第2章 狩猟者のDNA 第4話

 ほぼ正面から向かってくるクマの姿に冷静でいた訳ではない。心臓の鼓動は高鳴り、口の中はカラカラに乾いて、唾もでない。


 それでも、代わってくれる者はおらず、自分しか対応できる者はいない。冷静になるように自分に言い聞かせながら、クマの鼻先から眉間を睨み、少し下目に狙いを定め、ここという瞬間に引き金を引いた。


「カチっと撃針が雷管を叩いたけれど、不発さ。慌てて二発目の散弾に詰め替えてクマを撃った時には、俺をかわして俺の右側を走り抜けようとしている瞬間で、脇腹めがけて一発撃ってそれが命中して倒れたのさ」


「へぇ。危機一髪ですね」


「まぁ、俺の姿を見て向かってくるという感じではなくて、ともかく間をすり抜けようという感じだった」


「即死したんですか」


「いや。肺の周辺から背骨近くに命中していて、倒れはしたものの、体を丸めるようにして動くのさ」


「それでは、止め刺しが必要ですよね」


「あぁ、でももう弾は残っていないし。どうしようかと思ったね。苦しませたくはないから、早くとどめを刺さなければとは思ったけれど、もう銃では撃てないからね」


「それで、どうしたんですか」


「あぁ、結局は剣鉈で心臓を刺して止めたのさ。背骨が折れていたし、動けなくなっていたから出来たけれど、あの時は俺も初めてのクマだったし、こちらも慣れている訳じゃないからね」


「緊張しますね。でも苦しませないようにと思えば、気も焦るでしょうからね」


「今でこそ、不発弾なんて滅多にはでないけれど、あの当時の装弾は不発が多かったからね」


 天田は、息を引き取るクマに手を合わせる英佳の姿を思い浮かべていた。


「そのクマは、どうしたんですか」


「その当時は、獲ったものは食べるというのが普通だったから、集落で肉を分け合って終わりさ。今では、有害駆除で捕獲したクマは研究機関に丸ごと納めるようにしているよ。隣の部屋に敷いてある毛皮が、その時のクマだ」


「へぇ、そうだったんですね。最初に見た時に、大きいクマだなぁって思っていました」


「佳人、ちょっともってこいや」


「はい」

 佳人は立ち上がると、隣の部屋につづく襖を開いて、毛皮を簡単にたたむと、天田と祖父の間に置いた。


「ここだね」


 佳人は、天田と祖父の話から、着弾した箇所を確認して、その穴に人差し指を刺し入れて、毛皮の裏と表を交互に確認した。四十数年前のクマの毛皮だが、手入れもしているのであろう。


 痛みも少なく、ここ数年前に捕獲したと言っても不思議ではない状態であった。


「脇腹当より前足の付け根付近に穴が開いてますね」


「まぁ、人里になんぞ出てこなければ、もっと長生き出来ただろうけれど、寿命だったとしか言えないね」


「最初の一頭は、忘れられないし、忘れちゃならないと思っている。それからも、クマは獲っているけれど、すべて駆除で、狩猟では一頭も撃ってないよ」


「へぇ、そうなんですか。どうして、山里さんは狩猟では撃たなかったのですか」


「あぁ、今じゃ絶命危惧種だ。山からクマが居なくなったら、何かしら悪いことが起こるから、やむを得ない時だけと決めているからさ」


「悪いことって」


「わからん。山の神様がどうのこうのというようなことではなくて、一番強いヤツが山から居なくなったら、その下の連中が乱れるということかな」


「あぁ、生態系が崩れるってことですね」


「生態系なんて難しい話は、俺にはわからん。でも、命が繋がっているのは間違いないから、その鎖がどこかで切れたら、どこかが困るだろうということさ」


「なるほど。花粉を媒介する昆虫を殺虫剤で殺してしまえば、その昆虫のお陰で種を作っていた植物は種を作れなくなってしまうからね。クマが居なくなったら、どんなことが起こるかはわからないけれど、きっとなにか悪いことが起こるだろうね」


 佳人は、天田に酒を注ぎながら、独り言のように呟いていた。

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