放課後クラブ『ステップ!』
祭影圭介
第1話
「成川さん、遊びましょう~」
小学校二年生の福永比奈乃(ふくながひなの)ちゃんに手を引かれ、大学一年生の成川良輝(なるかわよしてる)は、小学校の空き教室を利用した部屋の、窓際のおもちゃがたくさん並べられている低い棚の前までやってきた。
本来はランドセルや学習道具を入れておく三段の棚に、人生ゲーム・ジグソーパズル・野球盤・ルービックキューブ・けん玉、トランプやUNOなど大小様々な玩具が所狭しと詰まっていた。教室の後ろの壁には金具で倒れないよう固定された大きな本棚があって、漫画や図鑑、絵本など三百冊ぐらい置いてある。
部屋の中は学校にある子供用の勉強机は全く無く、テーブルがいくつか置いてあるものの半分以上が、子供が広々と遊べるようなプレイルームのような感じになっていた。
成川は、棚からスルバニアファミリーのぬいぐるみや洋服を手に取った。
比奈乃ちゃんは、棚の上に置かれている、自分の首の高さぐらいまである二階建ての大きな家や、パン屋などを頑張って床に降ろしている。
おかっぱ頭に眼鏡で、服装はピンクのシャツに黒のレギンスパンツ。
とても大人しい性格で、おままごとなどをすることが多い。
成川は、同じ大学に通う女子の紹介で、神塚小学校に併設されている学童クラブで、学童保育のアルバイトをしていた。
背は174センチ、体重は六十キロ。顔は卵型で、黒の短髪にメガネを掛けている。
運動はやや苦手だが、低学年が相手ならなんとかなる。
趣味はアニメ・漫画・ゲームだが、表向きは旅行ということにしてあった。
今日は土曜日の午前中――
季節は大学の後期が始まったばかりの九月だが、陽射しがまだまだ強くて暑いので、エアコンの効いた室内で、窓にはブラインドが降ろされていた。
子供も少なく落ち着いている。
現在部屋の中にいる子供は、あと二人。男の子一人に、女の子が一人。職員のおばちゃんと教室の後ろの扉の近くで立ち話をしている。
平日は四~五十名と来るが、土曜日の午前中は殆どの家庭は両親がいるので、こんなものだ。多い日でも五~六人ぐらい。午後になれば校庭で遊べるようになるので、遊びたい子供達がやってきて、一気に二十人ぐらいまで人数が増えるだろう。
昔は午前中も外で遊んでいたが、うるさいと近隣住民から苦情が来て、午後だけになったそうだ。
「成川さん、早くみんなに服を着させて」
比奈乃ちゃんが、ややむすっとした顔でこちらを見ている。
「比奈乃ちゃんは、どれを使うの?」
そう言いながら、しゃがみこんで裸のうさぎやクマの人形に服を着せていった。
ちゃんと遊ばないと、今みたいに子供から怒られる。
教室前方の窓近くの床には、二つのゾーンがビニールテープで区切られていて、ひとつの玩具をそれ以上広げてはいけない仕組みになったいた。
スルバニアの家々や人形を入れたケースなどはテープが張ってある枠いっぱいに広がり、二階建ての家に比奈乃ちゃんは、ベッドやテレビソファなどを配置していた。
隣のスペースでは、小学一年生の男の子、寺島勝也(かつや)君がラゴブロックをやり始めた。
黒いシャツに、黒い短パンを穿いている。
丸顔で、一年生の割には太っていて、二~三年生ぐらいに見える。
力も強く、活発な男の子だ。
何を作るのか知らないが、ジャラジャラと大きなケースの中を漁って、次々とブロックをはめていく。
「成川さんパン屋さんね」
比奈乃ちゃんから、クマの人形を渡された。パン屋の店主をやれということだろう。
店員さんになりきって、人形をお店の中で動かす。
「いらっしゃいませー」
「まだ!」
まだ遊びは始まっていなかったらしい。
うーむ、難しい……
うさぎのお母さんが、ベビーカーにうさぎの赤ちゃんを乗せて、家から出発した。パン屋の扉を開けて親子が入ってくる。
「いらっしゃいませー」
「ピザくださーい」
「はーい。千円でーす」
適当に金額を設定して答えた。店の中に並んだパンの中から、ピザを取って渡してあげる。
買い物を終えたうさぎ親子は、それを持って二階建ての大きなおうちに帰っていった。
そこで、ガン! と、家が大きく揺れた。
隣で遊んでいた寺島勝也君の背中が、スルバニアの家にぶつかったようだ。カチャッと音を立てて、家具がいくつか二階から落ちて床に転がる。
勝也君はテープを張った線からはみ出て、青くて薄いブロックを繋ぎ合わせてどんどん広げていた。海を作っているのだろう。
さらにその上を、小舟(ボート)にラゴの人形を乗っけて動かしていた。
「勝也君、ラゴは決められた範囲、テープの中でやって」
注意するが、遊ぶのに夢中で聞こえていないようだ。
比奈乃ちゃんの方は、倒れた家具などを黙々と、ただひたすら元に戻していた。
成川もそれを手伝いながら、勝也君に話し掛ける。
「勝也君、ラゴは決められた範囲、テープの中でやって。あとスルバニアの家にぶつかって壊れたんだから、ちゃんと謝って」
勝也君はこちらを向いたものの、やはり自分の世界に浸っているようで、今度はスルバニアのベッドを小物入れの中から取り、自分の方へと持って行った。
「こら。違う種類のおもちゃ混ぜて使ったらだめでしょう」
だめだこりゃ。全くルールを守らない。
「お城のベッドにする」
「戻して」
「やだ」
しょうがないから実力行使しよう。
「戻すね」
と言って成川は、ブロックに囲まれた建物の中に置かれているベッドを掴み、スルバニアの小物入れに戻す。
ところがこの対応がまずかったようだ。
勝也君が取られたと思ったみたいで、『んー!』と声をあげながら暴れ出した。顔を真っ赤にして怒っている。
暴れる牛のように腕を振り上げながら、何がなんでも取り返そうと突進してくる。
しょうがないので立ち上がり両腕を掴んで止めさせた。
今度はスルバニアの家をガンと蹴ったり、棚を蹴ったりしている、
まずい。このままだと比奈乃ちゃんに危害が……
そこへ職員の草加さんが飛んできた。五十代前半ぐらいで、背は165センチ、体重は五十キロぐらいだろうか。
顔は多少皺があるが、若い頃は美人だったのだろう。髪の毛はセミロングの黒で少しパーマがかかっている。
三人の自身の子供を育てたと言っていて、子供の扱いには慣れているようで、学童保育の経験は五年ぐらいだそうだ。
しゃがんで真剣な表情で、強い口調で言い聞かせている。
「ルール守らないなら使わせません。勝也君、自分が遊んでいるときに、邪魔されたり壊されたりしたら嫌でしょ」
むーと言いながら、少し大人しくなる勝也君。
