第8話 12月24日 午前9時33分

「なんか疲れたなあ」


 まだ店を開けて10分も経っておらず、客はひとりも来ていないうえに疲れるようなことは何ひとつしてないのに、和可がそんなことを言いながらテーブル席に腰を下ろした。


「なんでもう疲れてんの?なんにもしてなくない?」


 カウンターにもたれていた未可が怪訝そうに振り返る。開店準備の大半は未可がしているし、和可はただ看板を表に出しただけで、今だってイスに座ってあくびをしながらふんぞり返っているし、およそ疲れているようには見えない。


「なんにもしてないけど、なんにもしてなさすぎて逆に疲れたっていうか、同じ毎日のくり返しでさ。朝から店開けたってどうせお客さんは駅前のおしゃれカフェに吸い込まれてくし、シャッター通り商店街のはずれの喫茶店なんて、身内か常連客しか来ないし」

「それは確かにそうだけど、今さらそんなこと言ってもしょうがないじゃん」

「それはそうだけど。なんかさ、推しのこと抜きにして考えたら1日のうちで楽しい時間ってトータルでも5秒くらいじゃない?」

「推しのこと抜きにして考えることができない……推しのことだけ考えてたらあっという間に1日終わるでしょ」

「それもそうなんだけどさ、推しのこと考えれば考えるほど逆につらいときもあるでしょ……今がまさにそれ」

「まあ確かに、自らの推しに対する激重感情に押しつぶされそうになることはあるけど……そんなつらいなら推しサやめれば?」

「それもわかってるけど……うわ、卒業ならともかく引退までささやかれてる……もう無理、推しがいなくなったら働く意味ない」


 和可はエゴサーチならぬ推しサーチをやめると、スマホをポケットにしまって立ち上がった。


「……ちょっとモリオンの散歩行ってくる」

「ちょ、マジで今日休む気?」

「メンタル死んでるのに働けるわけないじゃん……モリオンに癒されてくる」 


 モリオンは坂巻家の愛犬であり、半年前に常連さんの家で生まれた子犬のうちの一匹を譲り受けて以来、一家のアイドル的存在となっている。推しへの感情が重すぎて疲れてしまう坂巻姉妹をいついかなる時も癒してくれるセラピー犬でもある。


「あーあ、クリスマスだってのにさえないな」


 2階に引き上げる和可の背中を見送りながら、未可がため息をついた。

 ツイストマニアは坂巻家の住居兼店舗で、1階が喫茶店、2階が住居スペースになっている。数十年前に両親が木造一軒家をリノベーションして出来た店だが、最近の古民家カフェのようなおしゃれ感は微塵もなく、かといって昭和のレトロ喫茶のような風情もなく、ただただ中途半端に古くさい建物だった。だから新しい客も来ないのだ、と未可は思っているが、そもそも未可も和可も接客業に向いていないという致命的な欠点があり、このままではつぶれるのも時間の問題だった。しかし今風に改装しようにもやる気もセンスもなく、いかんともしがたい状態が続いている。


 未可は誰も通らない窓の外を見やり、あくびをしながら頬杖をついた。妹は仕事放棄するし、どうにもやる気が出ないし、クリスマスだし、マジで店閉めようかな、とぼんやり考えていると、2階に行ったはずの和可が階段を駆け下りながら戻ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オタクと社畜とサイキック 風村 有咲 @youhi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る