第3章 ヤマドリと柴犬 第1話

 佳人は、小さいころから祖父の家の囲炉裏端が大好きであった。また母が、囲炉裏端で作る料理も好きだった。

 

 母の囲炉裏端メニューは、季節毎に豊富だったと思う。そのいくつかは、子どもの佳人でも作れるものであったが、成人間近となっても、母の作ったもの以上に上手くは作れない。


 春、ようやく雪解けが進むと、一気に山菜採りのシーズンとなる。


フキノトウから始まり、ワラビ、ゼンマイ、タラの芽と飽きることなく、楽しむことができる。そんな中で、佳人はニセアカシアの花の天ぷらが好きだった。


房状に咲くニセアカシアの花に薄めのてんぷら粉をつけて、低めの温度の油で揚げた一品だが、独特の花の香とともに、柔らかな食感がたまらなかった。


 夏、渓流で釣ったイワナやヤマメがシーズンとなる。


串刺しにして塩をふり、囲炉裏の灰に刺せば、川で濡れた体が乾く頃には、程よく焼きあがっていて、夕飯のおかずとなるよりも早く、おやつ代わりに骨まで食べていた。


一番早く、作れるようになった料理が、この川魚の塩焼きだったが、今でも母の焼いたもの以上に上手く焼けない。微妙な火加減というか、囲炉裏での火元からの距離の取り方が違うのだろうとは思う。


 秋、キノコの季節だ。


いろいろなキノコが入った味噌汁も好きだが、マイタケの強烈な香りを楽しめるお吸い物が子どもの頃から好きだった。またマイタケご飯のお結びは、今でも好物のひとつである。


キノコの種類をたくさん知っている祖父を、心から凄いと思って尊敬もしていた。そんな爺ちゃんに、「このキノコは食べられる」と聞いた時に、「どんなキノコも一度は食べられるが、二度目は食べられないものもある」と言われて、その意味が分かった時には、祖父のユーモアにも感心した。


「確実に食べられる美味しいキノコだけ覚えりゃいい。あとの雑キノコは、食っても旨くないから獲るな」

という教え、合理的でいろいろな場面で活きている。


 冬、ジビエ料理のシーズンだろう。


ボタン鍋、モミジ鍋と鍋の種類が多くなるのは、当然だろう。ヤマドリのササミのたたき、ウサギのシチューなどメニューも豊富だ。


都会で食べればそれなりの金額になろうものばかりだが、佳人はジビエ肉の匂いが少々苦手で、あっさりとした湯豆腐が好きだった。


自在鉤に吊るされた鍋で昆布と鰹節でとった出汁をとり、その中に入れた豆腐に手を伸ばしてお椀に取れるようになった時に、囲炉裏の大きさに体の大きさが追い付いたと感じたのを記憶している。


それまでは、大人たちに取ってもらわねばならなかったが、今では親たちに取り分けることも出来るようになった。



 毎年、祖父を慕ってやってくる狩猟者と、この囲炉裏端で過ごした時間は、テレビでヒーローアクション番組を観るよりも楽しいひと時だった。


 大人たちが持ち寄る猟銃を見ては、いつかは自分も銃を所持して、猟場で獲物と対峙してみたいと思ったものだ。

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