さすがだ。注意の仕方がうまい。
もう離しても大丈夫だろうと思って、押さえていた腕を離し草加さんに身柄を引き渡す。
ここは職員に任せよう。
さて、スルバニアがすっかりぐちゃぐちゃになってしまった。どうしよう……
「比奈乃ちゃん、ここから移動して教室の後ろの方でスルバニアしようか」
「……枠の外に出たらいけないんじゃないの?」
本当はそうなんだけど、今は勝也君と距離的に離れた方が、トラブルが少ないだろう。
草加さんの方をちらりと見る。勝也君と話をしている最中だったが目が合い、無言で頷いた。
大丈夫ということだろう。
「今日は人が少ないし、午前中だけ特別OK♪」
「うん」
と頷き、比奈乃ちゃんの表情が、ぱっと笑顔になる。
「じゃあ、お引越ししよう~」
そして二人で協力しておもちゃを運び、三十分ぐらい楽しく遊んだ。
混雑した神塚院(かみづかいん)大学の学食のカフェテリアで、成川は一人でとんかつ定食を食べていた。
温泉研究会というサークルには所属しているものの、リア充ばかりでオタク話ができる友達はおらず、アニメ・漫画・ゲーム好きなのでやや息苦しかった。
また今のところ、自分がオタクであるとは打ち明けていなくて隠している。
なんでそのサークルに入ったかというと、小学校の頃からずっとオタク一筋だったが、何か違うことがしてえなぁ……、でも本格的なスポーツはやりたくないし―― と、キャンパス内をふらふらしていたところ、勧誘されたのが温泉研究会やお散歩研究会などだった。
お散歩研究会は、食べ歩きが中心で楽しそうな感じだったのだが、温泉研究会の方で古い知り合いとたまたま会い、そちらに入ることに決めた。
「成川君、部室で食べないの?」
いつの間にやってきたのか、目の前に文学部一年の姫野愛佳(ひめのあいか)がいた。
白を基調とした女の子らしい花柄のワンピースに、すらりと伸びた白い脚と、赤いパンプスに惹きつけられる。
茶色に染めた髪は長く緩やかに流れていて、いつも笑顔で全体的にふわふわとしていた。
綺麗で可愛いので緊張というか、ちょっとドキドキする。
「次の教室が遠い。姫野さんこそ、あっちで食えばいいじゃん」
「私、週一回しか出てないから、そこまで馴染んでないし……。それより慣れた?」
姫野は向かい側に腰を下ろし、トートバッグから菓子パンやペットボトルのジャスミン茶を取り出して、テーブルの上に広げて食べ始めた。
「うーん……、まあまあ」
六月から放課後クラブでバイトを始めて、週三~四回ぐらい。
夏休みの間に結構入ったので、そこその金額になった。
子供達の顔と名前もだいぶ一致するようになったし、それぞれの性格もわかるようになってきた。
注意したり喧嘩をやめさせたりするのは大変だが、職員のおばちゃんたちに教えられながら、なんとかできていると思う。
まさか自分が、こんなアルバイトをするとは思っていなかった。
実家暮らしだから生活には困っていないが、サークル活動で月1回は日帰り温泉に行く。
さらに夏と冬に合宿があって、四泊五日で全国の温泉巡りをするので、旅費が必要でそこそこお金がかかる。
ゲームとかも買いたいし――
そもそもバイトを始めたのは、大学にも慣れてきて、なんかバイトでもしようかなと学生課の掲示板の前をうろうろしていたとき、姫野に声を掛けられた。
話を聞くと、地元の知り合いのおばちゃんの紹介で始めたが、人手が足りなくて困っているという。
特に女子ばかりの職場なので男手が欲しい、今なら受かる! と言われて、つい面接に行ってしまった……。
姫野と会うのは大体週二回ぐらい。
学部が違うが、フランス語が一緒なのと、姫野は音楽系のサークルと掛け持ちなので、活動に参加するのは週二回のところ一回のみだった。
しかし成川にとっては、あまり会いたくない相手でもあった。女子に慣れていなくて緊張するのはもちろん、もっと別の理由がある。
ちょうどよい適切な話題が思いつかなくて、黙々ととんかつ定食を半分ほど平らげて、間が持たないので、コップに入った水を飲もうとしたところ、唐突に姫野が質問してきた。
「成川君ってさぁ、まだカンタムとか好きなの?」
ごほっ ごほっ!!
盛大に咳き込んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
「あ、ああ……」
こんなところで、そんな話をするなよ……
「カンタムのカードとか、よく学校に持ってきてたよね? あと本屋の前で、漫画雑誌立ち読みしてるの結構見かけたよ。懐かしいな~」
全然話した記憶はないが、小学校六年の時、姫野と同じクラスになった。
今はお互い引っ越して、小学校があった場所とは、別々の地域に住んでいる。
大学で七年ぶりに再会したとき、実は姫野の方から言われるまで全然気づかなかった。
サークルに入った時、名前は聞き覚えがあって、もしかしたら――とは思っていたのだが、こんなに可愛かったっけ?と思ってしまい、当時の雰囲気があまり残っていなくて、別人だと思い込んでいた。
「そうだけど……、サークルではみんな知らないんだから言うなよ」
「大丈夫、大丈夫、わかってるって」
軽く手を振りながら彼女は答える。
本当に大丈夫かよ――と思いながら、成川はあたりを見回した。幸い顔見知りはいないようだが、姫野は可愛いのでどうしても目立つ。
どこで誰に聞かれているかわからない。
サークル内で人気のある女子と話せるのは嬉しいが、隠れオタクであることを知っていて、弱みを握られているようなものだった。
「成川君さ、聞こうかどうしようか迷ってたことがあるんだけど……、聞いていい?」
興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
成川は話を聞くことにして食べ続けた。
「なんだよ?」
「パソコンとかで、エッチなゲームしてるの?」
ごほっ ごほっ!!
今度はご飯を喉に詰まらせそうになった。
慌ててお茶を飲んで一息つき、気分を落ち着かせる。
姫野はにこにこした表情で、こちらの答えを待っている。
「高校の時付き合ってた彼氏で、家に遊びに行ったとき、エッチな絵が描かれたパソコンゲームの箱見つけちゃった。今はもう別れちゃったんだけど……。全然オタクに見えなかったんだけどねー。ねえオタクの人ってみんな、ああいうのやるの?」
だからこんな大勢がいる場所で、エロゲーの話なんてするなって!
こいつ何もわかってねえ……
やばい。危険だ。しかもいきなり、元彼の話とかされても困る!
さっさと退散するのが一番だ!
