優梨愛の存在を引き合いに出して親たちの手を抑え込みにかかる。

 その上、今度の事件はメダルボットに興味のなかった層までその名を広げるきっかけとなった。好きの嫌いは反対ではなく無関心と言うが、一人の人間にそこまでさせるメダルボットとはどういう物なのかと知ろうとし、そして知った人間がメダルボットを好きになると言うケースは十分に考えられる。


 ましてや全く何もしがらみもない中立的な立場から見れば、自分一己の思い込みで殺人を犯そうとした人間と命の危険にさらされてなお己が方針を貫き他者の事を考える人間がいれば、前者を軽蔑し後者に尊敬ないし同情の念を抱くのは至極当然の話であろう。

 そういう意志を貫く人間が作っている物はきっと素晴らしい物であろう、その論法によって新たにメダルボットに手を出す人間がいても全くおかしくはないのだ。




※※※※※※※※※




「私は止めたんですが、どうしてもって」


 卓美は刑事たちの前で溜め息を吐いた。基弘は十四日こそ登校しなかったものの、十五日には平然と電車に乗り普連小学校で授業を受けていた。

 家にいたくないのはわかるとしても、いじめの対象になっても仕方ないのに平然と行けたのはなぜなのか。


「元より腫れ物に触る様な扱いを受けていたみたいで……あるいは基弘にしてみれば、あの子は母親ではなかったのかもしれません」


 よく言えば真面目でエネルギーに満ち溢れた人間だった優梨愛だが、それゆえに息子を含む他者にも同じようになる事を要求してしまったのだろうか。基弘が生まれた直後に渉外担当になり現在の日本にほとんどいない生活を送る事になった亭主の光弘に対しても、自分と基弘に縛られることなく仕事をして来て欲しいと言ったのが優梨愛だった。


「ねえ刑事さん、これ知ってる?」

「こら健二」

「ああこれか、僕が生まれる前からある漫画だ。もちろん知ってるよ」

「でも基弘君は一昨日まで知らなかったって」


 健二が走り込んで一冊の漫画本を刑事に見せた。メダルボットよりずっと前から子どもたちの心を鷲掴みにして離さないその漫画を、基弘はほんの一昨日まで知らなかったと言うのだ。


(基弘君の邪魔になると判断した物をひとつ残らず取り除こうとした……)


 確かに教養は必要だ、体力も必要だ。そして漫画は必要不可欠な物ではない。時間が有限である以上、必要でない物に時間を割いている暇はない。優梨愛は親として、基弘の邪魔をする物を取り除こうとしたのだ。








「リアルマサロン?」

「ええ。間庭優梨愛の事を、世間ではそう呼んでるそうです」


 捜査一課長と思しき中高年の刑事にとって、メダルボットはともかくウルスパ団にマサロンと言う単語は全くもって初耳だった。


「何だねそのマサロンとか言うのは」

「メダルボットのゲームに登場する悪の組織の大ボスです」

「君の子どもは確か小学三年生だったな」

「はい、メダルボットにどっぷりですよ。ラストバトルのセリフなんかもうここ数日で十回は聞かされたもんで覚えちゃいまして」

「で、その悪の組織は何をしたんだ、要人暗殺か?」


 その点に関しては私も正確にはわかってないんですがと前置きしながら若い刑事は子どもに擦り込まれてしまったラストバトルでの会話を再現し始めた。




「なぜメダルボットを使ってこんな非道を犯して来たか?そうだよ、メダルボットと言うのは悪い事に使えばこれほどまでに社会を混乱させられる物なのだよ。そんな物が君たちのような子どものおもちゃとして使われている…こんなゆゆしき事態を放置しておけと言うのか?だから私は、メダルボットを私利私欲の道具として使わせ、そして使っている。この事態を目の当たりにした人間は、みなメダルボットの本当の恐ろしさを知りメダルボットを捨てようとするだろう……まあこんな所で」

「それでラストバトルに勝った後はどうなったのかね」

「何と言う事だ……ああ、これで人類はおしまいだ。メダルボットと言う玩具の皮をかぶった兵器の危険性に気付かないまま無用に時を過ごし、手が付けられなくなって初めて愚かさに気付く……君たちのような思慮の浅い者のせいで……そう言いながら秘密基地の自爆装置を起動させ、自分諸共基地を滅ぼす事によって主人公と自分のメダルボットだけでも破壊しようとしたそうです」

「結果は?」

「主人公はもちろん無事です、そしてマサロンは自分のメダルボットの犠牲により脱出しますが、その際に自分を滅ぼそうとする者を救うなどバカな奴だとそのメダルボットを軽蔑したとか」

「………それで終わりかね」

「ええまあ」




 子どもを立派な人間に育て上げる、そのために手を汚してでも邪魔な物を取り除かんとした間庭優梨愛。

 世界平和の為に、あえて非道を犯しそれにより将来兵器となり得る可能性を持ったメダルボットを滅ぼさんとしたマサロン。


 優梨愛が世間からリアルマサロンと呼ばれるのも無理からぬ事だった。二人の行動とその動機は、不気味なほどに一致していた。


「ところで、間庭優梨愛の亭主の光弘は一年間で二十日ほどしか日本におらんそうだが、一体どこを巡っていると言うんだ」

「事件の日は北京にいたそうです。そして予定ではこの後サンフランシスコからリオデジャネイロ、そしてローマにモスクワ、ニューデリーにソウル…で日本に帰って来るのは年末だったそうで………」

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メダルボット @wizard-T

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