第5章 新たな狩猟者像 第4話
「そうだね。できれば寝屋までの間、イノシシの足跡をたどって寝屋まで我々を導いてくれる犬で、その場でイノシシを見つけても興奮せず、吠えたり、追いかけたりしない犬が良いね。それと、鉄砲で撃つことを考えると有効射程の三十メートル以上、我々から離れない、呼び戻しの良い犬だとありがたい」
「なるほど。だいぶイメージはできました。災害救助犬も人の近くで行動するように訓練するので、有効射程というのもわかります」
「頼もしいね。多くの猟犬は、猟欲が高いことが良しとされていて、場合によっては追い散らした獲物を追いかけて遠くまで行ってしまうことがあるんだよ。そうなると、いくらイノシシを追いだしても鉄砲で撃てる機会は皆無だし、状況によっては次の場所で作業をしたくても犬が戻らないから待たなければならないので、効率も悪くなってしまう」
「わかります。人から見えないところで捜索しても、助けられませんからね。そうなると災害救助犬のように猟犬も呼び方も変更した方がいいですね」
「そうだね。猟犬ではないから、イノシシ探索犬かな」
「探索犬。良いですね。イノシシ探索犬なんて、日本にはまだ一頭もいないから面白いですね」
犬の訓練士を目指す坂爪は、佳人の意図を汲むのに時間が掛からなかった。
これは、彼が狩猟を知らないというところも大きく影響していただろう。
訓練を終えた犬をいよいよ現場で運用するときには、坂爪は大学院二年生となっていて、イノシシ用の犬を訓練する過程やその実際が彼の修士論文のテーマにもなっていた。
訓練を開始して半年間は、服従訓練に費やされ、その後標的となるイノシシの追跡を教える地道な訓練が続いたが、基本訓練が終了した段階で実施した現場での試験では良好な結果が得られた。
被害の発生した畑で坂爪が訓練したイノシシ探索犬を放すと、坂爪の前方三十メートルまでの範囲でイノシシの匂いを嗅ぎ分けて、前へ前へと進んでいく。
決して早い訳ではない。
坂爪の歩行速度にあわせて、イノシシの痕跡を丹念に追い続けている。
最初の出合いは、畑で放犬してわずか七分後であった。
畑から百メートルも離れていない藪まで来ると、イノシシ探索犬は踵を返して坂爪の足元まで静かに戻ってきた。
「山里さん、あの藪」
坂爪が、そう佳人に囁いた。
佳人は坂爪とイノシシ探索犬を下がらせると探索犬が反応した藪に近づいて行った。
耳を澄ませると確かに何かいる。鼾ではないが、寝息のようにも聞こえる。佳人が周囲の安全を確認して銃に弾を込める。
その様子を後方で坂爪と探索犬が見守る形だ。佳人が、藪に接近すると、その奥に黒い姿が見えた。
イノシシだ。
藪の中で、対象を見誤ることは避けなければならない。かと言って、迂闊に近づけば逃げられるかも知れないし、逆襲される恐れもある。
佳人は、坂爪に撃つよと合図をすると、静かに銃を構え、狙いをつけると引き金を引いた。
「ダーン」という大きな銃声がなりひびいた。を間近に聞いた。坂爪は、これも訓練の成果だ。探索犬を銃声に慣れさせる訓練もしていたので、平然としていた。
結果は、成獣のイノシシのメスで約五十キログラムであった。
初めての現場で、想定どおりの展開で結果を出せたこと、初めて目にする野生のイノシシの姿に坂爪は興奮していた。
その後も、同じ日のうちに三カ所の寝屋を突き止め、二回は取り逃がしたが、合計で三頭のイノシシを捕獲した。
取り逃がした二回は、いずれも探索犬の接近時に気づかれてしまったのが原因であったが、有効射程内で目撃しているだけに残念であった。
射手が山里一人であったことも取り逃がした理由であり、予想できる逃走方向に別の人材を配置すれば捕獲できただろうと作業後に山里と坂爪は同じ感想をもっていた。
これをきっかけに、坂爪はワイルドライフマネージメント社に入社し、山里と一緒に新たな獣害対策に取り組むようになったのであった。
山里に続き坂爪も出合った犬のお陰で、その人生の方向性が決まっていったと言っても過言ではないだろう。
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