成川は茶碗を片手に持つと、猛烈な勢いで残っているご飯をかきこみ、とんかつ二切れを口に放り込んだ。
最後にコップに残っていた水で流し込む。
「成川君?」
成川は、お盆と荷物を持って席を立つ。
「次の……経済学の教室、遠いから。友達も待ってるし、じゃあ――」
「あー待ってよ! 置いてくなんてひどい!」
膨れている顔も可愛いが、残念だがもうこの話には耐えられない。
「口元にソースついてるよ!」
「後で拭いておく。ありがとう」
オタクとばらされたくないのと、あと女子と何を話していいかわからず、背を向けて食器を返却口に片づけに行った。
土曜日の十二時半過ぎ――
成川は昼食から戻ってくると、教室の後ろの方に立って、ぼーっとしていた。
昼のお弁当を食べると、学童クラブでは倉庫からキャスター付きの台に乗ったテレビとDVD・ビデオプレイヤーを出してきて、十三時までビデオをみるという慣習になっている。
平日は普通学校の授業があるので、鑑賞するのは土曜日だけだ。
お腹を休めるためだが、その間玩具も使えず、何もないと退屈してしまうのでビデオを見せているのだろう。
画面に映されているのは、ズブリ作品の『令和きつね合戦コンコン』だった。
勝也君や三人の低学年の子供達が鑑賞していた。
今日は比奈乃ちゃんは休みで、隣の部屋にまだ一人女の子がいた。
隣の部屋はクラブ室と呼ばれていて、所長や職員の机など、教室の三分の一ぐらい立ち入り禁止のスパースがある。会費を払っている家庭の子供が、そこでお母さんに作ってもらったお弁当を持ってきて食べていた。
それ以外の利用で一時的に遊びに来る子は、立ち入り禁止の部屋である。
一方、ビデオを見ているこちらの部屋は、長方形の大きなテーブルが一つと、後ろの方は絨毯のタイルが敷かれていた。タイルの上には、こたつよりも低い子供用の小さなテーブルが六つ並べられていて、上履きを脱いでボードゲームや積み木などをする場所になっている。
こちらは、おもちゃと机しか置いておらず、誰でも入ることができた。
ビデオを見ていたうちの一人、小学一年生の武神美優紀(たけがみみゆき)が成川に気付き、立ち上がってにやにやしながらやってきた。
今日は長い黒髪を後ろでまとめている。細い顔に小さい唇と人形のようだ。
服装はやや地味で、紺の飾り気のないワンピース。でも油断しちゃいけない。一見大人しそうに見えるが活発だ。
性格はとても悪戯好きで、いつもなんかやってくる。
今も「ていっ」と言いながら成川の足を踏んだり、両手で頑張って押してくるので、力を入れてその場に踏ん張っている。
「壁についたら負けね」
と美優紀ちゃんが言い出して、お相撲が始まった。
無邪気な笑顔がとても可愛いらしい。たまに遊ぶのに夢中になりすぎるのか、はしゃぎすぎてよだれが少し垂れることがある。
成川は適当に相手をしながら話し掛けた。
「ビデオ見ないの?」
「見なーい」
何が好きなんだろうか?
よし! ラブキュアの話で仲良くなろう。
しかしラブキュアを見ているとは言えない。バイト先でも、もちろんオタクなのは秘密だ。みんなに聞こえるような大声で「えー!? 男なのにそんなの見てるの!?」と馬鹿にされてしまう。
「どんなのTVが好きなの、ラブキュア?」
「えー、ラブキュア嫌~い」
まじで!?
一瞬、思考が停止した。
『いっぱいキャラクターいるよね。よくわからないんだけど、何色が好きなの?』などと、知らないふうを装って会話しようと思ってたのに……
完全に目論見が外れた。
どうやって話を続けようか――
なんとか平静を装って、お相撲をしながら尋ねる。
「……なんで嫌いなの?」
「気持ち悪~い」
なんだと!? 気持ち悪いだって!?
ショックで絶句した。
しかしここで、ラブキュアの素晴らしい魅力を語り出すわけにもいかない。
ラブキュアとかが好きなのは、もっと年齢が低い幼稚園とかまでなのだろうか。それとも美優紀ちゃんが特殊なのか……。
とにかく人生で一番ぐらいの衝撃だ!
「ねえ、お迎えまだ~? 暇~」
「パパが来るの四時でしょ、美優紀ちゃん……。あと三時間以上あるよ」
成川は目や口、鼻を動かして、次々と表情を変えて変顔をした。
美優紀ちゃんは、きゃはははと笑う。
押す力が弱まった隙に、大股三歩分ぐらい一気に押して、教室の真ん中ぐらいまできた。
「このままいけば、俺の勝ちだ!」
「あーずるいー。笑わせるの禁止―。成川の負けー」
「俺、何もしてないよー。あれが俺の普段の顔なんだ」
「あ~嘘ついた~。そんなわけないだろう、バカ」
美優紀ちゃんが、一回成川から離れると、大きく手を振り回して、ポカッと成川の腰のあたりを叩いた。ちなみに全然痛くない。
「もう一回だ!」
美優紀ちゃんは宣言して、成川に軽く体当たりしてきた。
それから隣の部屋に行って、みんなが食べたテーブルを拭いたり掃除機をかけたりするまで、十五分ぐらい遊んだ。
平日の夕方五時頃、殆どの子供達が校庭に遊びに行き、教室内はがらんとしていた。
それまでパワーが有り余っている子供達が廊下を走り回ったり、男の子達がプロレスごっこでじゃれていたのが、途中から本気を出し始めて喧嘩になったり、とにかく荒れていた。
子どもの数が多くなると当然だがトラブルが多くなる。
勝也君も他の男の子が作っているプラレールの線路をうっかり踏んで壊してしまい、すぐに謝らなかったので少々揉めた。
雨の日はもちろん、暑すぎると日射病や熱中症の危険があるので、気温が高いと外に出せない。
六月の梅雨の時期は雨で、それが終わっても今度は真夏の暑さで、ずっと外で遊べない日が続く。
九月中旬の今もまだまだ暑いのだが、この日の朝は小雨で、すぐに曇りに変わった。
気温的には大丈夫だが、校庭が濡れていたり水溜まりがあると、滑って危ないので出られない。
しかし暑くて外に出られない日が続き、教室内でずっと勉強させられ発散できずにストレスが溜まっていたのだろう。
「外に行きたい」「校庭まだー?」「雨止んでる!」
という声に圧されて、職員が一輪車とか滑りそうなものはダメという条件付きでOKした。
サッカーや野球がしたい男の子達は大はしゃぎで、活発な女の子達も喜んでいた。
比奈乃ちゃんと美優紀ちゃん、勝也君は校庭に遊びに行った。
教室内には数人の子供が残っていて、大人しく本を読んだり漫画を読んだりしていた。
そんな中、長テーブルで鼻歌を歌いながらマイペースに、色鉛筆で塗り絵をしている一人の女の子がいた。
二年生の藍生(あおい)さやかちゃんだった。
背が高くツインテールに、白いシャツと赤いスカートがよく似合う。
北欧とのハーフのような顔立ちでモデルさんのようだ。
だが、この子が一番難しい……。
ムッキーマウスの塗り絵をしているが、成川は室内をウロウロしながら、話し掛けようかどうしようか迷っていた。
一番最初に出会ったとき、「ドミノやる? ジェンガやる? トランプは?」 と提案したが、さやかちゃんは全部『うーん……』と小首を傾げただけで、結局会話が全く続かなかった。
普通なら、「あれやりたい」「これやりたい」、「一緒に〇〇しよう」みたいなのが子供の方からあるのだが――
二回目会ったときも、話し掛けたがやっぱりダメで、さやかちゃんは教室の隅にポツンと独りで立っていて、みんなの様子を見ていた。ただぼーっとしているだけなのか、何かを考えているのか、それもよくわからなかった。
さて今回は、どうするか――
散々迷った挙句、いつまでもウロウロしているのも変な目で見られるし、また失敗するのも嫌なので成川は、さやかちゃんの真向かいに座り、子供たちの様子を見ながらぼーっとしていた。
そのうち誰かから遊ぼうと誘われるか、職員の人が『ハロウインの飾りつけ作ってー』などと、仕事を持ってくるだろう。
五分程が経ち、さやかちゃんの方は、ほぼ塗り絵が終わったようで、色鉛筆を置いて完成した絵を眺めていた。
『デズニー好きなの?』と話し掛けようかと思っていたが、会話するのも面倒なので黙っていた。
すると突然、彼女の方から話しかけてきた。
「明日おばあちゃんち行くの~」
独り言か?
