episode1-1


「イリアス」


彼の名を呼べば、イリアスはゆっくりとこちらに目線を向けた。ゆらりとイリアスの瞳とゼノの瞳が、交差する。かちり、とパズルのパーツが噛み合った時のようななにかを感じた。


「……やっと行けるな。中央に」

『そうだね。……楽しみだね、セルジュ様にお仕えできるの』


何故だろうか。

ゼノには、ふわりと微笑んだイリアスが、どこかに消えていきそうに見えた。ゆらゆらと、陽炎のようにゆれるイリアスの影に──闇が、闇夜が彼を包み込み、抱きしめ、そうして、彼を連れて行ってしまう──そんな幻想を思い浮かべてしまった。だからだろか。ゼノははっとして、咄嗟に勢いよく彼の腕を掴んでしまった。


「っ、イリ」


驚いた彼が、掴んだゼノの手を撫でた。

その感覚に、ゼノは意識を戻す。思わず彼の方を向けば、彼は戸惑ったようにへにゃりと眉を下げていた。


「…ごめ、ごめん、ちょっとぼーっとしてたみたいだ。…怪我は、してないか?」

『いや、大丈夫。ゼノ、疲れてるんだよ。今日は、早く休もう。明日にはもう行かないといけないみたいだし』

「あぁ…そうだな」


イリアスの言葉に頷き、ゼノはイリアスの腕から手を離した。どこか心配そうに顔を見上げてきたイリアスに、ゼノは曖昧に笑う。


先に行ってしまったイリアスの後ろ姿をゼノは見つめていた。


夜の帳が落ちかけた茜色のと闇夜の手前の、どこか妖しくも美しい空に、イリアスの細長いシルエットがよく映える。黄昏時の今の時間が、彼には良く似合う。けれど、ゼノはこの時間は嫌いだった。


ゼノは五感が鋭かった。闇夜でも目は効くし、常人ならば聞こえないような小さな声も聞こえる。五感が鋭いがゆえの、条件反射能力を持ち合わせていた。


ゼノの瞳なら、イリアスの顔までしっかりと見える。表情ですらよく見える。

イリアスは、帳が落ちると途端に安心したような顔をするいつもよりも、気が抜けた表情をするようになるのだった。それを知っていたゼノは、イリアスがいつか闇夜を受け入れ、そのまま堕ちて行ってしまうのではないかと、恐れていた。


「……やめよ、どーせ杞憂だし!イリアスはどこにも行かない!」


母はよく言っていた。言葉には魂が宿る。そのことを、『言霊』というのだと。だから、使う言葉には気をつけなさい。言葉は生きている。よく考えて言葉を使いなさい。──ただ、逆に言えば、上手に使いさえすれば、言葉は願いを叶えてくれる。本当に欲しいもの、したいこと、大切なことは。


「言葉にだしなさい。……おし、母さんこれでいいだろ?」


イリアスはどこにも行かない。その言葉を再度呟き、ゼノはイリアスのあとを続くのだった。




「リ・スタート」




終わらない変わらない夜の帳が、落ちた。

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オフィーリアの花婿 潁川誠 @yuzurihamako

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