胸ポケットの手紙

百舌巌

第1話 胸ポケットの手紙

 目が覚めた。


 頭痛が酷く頭が重い。まるで鐘を耳の傍で鳴らされているかのようにズキンズキンと痛みが襲ってくる。

 目の焦点が合わないのか、周りの景色がぼやけて見えていた。


(うぅぅぅ……)


 目を瞑ったり開けたりしているとぼやけていた視界が明瞭になってゆく。それに従って見知らぬ天井が広がっていた。

 木目状の天板にシーリングライトが埋まっている。一般的な照明だった。


(病院?)


 そう、思った俺は周りを見渡したが、そこは八畳ほどの部屋でベッドが二つと本棚とチェストがある普通の部屋だった。

 どこかの民家の一室であることは確かだが、どこの家なのか分からない。

 家の中といっても、自分の家で無い事は分かる。他人の家の匂いがしていているからだ。


(ここはどこだ?)


 ひょっとして友人の家に泊まったのかと考えてしまった。自分が見知らぬパジャマを着ていたからだ。

 ベッドから起き上がろうとすると、パジャマの胸ポケットに手紙が一通入っているのに気が付いた。


『やあ、目覚めたか。 いきなりで悪いがこの手紙を書いたのはお前だ。 今日を頑張って生き抜いてほしい』


 三行程度の短いものだった。きっと、慌てて書いたのだろう。何とも汚い字だが俺の字だった。


(生き抜く…… って、どんな厄介ごとに巻き込まれているんだ?)


 肝心な事が何も書かれていない手紙に憮然としてしまった。

 俺は昔からそうだ。慌てると重大なミスをしてしまう。


(そういえば隣のクラスの山本と喧嘩になりかけていたっけ……)


 思い当たる事といえばその程度だ。お互いの好きなアイドルの事で激昂してしまい、胸ぐらを掴み合うまでになってしまった。でも、仲直りしたはずだと自問自答していた。


 唖然としていると部屋のドアが開いて、見知らぬ女性が入ってきた。

 彼女は起きていた俺にビックリしたようだが意に介さずに部屋の中に入ってきた。そして、手に持った衣類をチェストの中にしまいこんでいた。


「早く起きてください……」


 彼女はそれだけ言うと部屋を出ていった。

 見知らぬ家に見知らぬ女性。何より困ったことは、彼女は俺を知っているらしいという事だ。

 普通なら見知らぬ男が寝室に居たら大騒ぎに成るであろう。彼女がそうしないという事は俺のことを知っているのだ。


(親戚のおばさんかな? 何となく見覚えがある気がする……)


 そんな事を漠然と考えながら部屋を出て階段に向かった。

 階段を降りている最中に男の子が上がって来た。中学生ぐらいだろうか、俺を見ると舌打ちをして逆に降りて行った。


(生意気なガキが居るんだな…… 後で締めてやろうか……)


 何だか見知った顔だが名前を思い出せない。まあ、学校に行って誰かに聞けば分かるだろう。


 階段を降りて洗面所に入った。


(あれ? 何で洗面所が分かるんだ??)


 知らない家のはずなのに自然と足が向いたのだ。不思議なデジャブー感を覚えた。

 洗面所の中に入ってに鏡を見ると大人の男が写っていた。


「!」


 慌てた俺は洗面所を出て、廊下から中を覗き込んだが誰もいない。先に誰か入っているのかと思ったのだ。


(俺の勘違い?)


 洗面所に入り直して、改めて鏡を見た俺は固まってしまった。鏡には父親が写っているのだ。


(え!?)


 振り返るも誰も居ない。夢でも見ているのかと自分の頬を触ってみた。そして、再び鏡を見ると父親に似た奴が頬を触っていた。


(このおっさんは俺なのか……)


 鏡に写っていたのは老けた自分だったのだ。白髪と後退したオデコ。記憶にある父親のそれと一緒だった。

 違うものといえば見慣れないパジャマだ。昨日は灰色のスエットを着て寝たはずだ。


(何が起きてるんだ……)


 確か昨日は体育大会で非常に疲れていたのは覚えている。家に帰って来てシャワーを浴びて飯食ってすぐに寝た。

 そして、起きるといきなり何十年も経っているのだ。


(……お前は本当に俺なのか?)