と一瞬思ったが、そういう風にも見えない。念のため周囲を確認するが誰もおらず、こっちを見ている。
「そう……遠いの?」
少しびっくりしたが、話を合わしてみる。
「うーん、車で一時間ぐらいかな」
「ああ、お父さんが運転してくれるの?」
「そう。でもパパ、この前車ぶつけた」
おいおい、大丈夫か……。
お父さんが車をぶつけた話を突っ込んで聞くか、おばあちゃんの家の話にするか迷ったが、
「おばあちゃんは犬が好きなのー」
さやかちゃんは、おばあちゃんの家の話に戻った。
その後、おじいちゃんの話や、祖父母の家で飼っている犬の話など、十分ぐらい身の上話を聞いた。
さやかちゃんと、初めてまともな会話ができた。
彼女は室内で遊ぶのが飽きたようで、校庭に行ってしまった
少しは仲良くなれただろうか。
なんで今回は話が出来たんだろう――
じっくり考える時間もなく職員の方に呼ばれて席を立った。
良く晴れた平日の午後――
現在は閉鎖されていて使われていない東門近くの校庭の隅の木陰で、成川は帽子を 被って子供達を見守っていた。
近くの用具入れから、帽子を被った女の子達が、次々と一輪車を両手で押しながら運んでくる。
「高くしてー」
「低くしてー」
「これもっと高くー!」
「曲がってる~」
などなど、一から三年生ぐらいまでの女の子達が、六人ほど高さを調節してくれと持ってきた。最後の子は、サドルの部分が曲がっているから、真っすぐにしてくれと言っていた。
成川はしゃがんで、サドル下のレバーを掴んで回してネジを緩め、注文に答えていた。
「どのぐらい? これぐらいでいいかな」
「もっとー」
「えー、そんなに高くするの?」
言われた通り椅子の部分を高くして渡す。すぐに次の子の一輪車の調節に取り掛かった。
「早く~」
「遅い」
一生懸命やっているのだが、文句を言われる。
六人ぐらいずっとやっていると、だんだん手が痛くなってくる。中にはレバーが回らず固く締まっているものもあり、かなり力が必要で、それだけでも汗をかいた。
調節が終わり次第、みんなすぐ一輪車に跨り、上手な二~三年の女の子達は、すいすいと漕いでいく。
まだそんなに上手くない子は、近くの低い鉄棒に掴まりながら練習していた。
校庭にいる子供の数は三十人ぐらいか。全員帽子を被っている。冬でも必ず着用する決まりになっていた。
正門の近くに職員の草加さんがいて、みんなを見守っている。
机とカード入れが置いてあり、利用する子供はカードを『こんにちは』のところに入れる決まりになっていた。あとで利用者を把握し集計している様だ。
「やっぱもうちょい低く」
さっき調節してあげた子が戻ってきて、一輪車から降りて渡してきた。
「も~、だからそんなに高くして大丈夫なのかと言ったのに」
えへへ~という顔で笑っている。
再び調節して渡すと、ちゃんと今度は「ありがとう」と言ってくれて、友達の方へふらふらしながら漕いで行った。今度は大丈夫なようだ。
やっと終わって一息つくと
「成川さーん、野球のボール池に入っちゃったー!」
高学年の男の子達から大声で呼ばれた。
はい。はい。今行きますよー。
成川は暑い陽差しの下に出て、池の方に駆け出した。
中央玄関の脇に、手洗い場と池がある。
池は柵で囲われ、子供用の大きなビニールプール三個分ぐらいの広さだ。
鯉が泳いでいたり四匹の亀がいるのだが、大きな樹も生えているし、周りを人の頭ぐらいの大きさの黒い石で囲まれてできているので滑りやすい。
子供は入ってはいけない決まりなので、職員が取らないといけない。
「どこ?」
池の周りにいる、プラスチックでできたバットを持った男の子達が指をさす。
「あそこ、あそこ!」
左端の方に、青色のビニールでできたソフトボールがぷかぷか浮いていた。下の方では十匹ぐらいの鯉が泳いでいて、亀が石の上でくつろいでいた。
柵を乗り越え、池の中に落ちないよう、慎重に石の上を進む。ここで落ちたら、子供達の笑い者だ。絶対、馬鹿にされる。
しゃがんで水の上に浮いているボールを掴み、立ち上がって無事柵の外に出る。そのまま手洗い場でボールに水をかけ、濡れたそれを渡した。
「はい」
「ありがとうございまーす」
男の子達はお礼を言って受け取ると、野球をするため西側へと戻っていった。
東側の鉄棒がある方が一輪車、西側が野球というように、遊ぶのに夢中でぶつかったりしないようにエリアを分けている。
校庭には姫野もいるはずで、彼女は何をやっているのかと見たら、鉄棒の方にいた。
大学にいる時と全然服装は違って、ピンクのシャツにジーンズで、すごい地味だ。
化粧もあまりしていないが、相変わらず可愛い。
彼女の周りには女の子達がいて、おしゃべりをしているようだ。まだ上手く一輪車に乗れない子を『頑張れ!』と励ましているようだった。
成川が手洗い場の蛇口を逆さにして水を飲んでいると、比奈乃ちゃんが「遊ぼー」とやってきた。
直後、比奈乃ちゃんと反対の方向から、美優紀ちゃんが「鬼ごっこやろう!」と誘いに来た。
「比奈乃ちゃん何するの?」
うーん……と、比奈乃ちゃんは考え中。
決まってないのかよ!
