第2章 狩猟者のDNA 第9話

 狩猟の四方山話は尽きることがない。一方で、鉄砲撃ちの話は話半分で聞いてちょうど良いと教えられた。鉄砲撃ちの、狩猟話には誇張があるということだ。

 

 三十キログラムのイノシシを仕留めたとしよう。翌日の自慢話では、そのイノシシが五十キログラムになっていて、次の猟期には百キログラムの巨猪に成長してしまうのが常なのだ。腕自慢は、狩猟者に限らず、人間の煩悩なのだろう。


 誰それが一猟期に五十羽のヤマドリを獲ったと聞けば、俺は六十羽だとなる。捕獲数で負けることは、ある種の負けであると感じるのである。


 しかし、英佳(ふさよし)は数ではなく中身だという。たくさんとっても仕方がない。必要な数だけ獲れば十分だ。さらに、どこでどうやって獲ったかを語れる一羽・一頭は、いつでも楽しめるというのだ。


 英佳は、狩猟の案内人としての立場から、獲物が多いことは重要であると考えている。さらに、その状態が持続されることが重要であると常々語っている。


 だから、メスを撃たせるようなことは決してしない。今日の渉猟中も、メスヤマドリが飛び出した瞬間に「メスだ」と声を掛けてくれているのは、狩猟の持続性を重視しているからに他ならない。


 シシ鍋を楽しみながら四方山話をしていると、台所に戻った妙子が、新しい皿を持って戻ってきた。


 先週捕獲したヤマドリのササミを使った料理で、十分に熟成されたササミをたたきにしたもので、ワサビ醤油で食べる一品である。


 中心部は、若干赤身が残った半生状態で弾力を残している。外側は丁寧に筋を取り除いてあり、熱湯をくぐらせたあと、氷水で締めている。


 ワサビは、英佳の自宅の裏の沢に自生しているもので、決して太くはないが、味と香りは市販品に比べれば段違いで強烈である。


 初めて食べたときには、何の肉かわからなかった。ヤマドリのササミだと教えられて、改めてその美味しさを感じたのを覚えている。その時に美味しいと喜んだのを覚えていてくれて、毎回お世話になるたびに出されるようになった一品である。


 その他にも、ヤマドリの胸肉にレモンバターを乗せて、アルミホイルで包んでオーブンならぬ囲炉裏で焼いたものも強烈に上手かった。

 

 人数が多い時には、やはり鍋が良い。

 

 最後の一歩手前でうどんが入る。最後は、冷や飯が入ってリゾットになるまで徹底的に食べ尽くすのが、英佳のところの流儀だ。

 

 下戸と言いながら、山里のところにあるお酒は、どれも美味しい。

 

 全国から、狩猟を楽しみにやってくる仲間が手土産に持ってきてくれているとのことであるが、旨い酒については、まさに全国ネットの人脈がものをいうのだろう。


 日本酒に限らず、麦焼酎、芋焼酎、ワイン、ウイスキーと種類も豊富だ。この酒を保管するために、納戸の一部が改造されて収納庫となっているくらいだから、一人や二人が数日飲み続けても無くなることはない。保管している英佳のところでは、誰も酒を飲まないので、たくさん消費する狩猟仲間は、大歓迎なのだそうだ。

 

 中には、深酒をすると大寅に化ける人はいないのかとも思うが、そこは狩猟名人の英佳の前では狩られる対象にしかなり得ず、マナーの良い楽しい酒盛りとなるのが常である。

 

 台所での仕事に区切りをつけた妙子も加わり、囲炉裏の周りでは、このお酒は何処の誰さんが持ってきてくれたと言っては、数種類の日本酒を楽しませてくれている。


 これだけの料理とお酒を都会の居酒屋で頼んだらいったいいくらになるのだろうかと思ってしまう。

 

 英佳は狩猟の案内人としての日当しか受け取らない。宿泊や食費を考えれば赤字ではないだろうかとお世話になっている天田が心配してしまう状況なのだ。

 

 山の日暮れは早い。食事とお酒を十分に楽しんだ気持ちになったころでも、時計を見ればまだ八時である。仕事先なら、この時間から飲み始めることも多いことを思うと、山の夜は長い。

 

 話の区切りがついたところで、妙子が


「話の途中だけど、明日の準備もあるので、私たちは帰りますね」

と言って、佳人の運転する車で家に戻ることになった。


「ありがとうございました。今晩も美味しい肴を頂き、感謝しています」


「明日の朝食と昼のお結びは、下準備しておきましたから、勝手によろしくお願いしますね」


 そんなやり取りを残して、二人は家へと戻っていった。


 それから、二時間ばかり酒を飲みながら、英佳と天田は猟のこと、釣りのこと、山菜のことなど、とりとめもなく話し、明日に備えて休むことにした。


 それにしても、英佳のところでは、なんど来ても同じ話が出ることはない。毎回異なった山の話が出てくるのだ。よくもネタが尽きないなと思うと同時に、前に話したことを繰り返さない記憶力も凄いと天田は感じていた。

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