 俺は鏡の映るおっさんに無言で問いかけていた。


 鏡の前で惚けていると、若い娘が洗面所に顔を覗かせてきた。


「お母さんが早くご飯食べてってさ……」


 それだけ言うと階段を上がっていった。パンツが見えそうな短いスカートを履いている。


(……誰?……)


 また、見知らぬ顔が増えた。


 この家には高校生ぐらいの女の子、中学生くらいの男の子が居るらしい。どちらも反抗期らしく素っ気ない態度だ。

 『お母さん』というのはあの女性の事だろう。そして、躊躇すること無く俺に話しかけるのは『お父さん』だからなのだろうか。

 どうやら俺はいきなり老けた上に家族が居るということに成る。


(困った…… 誰も思い出せない……)


 自分が甚だ拙い事に成っているらしいのは分かった。

 これが小説とかだったら転生したのかと考える所だ。だが、現実になってみるとどうしたら良いのか分からない。


 洗面所で悩んでもしょうが無いのでダイニングキッチンに入っていった。

 ダイニングキッチンには四人がけの机があって、そこに一人分の食事が用意されていた。他は済ませたようだ。

 焼き鮭とお新香と味噌汁。一般的な朝食だ。しかし、時間が経っているのか冷めているようだった。

 ヌルい味気のない味噌汁を飲んでからご飯を口に入れてみた。


(何だか…… 味がしないな……)


 焼き鮭には塩粒が乘っているのが見えた。俺はそれをつまんで口に入れてみる。


(やはり味がしない……)


 どうやら味覚に障害が出ているようだ。それとも、まだ夢を見ているのか。出来れば夢であって欲しいとも思った。

 他人の中にいる居心地の悪さは馴染めないものがあるからだ。

 朝食が乘っているお盆の横には薬が出ていた。薬も茶碗一杯に成るんじゃないかという量だ。

 それを飲まされていると言うことは俺が病気なのだ。


 ふと見ると台所の片隅に積み上がってる本がある。それは『アルツハイマー』に関するものだらけだ。


(アルツハイマー…… アルツハイマー…… アルツハイマー……)


 口の中で何度も繰り返した。記憶があやふやに成っていく病気だ。

 洗面所で自分がいきなり老けたのも理解できた。俺は色々と忘れているらしい。

 中学生ぐらいから今に至るまでの記憶がスッポリと無いのだ。


「何も覚えてない……」


 ポツリと漏らした。

 改めて記憶の無さに恐怖を覚え始めたのだ。そして、自分を取り囲んでいる見知らぬ人間たちにもだ。

 向こうは知っているのに自分は知らないのは恐怖以外の何者でもない。


「ひょっとして…… 俺はボケが始まってるのか?」


 台所で洗い物しているらしい女性に聞いてみた。彼女は一瞬ビクッとなった。


「……そんな事無いですよ、お父さん。 さあ、お薬を飲んでくださいね」


 彼女はそういうとにっこりと微笑んだ。



 瞬間。



 彼女との思い出が蘇ってきた。

 初めての出会い・プロポーズ・子供たちが生まれた・夫婦喧嘩・子供の入学式……

 俺の目の前に溢れ出てくる思い出の数々。それは彼女と作り上げたものだ。


(そうか、俺は彼女の笑顔に惚れたんだっけ……)


 彼女は俺の妻であり、俺の子供たちの母親だ。

 俺は余り良い父親で無かったのかも知れない。すれ違った子供たちの態度を見れば何となく分かる。


(これからはちゃんと出来るようにしよう……)


 だが、この想いは明日には忘れてしまうのだろう。きっと、これを何度も繰り返しているのだ。

 明日やろう明後日やろうと何もやらないのが子供の頃からの癖だった。それで何でも失敗していた。

 やれば出来る癖にやろうとせず言い訳ばかり考える人生を送ってきた。

 そう、分ってるくせに治そうとしないのが俺だった。


(…………)


 何だか自分の不甲斐なさに嫌気がさしてきた。

 涙が出そうに成るのを堪えていると思い付いたことがあった。


(そうだっ! 手紙を書けばいいんだ)


 何故、胸ポケットに手紙が入っていたのかを理解した。昨日の俺にも何か思う所が合ったに違いない。

 だから、今日の俺宛に手紙を書いたのだ。


 俺は明日の自分に手紙を書くことにした。

 そして、今度は彼女に『ありがとう。愛してる』と言うように書いておこう。


 うん、そうしよう。



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