後から来た美優紀ちゃんの方が、「ねぇ、遊ぼ―!」と手を取って、引っ張ってくる。
「比奈乃ちゃん、鬼ごっこでいい?」
「やだ」
やだって……
できれば今度から、何して遊ぶのか、はっきり決めてから来て――と言いたいところだが、とりあえず黙っておく。
「じゃあ何がいいの?」
うーん……と、比奈乃ちゃんはさらに考えて、ようやく思いついたようだ。
「大縄したい」
「美優紀ちゃん、大縄でいい?」
「えーやだー、鬼ごっこ~」
美優紀ちゃんも、腕にしがみついて駄々をこねる。
困った。
じゃんけんをしてもらって、勝った方と先に遊ぶことにして、二十分経ったら交代にするか。
でも先に来たのは、比奈乃ちゃんだしなー。
どっちか折れてくれないかな――
と考えていると、
「成川さーん! ボール木に乗っちゃったー!」
野球をしていた高学年の男の子達から、再びお呼びがかかった。
校庭の西側に彼らはいた。フェンスに沿って木が植えられている。
ここからでは木の上にボールが乗っかっているいるかはわからないが、プラスチックでできたバットを伸ばして枝を揺すったり、登って取ろうとしている。
まったく……手のかかる連中だ。
だが今は、ちょうど良い助け舟だった。
「ごめん、二人とも。ちょっとボール取りに行ってくるね」
そう言って走り出す。
「成川さん! 鬼ごっこー!」
美優紀ちゃんが不満そうに叫ぶが、とりあえず無視して逃げる。
ゆっくり遊ぶ暇もなく、大忙しだった。
土曜日十時過ぎ。
電車が遅れて始業時間を少し過ぎてしまった。
成川は出勤するなり、比奈乃ちゃんから「遊ぼー」と声を掛けられ、早速捕まった。手を引っ張られ、おもちゃの棚の方へ連れて行かれる。
「比奈乃ちゃん、成川さんのこと好きでしょ」
草加さんが笑顔で言った。
比奈乃ちゃんはそれには答えず、おもちゃの置いてある棚の方に、ちょこちょこと歩いていく。
「成川さんまだー? まだー? って何回も聞いてくるの。でも残念ねぇ。もう少しで転校しちゃうんだって」
「え!? そうなんですか?」
今日初めて聞いた。この前会ったときは、何も言って無かったのに――
「転校しちゃうの?」
「うん」
「いつ?」
「来月」
そうかー。
せっかく仲良くなれたのに残念だ……。
おもちゃの棚の前まで来たが、比奈乃ちゃんは何で遊ぶか迷っていた。
よく遊んでいるスルバニアは、見かけない女の子達が四人で遊んでいた。三年生の集団で、そのうちの二人は姉妹のようでよく似ている。背の低いちっちゃい方が一年生だろう。
顔は見たことあるが、まだ一緒に遊んだことは無く、名前も誰が誰だか覚えていない。
比奈乃ちゃんも、さすがにあの集団の中には入っていきづらいようだ。
この前校庭で遊ぼうと言われたとき、もっと希望を叶えてあげれば良かったかなと思いつつ、しゃがんで比奈乃ちゃんの表情を見ながら提案する。
「トランプ? オセロ? おはじき? ジグソーパズル? 人生ゲーム?」
首を横に振ったり、う~んと考えているが、どれもいまいち気分が進まないようだ。
あと低学年の女の子ができそうなのは……
チェスや将棋は難しいし、ドンジャラは二人でやっても面白くないし、野球盤はやらないだろうし……
「ミニドミノは?」
こくっと頷いたので、それの入った箱を手に取った。
遊びたいものが見つかってよかった。
上履きを脱いで絨毯の上を靴下で歩き、背の低い子供用のテーブルの前に胡坐をかいて座る。
比奈乃ちゃんも同様に、向かい側に腰を下ろした。足をテーブルの下に伸ばしている。
二人でミニドミノをテーブルに並べていった。
長方形の将棋の王将ぐらいの駒の大きさで、赤・黒・緑・青・黄色の五色がある。ニ十個ぐらい並べたところで、比奈乃ちゃんは横に並べるのに飽きたのか、突然ドミノを縦に積んで高いタワーを建て始めた。
こちらも真似して、負けじと二段、三段と積み重ねる。
「何してるの?」
そこへ勝也君がやってきた。
「成川タワー作ってるんだ」
四段目、五段目と集中して作っている途中なので、彼の方を見ないで答えた。
「入れてー」
と言って上履きを脱いで、テーブルの前に座る。
勝也君と比奈乃ちゃんを一緒に遊ばせて大丈夫か?
しかしまだ何もしていないのでダメとも言えない。OKして様子を見るしかないだろう。
「比奈乃ちゃん勝也君も入れてあげて」
比奈乃ちゃんはこくんと頷く。五段目を作って、少し休憩しているようだった。
「倒さないように気を付けて遊んでね」
やったーと喜びながら、勝也君は早速ミニドミノを手に取り、作り始める。
「よし、比奈乃ちゃんより高いの作るぞー」
六段目までは良かったのだが、七段目で三十センチぐらいの高さになり、ぐらぐらしていてちょっと危険だ。ミニドミノを手に取ったものの、八段目をやろうかどうしようか迷う。
比奈乃ちゃんも勝也君も注目していた。
「押すなよ、押すなよ」
二人の顔を見ながら言った後、そーっと慎重にミニドミノを載せようとしたところで、ちょんと勝也君が横から手を出した。
「おい!」
ガラガラガラと音を立てて、ミニドミノのタワーが崩れた。
あーあ……
ゲラゲラと勝也君が笑っている。
比奈乃ちゃんも愉しそうな表情をしていた。
気を取り直してまた一からタワーを作り始める。二、三、四と順調だったが五段目ぐらいのところで、再び勝也君がドンと結構強めに押してきた。
「うわ!」
カチャカチャカチャと上部が崩れ、テーブルの上に落ちる。幸い半分ぐらい残ったのだが、それも勝也君がパンチで壊してしまった。
「こら」
と軽く注意するが、比奈乃ちゃんまでおかしそうに笑っている。
そして美優紀ちゃんも、二人の楽しそうな雰囲気に惹き付けられたのか、ワクワクした表情で寄ってきた。
「今度は壊すなよ~」
勝也君に向かって告げると、一段、二段と積み上げる。
すると今度は、えいっと可愛らしい声と共に、美優紀ちゃんが、まだ三段にもなっていないミニドミノに向かって手を振り下ろした。
ガチャっと音をたてて潰れる。
きゃはははは
めちゃくちゃ楽しそうな声ではしゃぐ美優紀ちゃん。
「早いよ~」
まったくもう~
ちっとも高いのが出来ないじゃないか。
比奈乃ちゃんも、ドミノで遊ぶのを邪魔されて嫌というわけではないようだ。面白そうにしている。やめさせる必要はないだろう。
その後も頑張ってタワーを作ろうと繰り返すが、毎回壊され賽の河原状態だ。
遂には比奈乃ちゃんまで壊すのに参加し始めて、そういう遊びになってしまった。
「あれ? 今日、姫野は?」
「辞めたわよ」
「え――?」
草加さんの答えに、成川は教室の真ん中で思わず立ち止まった。
十月になって最初の土曜日の十三時過ぎ。
隣室の清掃から戻って来ると、子供達は椅子に座りながらテーブルの上でミサンガを作っていた。
朝から雨で外に出られないので、工作などに注意を向けさせて大人しくさせているのだろう。
