第3章 ヤマドリと柴犬 第2話

 大学を卒業した佳人は、そのまま大学院へと進学した。

 

 学部では、猛禽類の研究を共同で実施していた。

 

 猛禽類の繁殖期は、外界条件が極めて厳しい冬から早春である。このような時期に子育てするには、それなりの理由がある。子育てに必要なのは、間違いなく大量で良質の餌だ。


 猛禽類は、落葉し雪原となった山野で、ウサギやヤマドリを狩り、ヒナ達の餌としている。獲物が良く見える冬場の環境こそが、狩りに、そして繁殖に最適な時期なのだ。

 

 そのような研究を大学でしているとき、囲炉裏端で聞いた四方山話が気になっていた。


「最近、林道が出来てからヤマドリがめっきり減ったな」という話である。


 ヤマドリは、氷河期に日本に移動してきて、その後の間氷期に取り残されたことで独自の進化を遂げた遺存固有種であり、日本にしか生息していない原始的な鳥である。

 

 原始的という理由は、その繁殖様式にもみられる。ヒナは卵から孵化すると、直ぐに親鳥の後をついて歩きだし、餌を食べる。このような習性を離巣性が高いと表現するが、ツバメの繁殖と比べるとその違いは明らかである。

 

 この離巣性が高いヤマドリのヒナは、林道が開通し路肩に三面側溝ができると、簡単にその中に落ちてしまう。そうなると、歩くことはできても、まだ飛ぶことができないため脱出できない。


 また、その側溝内は、キツネやタヌキが良く利用する通路ともなるのである。

 

 結果、林道が開通するとその周辺で繁殖していたヤマドリは、二・三年でその姿を見なくなってしまうのだ。

 

 ヤマドリを餌とする猛禽類にとっても、これは由々しき事態である。

 

 猛禽類の保護繁殖を研究するならば、その餌資源となるウサギやヤマドリを知らなければどうにもならないだろう。


 佳人の大学での学びは、猛禽類の餌という視点から、子どもの頃から身近だったウサギやヤマドリという狩猟鳥獣にたどり着いたのだ。

 

 そうなると、ヤマドリの研究成果が知りたくなる。

 

 大学では、時間がある限りヤマドリの文献を調べてはみたが、日本国内でのヤマドリの研究事例はわずかしかなく、生息数も不明であり、その生態すらよくわかっていないというのが現状であった。

 

 その結果、ヤマドリの研究をと考え、大学院での研究テーマとしたのだ。

 

 ヤマドリという日本固有のこの鳥を、見たことのない日本人は多いだろう。野鳥の会の会員ですら、図鑑でしかみたことがないという人が多い。その姿よりも、おそらくは百人一首の和歌の方が有名であり、知っている人も多いかも知れない。

 

「あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む」


 作者は、柿本人麿(かきのもとひとまろ。不明~七〇九?)だ。


 現代語に訳せば、山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を(想い人にも逢えないで)独りさびしく寝ることだろうかとなる。


 「山鳥」はキジ科の鳥で雄の尾が非常に長い。昼は雄雌一緒にいて、夜は別々に分かれて峰を隔てて眠るという伝承がある。


 そこから、「秋の夜は長い。長くて長くて時間を持て余す。考えるのは、あの日出合った美しいあなたのこと。いったいあなたは今ごろ何を考えているのだろう。他の誰かと閨をともにしているんじゃないだろうか。夜は長く、いつまでも明けない。長い長い、山鳥の雄のように長い夜。今夜もひとり寂しく眠るのだろうか」という恋歌である。

 

 平安の時代から、ヤマドリの生態や行動が知られていたのだろうか。


 佳人は、現在の学術研究でなにもわかっていないヤマドリの生態について、平安時代の歌人達が知っていたのだろうかと疑問に思う。科学的な知識や技術がない時代に、単なる想像の産物なのだろうか。

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