第2章 狩猟者のDNA 第8話

「で、天田さんの一羽は」


「そうですね。今日の一羽は、これからも忘れないでしょうね。勝負したって感じがしっかり残っていますから」


「あら、そうなの。では今日はお祝いね」

と言いながら、台所へと戻っていった。また新たな肴を作るのだろう。


 囲炉裏の炭を動かしながら、自在鉤に吊るされた鍋の様子を英佳(ふさよし)が見ている。


 中身は、先週捕獲したイノシシだ。


「イノシシは、根のものと一緒に煮る」と教わったことがある。

 根のものとは、根菜類のことであり、ゴボウ、大根、人参、こんにゃくなどと鍋にするのが一番だというのである。


 匂い消しには、これまた根のものであるショウガを使う。さらに、水ではなく酒で煮込むと良いとも教わった。


 天田は、妙子が持ってきた酒を手酌で飲んでいるが、英佳は酒を飲まない。


 酒を勧めたこともあるが、英佳は「俺は、下戸だ」と言って飲まなかった。それでも、鍋の中は日本酒で煮込まれたシシ鍋である。下戸の英佳には、匂いから言って少々厳しいのではと思ってしまうが、英佳の家で食べるシシ鍋のレシピはいつも同じである。


「そろそろ、食べごろだ」

と言いながら、汁をお椀に入れて手渡した。


 天田は、お椀を受け取ると、まずは大きく息を吸い込みながら香りを楽しんだ。日本酒の香りとともに、ショウガの香りが広がっていく。


 次に、火傷をしないように気を付けながら汁を一口。その一口が、一日の渉猟を終え、疲れた体に新たな力を注ぎこんでくれる感じを楽しみながら、イノシシの肉へと箸を進めていく。

 

 ジビエ料理は、野生鳥獣の肉の臭みを如何にして消すかが重要だろう。農家で飼育された牛や豚、鶏の肉は、臭みも少なく食べやすいが、いろいろなものを食べている野生鳥獣は、その餌の種類だけ匂いも異なる。


 フランス料理ならソースが大事だろうが、英佳のところのシシ鍋は、最初の肉の処理が上手なので、ショウガを加えなくてもほとんど臭みを感じることはない。


 自家製味噌で仕上げたシシ鍋は、都内の一流レストランで提供されるようなものではないが、この鍋を食べるだけに旅をしても良いと思える一品である。


 昼の弁当で食べた塩むすびとギョウジャニンニクの組み合わせも、日常で食べているものに比べれば大きな違いなどないのに、また食べたくなる一品である。

 

 猟師の食卓は、バリエーションに富み、また素材の美味しさを楽しむという視点からすれば、間違いなくミシュランガイドで星をとれるだろうと思える。


 そこには、さらに食として口に入るまでの過程が存在しており、昨今のトレーサビリティのようなデータではなく、「物語」が載っているのだ。

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