いつもなら誰かが「遊んで~」と寄ってくるのだが、今日は見向きもされない。
比奈乃ちゃんや美優紀ちゃん、さやかちゃんだけでなく、勝也君までもが夢中になって取り組んでいた。黄色や紫、緑色など好きな色を手に取り、一生懸命編んでいる。
そんな中、午後からシフトに入っているはずの姫野の姿が無く、不思議に思って聞いてみたら、驚きの答えが返ってきた。
「何も聞いてないの?」
「はあ……、まったく……」
「私達もよく知らないのよ。昨日、突然電話が掛かってきて、所長が対応したみたいだけど」
成川は草加さんの方に近付いて、やや小さな声で聞いた。
「何かあったんですかね?」
「そうねー。女の子とは良かったんだけど、男の子とは合わなかったみたいね~。まあ私達もケアできなかった部分もあるかもしれないから……。一緒の大学でしょ。今度会ったら聞いておいて」
「ああ、はい……」
あまりそのことについて触れられたくないのか、草加さんは口を閉じてしまった。
何度か一緒に子供達の面倒を見ていた時は、楽しそうにやっていたように思えたが――
姫野がいないと、このバイトをやっている意味が無い。オタクだとばらされたくはないが、バイト中なら、まだ大学にいる時よりも自然と一対一で話すことがあったのに……
サークルや語学では、女子のグループで固まっているので、意外としゃべる回数は少ない。
せっかくの同年代の可愛い女子と関われる貴重な機会が――
それにしても誘ったやつが、何も言わずに先にいなくなるって……
もやもやした気持ちを抱えながら、今度大学で会ったとき、なぜ急に辞めたのか聞いてみようと思った。
平日の十一時過ぎ。
成川はフランス語の授業のため、二十人ぐらいしか入らない小さい教室の中にいた。
場所は三人掛けのテーブルの列の窓側で、姫野の後ろに座っている。
姫野は今日もワンピース姿だ。水色で爽やかな印象を受ける。
彼女の隣には女友達が座っていて、さっきから会話が丸聞こえだった。
「ちょっと電話してくるね」
女友達が席を立ち、教室を出ていった。
その隙にそっと移動して話し掛ける。
チャイムが鳴るまであと二~三分。
今しかない!
「どうしてバイト辞めたんだよ」
目立たないように中腰になり、顔を彼女の横に近づけた。
下を向いてスマホをいじっていた姫野は、少し驚いたような様子で顔を上げた。
髪の毛からだろうか。ふわっと少しいい香りがする。
「成川君から話し掛けてくるの初めてね」
「RINEでメッセージを送ろうかどうしようか迷ってたところに、ちょうど本人がいたからさ」
ハア~と彼女はスマホをいじるのをやめて、ため息をついた。
「叩かれたり蹴られたりするから嫌になっちゃって」
「勝也君にやられたのか?」
「あの子が一番多いけどあの子だけじゃない。髪の毛引っ張ってくる子もいるし……。男の子嫌い。無理」
「……将来結婚して、男の子生まれたらどうすんだ?」
う~んと姫野は、真剣な表情で考えながら
「私の子供はきっと大人しい性格の子が生まれてくるに違いない。蹴らない。そういう風に育てるしかない」
「女の子でも蹴ってくる子はいるしな~」
特に低学年の子ほど、ふざけてやってくる。高学年になると、今度は自分達だけで遊びたがるので、あまり大人の方には寄ってこない。
「そう。自分の子供ならまだ可愛いかもしれないけど、他人の子供は無理」
「怒ってぶっとばして怪我させたら、こっちが悪者になっちまうからな~」
「あ~あ、またバイト探さないとな~。今度は何にしようかな~」
いつもより自信が無く、弱気になっているように見えた。
「俺も続けようかな……。どうしようかな~。せっかく慣れてきたところなのに、また新しいバイト探すのも面倒だし」
「人手少なくて困ってるみたいだから、やってあげて。私を誘ってくれた人も今、体調崩して休んでるし」
「そういわれてもな~」
一言も告げずに自分はさっさとやめておいて、人には残れっていうのか?
随分、勝手やつだな――
とやや腹が立った。
「まさか自分が辞めたいから代わりに、俺を誘ったんじゃないだろうな?」
姫野は急に真剣な顔になると、いきなりワンピースの前を膝のあたりまでめくった。
こんなところで、こいつは一体何をしているんだ!?
と思って、ちょっとドキッとする。
よく見ると、綺麗な白くて細い両脚に、三カ所ぐらい痣ができていた。
「わかったでしょ? なんだったら、いつ誰に蹴られたかも全部説明するけど?」
本気で疑っていたわけではないが――
少し驚いた。
大変だったなと言う風に声を掛けるのがいいのか、痣になるぐらい強く蹴られたんだなと、なんか具体的に言った方がいいのか、ただ単にわかったと言うのがいいのか――
なんと言っていいかわからない。
「いや、大丈夫だ……」
結局良い言葉が浮かんでこなくて、首を横に振りながら答えた。
それに誰かに見られて、実は成川と姫野が付き合っていて、DVでつけられた痣なんじゃないか? など、誤解された噂が学内で広まっても困る。できればもうさっさと話を終わらせて、席に戻りたかった。
「辞めるんなら、せめて代わりの人、探してからにして。私も迷惑かけちゃったし……。探すの手伝うから」
そこでチャイムが鳴り、姫野の友達が帰ってきて、彼女はさっとワンピースを元に戻した。
成川も慌てて後ろの席に戻り、女性の外人教師もボンジュールと陽気に入ってきて、話は終わった。
十月、第二週の土曜日の午前中のこと。
この日は子供が少なく、朝はさやかちゃんしかいなかった。
比奈乃ちゃんはいるかな――と思ったら、昨日の夜お母さんから電話があったらしく、熱でお休みだという。
大丈夫だろうか。ちょっと心配だ。
平日は人数が多く見守るのが大変で、一人一人とじっくり遊んでいる暇は無いので、今日はせっかく何して遊ぼうかな~と考えていたのに、やや残念だ。
転校するまで、あと二回しかない。
草加さんから、『ハロウィンパーテイーの飾りつけに使うから、作って~』と仕事を頼まれ、取り掛かる。
ハロウィンのかぼちゃや、黒い猫の絵が色付きの厚紙に書かれていて、枠に沿って切るだけの単純作業だ。
だが十枚ぐらいあるので、結構時間がかかるだろう。
平日はゆっくりやっている暇がないし、今日はさやかちゃんしかいないので、ちょうどいい。
さやかちゃんは何をしているのかというと、同じテーブルの向かい側に一人で座りながら折り紙を折っていた。
普通の子なら、『何作ってるの?』とか、この前おばあちゃんの家の話をしていたので、『どうだった? 楽しかった?』とか聞くのだが、ちょっと確かめたいことがあって、あえて放っておく。
今までこちらから仲良くなろうと努力してみたが、全部ダメだった。
前回なぜ初めて話が出来たのかと考えて、その数日後にふと閃いことがあった。
ひょっとして向こうから話しかけてくるまで、待てばいいのではないか?
