雪女と狐
木風麦
第1話
ある深い山奥で、まだ小さい一人の雪女と一匹ぼっちの妖狐が出会った。
二人は独りが寂しくて、互いに互いを求めた。
「私達はずっと一緒」
雪女は真っ白な頬をほんのり赤く染め、嬉しそうに言った。妖狐はそんな彼女のそばにいてあげたいと思った。
何せ自分も寂しかったし。
妖狐は化ける狐のため、人の姿になっては村里へ下りてイタズラをした。
そんな狐に、雪女は興味を示し、
「私も行きたい」
と言った。
狐は得意になって、雪女に笠を買った。
「これをかぶっていれば、君は雪女とバレないよ」
狐にそう言われ、雪女は笠を目深に被った。
「楽しみ。下には人間がたくさんたくさんいるんでしょ」
雪女はスキップしながら山道を下りた。
村里ではお祭りが開かれていた。
暖かな光があちらこちらに輝いている。
「·····綺麗ね」
雪女は目を輝かせて、その光景にうっとりと見惚れた。
「おいしいお菓子があるから買ってきてやる」
狐はそう言って、どこかへ走っていった。
雪女はしばし石段にぽつんと座っていた。
雪がしんしんと降ってくる。やわらかな感触に、雪女は目を細める。
すると、人間の男の子が話しかけてきた。
「迷子なの?」
笠のせいで顔がよく見えなかった。
「違うよ。待ってるだけ」
かぶりを振ると、男の子は
「じゃあ、その子が来るまで一緒に遊ぼう」
と笑った。
「遊ばない。私は村の子じゃないから」
悲しそうに言う雪女に、男の子は笑って言った。
「村の子じゃなくても、友達になれるよ」
そう言って、男の子は手を差し伸べた。
「コマ回しやろう」
ふっと顔を上げた時に見えた男の子の顔は、温かいものだった。
「··········うん」
頷いて、雪女は男の子の手をそっと握った。
その子の手も、とても温かかった。
狐がりんご飴を手に戻ってくると、雪女がいなくなっていた。
慌てて走り回って探した。
見つけた、と思った。
どこに行ってるの。待っててって言ったのに。
いろいろ言おうと思っていたのが、消し飛んだ。
雪女が、笑っていた。
村の子どもたちと、仲が良さそうに。
狐は立ち尽くした。
「うまいね、アサギ」
「すごいや。さっきまで全然だったのに」
村の子達は口々に雪女を褒め称えた。
「··········あっ」
ふと、雪女が狐に気がついた。
笑顔で、手招きした。
「こっち、おいでよ。楽しいよ」
白い着物を薄く汚してはしゃぐ彼女に、なんとも言えない黒いドロドロした感情が湧いた。
「アサギ、本当に明日いなくなっちゃうの?」
石段で声をかけた男の子が寂しげに話しかけた。
アサギ?
誰、それ。
狐と雪女は二人でいたため、名前を呼ぶ機会なんて必要なかった。「ねぇ」とか、「見て」と言えば、互いに話しかけているとわかるからだ。
名前なんて、あったんだ。
そんなことすら知らなかった。
「ねぇ、もっとここにいなよ」
男の子は必死にそう言っていた。
雪女は困ったように「でも」と言った。
「··········ダメだよ」
ぽつりと狐が呟いた。
「駄目だよ。帰るよ。··········早く帰ろ」
ぐい、と雪女の着物を引く。
「あっ」
雪女は小さく声をもらした。
雪女は、悲しそうに男の子を見つめた。
そんな彼女が、また腹立たしかった。
「·····連れてこなきゃよかったなぁ」
狐が呟いた瞬間、悲鳴が上がった。
アサギが、怖いものを見る目で狐を見た。
なんで?どうしてそんな顔で見るの?
その理由は、すぐにわかった。
狐の尻尾が、男の子たちを叩きのめしていたのだ。
「陽一くんっ」
バタバタと雪女は駆け寄った。
さっきの男の子は陽一という名前らしかった。
彼らの息は絶え絶えだった。
「ひどい·····ひどいよ。なんでこんなことするの」
笠を落とした雪女の紅い瞳が露わになった。
美しいその瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
「せっかく友達になれたのに」
ひどい、と雪女は泣いた。
「··········治さなきゃ」
雪女はそう言って、彼の額に手を置いた。
白い光が彼を包み、切り傷や擦り傷が消えていった。
狐は目を見張った。
彼女はこんな能力があったのか、と。
それを他の子達にも施していく。
「··········アサギ」
目を開かないまま、陽一が雪女を呼んだ。
「··········また、来い·····よ」
掠れる声で言って、微かに笑った。
雪女は泣きそうな顔で頷いた。
子どもが落としたハサミを持ち、真っ黒な髪を一束切って、彼の手に握らせた。
「··········また、ね」
彼女は酷く美しく微笑した。
そんな事件からもう数年が経った。
それでも狐と雪女は変わらず一緒にいる。
雪女は見目の美しい女になり、狐はずっと姿が変わらなかった。
そうしてようやく気づいた。
彼女は人間なのだと。
妖怪なんかではない、普通とはちょっと違う人間なのだと。
おそらくそれで山に捨てられたんだろう。
よく生き残ったものだと思った。
雪女は、毎日決まって村を見下ろす。
きっと彼を探しているのだろう。
胸がつきんと痛む。
毎日毎日飽きもせず。
よくそうして想い続けられるものだ、と。
またあの祭りの日がやってきた。
その日、狐は雪女に言った。
「行っておいで」
当然雪女は驚いた。
「行っておいで。··········アサギ」
優しい微笑みを向け、狐は言った。
アサギは泣きそうな顔で頷いた。
「···············ありがとう」
真っ白な着物を汚しながら、彼女は山を下っていった。
狐は、穏やかな笑みを向けて彼女を見送った。
きっと、想像もつかないような大変なことなんて数え切れないほどあるだろう。
でも、きっと彼女は心が折れても何回でも立ち上がるのだろう。
それを支えてくれる人を見つけたのだから、きっと大丈夫だろう。
つう、と涙が頬を伝う。
孤独には慣れてる。
だけど、辛いものだね。
君に会わなければより一層の寂しさなんて感じなかっただろうに。
さよなら、大好きな人。
狐はその日を境に、ぱったりと雪女の前に現れなくなった。
雪女はというと、あの祭りの日からずっと焦がれていた男の子と再会して、互いに積年の想いを伝えたそうだ。
雪女は嫁入りし、幸せな家庭を築いた。
やがて男の子を身ごもった。
「名前は、どうしようか」
陽一は嬉しそうにアサギを抱き寄せた。
「··········ヨル」
アサギは幸せそうに微笑んだ。
「ヨルがいいわ。··········私の、大切な友人の名前なの」
会えなくなって、しばらく経つ。
私にいろいろなことを教えてくれたのはヨル、あなたよ。
あなたは私の大切な友人。
またもう一度、あなたに会いたい。
互いを想う感情に誤差があろうとも、互いを大切に思っていることに変わりはない。
二人が山で育んだ絆というのは、きっとこれからも途切れることは無いのだろう。
雪女と狐 木風麦 @kikaze_mugi
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