むしろ何もしない方がいいのではないか――
という仮説を立て、次に会ったとき試してみようと思っていた。
だから今回は逆にわざと黙って、さやかちゃんの方から話し掛けてくるかどうか、様子を見てみることにした。
二十分ぐらいが経ち
「この前、初めて飛行機乗ったー」
さやかちゃんが顔をあげて、こっちを見ていた。
手元には紙飛行機と、何かを作ろうとして失敗したのか、ぐしゃぐしゃに丸めてある折り紙が一つあった。
「どこ行ったの?」
作戦成功か?!
「北海道」
やはり思った通りだ。夢中になって何かをやっている間は、他のことに興味はいかず、集中が途切れたり、気が向いたら話し掛けてくるんじゃないだろうか。
「何日間ぐらい行ったの?」
「三日~」
その後、牧場で牛の乳搾りを体験したり、ラーメンを食べた話など、五分ほど思い出話に付き合ったのだった。
数日間は、大学でもバイト先でもトラブルもなく、平穏無事に過ぎて木曜日の夕方。
十月下旬になり、太陽の陽差しも大分弱まって涼しくなってきた。
成川は、比奈乃ちゃんの横に座っていた。
比奈乃ちゃんが、幽霊ウオッチの漫画をぱらぱらとテーブルの上でめくりながら、これがジバワンで、これがゴマさんで……と説明してくれているが、ぶっちゃけ全く興味が無い。
窓の外からは、大勢の元気なはしゃぎ声が絶えず聞こえてくる。
多くの子供達が校庭に遊びに行ったものの、それでも室内には十人以上が残っていた。床では美優紀ちゃんと勝也君が、大きなブロックで遊んでいる。狭くてぶつかって、壊れたりしないかとやや心配だった。
美優紀ちゃんの方は車で、後から遊び始めた勝也君は棒――、いやあれはきっと剣だろう。もう少しで完成しそうだ。
「成川さん! こっちみて!!」
「ああ、わかった」
「むー」
比奈乃ちゃんが頬を膨らませて、ご機嫌斜めだった。熱はすっかり治ったようだ。
「ごめん、ごめん」
でも、みんなを見るのも大事な仕事なんだよ。
しかし、ちゃんと聞いて覚えていないと怒られる。
これが難しいところだ。
「あたしが好きなのハナワン」
比奈乃ちゃんは機嫌をやや戻したのか、説明を再開した。
話に耳を傾けつつ、気になる勝也君達の方に時折ちらちらと視線を向けていると、勝也君が足元に集めていたブロックの中から、美優紀ちゃんが一つを取って自分の方へ持っていき、床に置いた。
おいおい。そんなことをしたら、喧嘩になるだろう。
しかし勝也君は、それには構わず楽しそうに、完成した剣を振り回している。
目の前で取られたのは、見ていたはずだが……
作り終わったので気にしていないのか?
と思ったら、ひょいっと手を伸ばしてブロックを取り返した。
美優紀ちゃんの顔がみるみる歪んで、うわーんと大声で泣き出す。
なんでそっちが泣くんだよ!
と思わず突っ込みたくなる、訳が分からない展開だ。
比奈乃ちゃんも泣いている方に気を取られ、他の児童も注目している。
草加さんがすっとんできた。「どうしたの?」と屈みながら聞いて、美優紀ちゃんから事の次第を聞き出している。そして勝也君にブロックを返しなさいと言った。
「いや待った! 草加さんそれ違います」
勝也君を悪者と決めつけている。まあ普段の素行から考えると無理もないが――
草加さんが『どういうこと?』という表情をして、説明を求めている。
「元々、勝也君が集めていたブロックを美優紀ちゃんの方が、取って行ったんです。勝也君はただ取り返したというか、自分の物を元に戻しただけ。だから返す必要はなくて、むしろ謝るのは美優紀ちゃんの方です」
子供達の間からも、「俺も見てた。勝也悪くない」という声が、いくつか挙がった。
「ええ!? そうなの? ごめんなさいね」
草加さんは困ったような顔で言った。
「いいよー」
勝也君は気にしないという風に剣を振り回して遊んでいる。今日はなんか落ち着いているようだ。
それから比奈乃ちゃんに幽霊ウオッチの話に引き戻され、美優紀ちゃんが泣きやむまで五分ほどがかかった。
十月、第三週の土曜日の午後――
学校の周りに植えられている木々は、紅葉して落ち葉も多くなっていた。
天気は曇りで、雨が降りそうだ。
成川は校庭で女の子達の遊びに付き合っていた。
一輪車に乗っている比奈乃ちゃんの片手を軽く引いて、ずっと横についてあげながら、校庭の両端を往復する。
比奈乃ちゃんは、誰かに手を引いてもらわなくても、自分で出来るはずなんだが――
もう一緒に遊べる回数も残り少ないし、まあいいか。
何回か往復して西門付近にある鉄棒に掴まりながら休んでいると、さやかちゃんが一人ですいすいと陸上のトラックの上を一周していた。中央玄関や手洗い場を通り過ぎ、だんだんとこちらに近づいてきて、右のコーナーに差し掛かる。
「さやかちゃん、メリーゴーランドやろう!」
普段は大人しい比奈乃ちゃんが、大きく腕を振りながら、頑張って遠くまで届くように叫んだ。他の子よりは、やはりボリュームは小さいが、十分気づいてくれたようだ。
「いいよー」
さやかちゃんが、誘いに応じて笑顔で寄ってきた。
比奈乃ちゃんと目が合うと、彼女はまず『ばいば~い』と手を振ってから、次に背中を向けて一人で漕ぎながら合流しに行った。
往復するのに飽きたのだろう。
「行ってらっしゃ~い」
と声を掛けて見送る。
二人は一輪車に乗ったまま、上手くタイミングを合わせて片手を繋ぎ、その場でぐるぐるとメリーゴーランドのように回り始めた。三周目ぐらいで比奈乃ちゃんの方が、うわぁと言いながら転倒する。
笑いながら、すぐに立ち上がって再挑戦した。
倒れて怪我しないかやや心配だったが、とても楽しそうだ。
二人の様子を見守っていると――
「よっしー、こっち来て!」
声のした方を振り向くと、二つ隣の鉄棒で、一輪車に乗った美優紀ちゃんが、命令口調で呼んでいた。
『よっしー』は誰が最初に言い出したのかは忘れたが、最近つけられたあだ名だ。
まだ『成川さん』が主流だが、あだ名も徐々に浸透しつつある。
美優紀ちゃんは、ずっと鉄棒に掴まりながら練習中で、そこから手を離して大体五メートルぐらい進むとバランスを崩してコケる。
まだ上手くできないようだ。
それでも知り合ったばかりの頃は、三メートルぐらいのところまでしか行かなかったので、マシになった方だろう。
「前より随分できるようになったじゃん」
近づいていくと、「ん」と言いながら、片腕を上げて待っていた。
引っ張って連れていけ、ということだろう。
しょうがないなぁ~と思いながら、比奈乃ちゃんと同じように練習に付き合った。
だがあまり距離は伸びず、十メートルもいかないで、足が地面に着いてしまう。
その度に「あー!」とか、「もー!」とか言いながら、一輪車を両手で押しながら鉄棒まで戻り、毎回振り出しに戻っていた。
しかも、上手くいかないのを「よっしーが悪い」と他人のせいにして、引っ張るスピードが「早い!」とか「遅い!」とか、無邪気な顔で文句をつけてくる。ちなみに真面目にそう言ってるわけではなく、ただふざけているだけだ。
「えー遅いの? じゃあ今度は、全力で走って行くわ」
とからかってみたら
「よっしーのバカ!」
拳をグ―にして、ポカっと二~三度叩いてきた。
そんな調子で、雨が降ってきて教室に引き上げるまで、三十分ぐらい楽しい時間を過ごしたのだった。
陽もすっかり短くなった、月末の金曜日午後六時頃――
比奈乃ちゃんは、校帽を被って赤いランドセルを背負い、布製の大きな手提げバッグを肩に掛けて、昇降口のところで上履きから靴に履き替えていた。
成川は草加さんと一緒に、それに付き添っていた。
二人の他にも、勝也君、美優紀ちゃん、さやかちゃんを始め、十人以上の多くの子供達が見送りに来ている。
今日は比奈乃ちゃんの最後の日だ。
明日の土曜日は、まだ十月なので会えると思っていたのだが、土日は引っ越しで残念ながら来られないらしい。
上履きをビニール袋に入れて、手提げ袋にしまったところで、草加さんが声を掛ける。
「忘れ物ないかな?」
「大丈夫―」
「本当? 成川さんになんか渡すものあるんじゃないの?」
あっ忘れてた――という表情をしている比奈乃ちゃんに、そっと近づいて草加さんが小さな白い紙を渡した。
比奈乃ちゃんが、それを受け取り、今度は成川に向かって両手で差し出す。
「俺に?」
こくんと頷く。
よくわからなくて、確認の意味を込めて草加さんの方を向くと、微笑んでいた。
何だろうと思いながら成川は近づいて、中腰になって受け取った。
「ありがとう。……中見ていい?」
んーと比奈乃ちゃんは、首を傾げて考えている。迷っているようだ。
「あー! ラブラブ!」
美優紀ちゃんが、にやにやして指を差しながら叫ぶ。
「ラブレターだ!」
勝也君がはやし立てる。
「ねえ、なんて書いてあるの?」
さやかちゃんが覗き込もうとしてくる。
「秘密~」
成川はみんなから紙を盗られないように、しっかりと持って立ち上がった。
見せてーと何人かせがんでくるが、ダメと言って一切取り合わなかった。背伸びやジャンプして奪おうとしてくる子がいるので、自由の女神のように手を伸ばして絶対届かない位置に掲げていた。
だが逆効果で、子供達を刺激してしまったのか、余計ヒートアップしてしまった。
収拾がつかないので、一旦草加さんに渡して預かってもらう。
「はい静かに! お別れが出来ないでしょう」
草加さんが騒ぐ子供たちをすぐ静かにさせる。さすがだ。
そして比奈乃ちゃんにそろそろ帰るよう促した。
「お母さん心配するといけないから、行こうか」
「うん……、みんな今までありがとう」
いよいよ最後のお別れの時だ。
「さようならー!」
「元気でねー」
みんなで手を振りながら見送る。
比奈乃ちゃんもそれに応えて手を振りながら、全員の顔をゆっくり見回して、別れを惜しんでいた。
離れたくないのだろうか、なかなかその場を動こうとしなかったが、心を決めたのかやがてみんなに背を向けて、昇降口を一歩また一歩と出ていった。
時折後ろを振り返り、手を振って、また前を向いて進むことを何度か繰り返す。
姿はだんだん小さくなり、校庭は陽が落ちて暗いので、電灯は点いているものの、門のところに着く頃にはもう見えなくなった。
せっかく仲良くなれたのになあ……
なんともいえず寂しくなった。
家に帰った成川が、折り畳まれた小さな紙を開くと、オレンジや黄色、ピンクなどの綺麗な蛍光色の細いペンを使い、大きく拙い字で
いつも遊んでくれてありがとう
と書かれていた。
十一月、最初の土曜日のお昼前――
勝也君が、昨日誕生日でゲームを買ってもらったと嬉しそうに話していたので、窓の拭き掃除をしていた成川が、実は今日俺誕生日なんだと言ったら、「じゃあよっしーには、特別にプレゼントをあげよう」と絵を描いてくれることになった。
美優紀ちゃんが、「私もー」と言って二人で椅子に座り、長テーブルの上で楽しそうに色鉛筆を動かし始めた。
途中、二人でこそこそと内緒話をしていた。
ひょっとして何かサプライズが飛び出してくるのか?
気になる……。
比奈乃ちゃんの手紙のように、一生懸命描いてくれているのだろうかと期待してしまう。
成川が掃除を終えて、テーブルの近くを通るついでに、見せてもらおうとしたが……
「ダメ―!」
「あっち行って!」
にやにやしながら両手で覆い隠され、追い払われてしまった。
仕方なく雑巾を洗いに行って、そのあと外に干して、五分程が経ってから、腹減ったな~と思いながら教室に戻ってくると
「出来たー!」
と二人して描いたものを見せに寄ってきた。
は~いと、渡してくれるが――
勝也君は、ぐちゃぐちゃの下手糞な似顔絵の下に、大きなうんこが描いてある。
美優紀ちゃんの方は、ハゲで髭ぼうぼうのデブなおじさんだった。
「えー! こっちはうんこあるし、俺ハゲてないよ!」
ガハハハハと勝也君が、大きな口を開けて笑う。
「そっくりだよー」
美優紀ちゃんが「ねー」と同意を促し、勝也君がうん! と元気よく頷いた。
「はーい、お昼よー。おもちゃの片付けしてー。終わってる人は手を洗ってきてー」
草加さんが廊下から入ってきて、大きな声で呼び掛ける。
「変なおじさん。気持ち悪い」
美優紀ちゃんは、きゃははははと笑いながら、お弁当を食べに隣の部屋へ行ってしまった。
勝也君も、ばいばーいと言って後に続く。
「まったくもう……。悪戯することしか考えてないんだから!」
こんなものを貰ってもゴミになるだけだが、今ここでゴミ箱に捨てると、後でそれを見つけて「ひどーい」とか言われかねないので、仕方なくズボンのポケットの中に折り畳んでしまうことにした。
比奈乃ちゃんみたいなものをくれるのかと思って、期待していたのだが――
これはこれで、まあいいか……。
誘ってくれた姫野もいなくなってしまったけど、他のバイトを探すのも面倒だし、もう少し続けてみようと思った。
放課後クラブ『ステップ!』 祭影圭介 @matsurikage
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
リア充の陰謀/祭影圭介
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 12話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます