第2章 狩猟者のDNA 第2話

 囲炉裏の周辺は、山中での生活が集中する場所である。

 

 昭和三十年代前半までの自宅にテレビのない時代、そこは娯楽の場所であり、食卓であり、会議の場所であり、憩いの場所であった。


 英佳(ふさよし)の家で車を購入したのは、昭和三十年代後半であった。車を購入したことで行動範囲は広がったが、一方で車が通るようになってからは、雪かきをしなければならなくなったことは負の側面かも知れない。


 車の無い時代は、人が歩けるだけの道があれば良く、雪かきなどせずに歩いて踏み固めた道さえあれば十分だった。


 それが、車が通るようになると、雪かきをしなければ走らせることができない。そのため、家の前の通りまでの道の除雪作業が冬の大きな仕事となった。


 車が頻繁に通る道は、夜中から除雪車がタイヤチェーンとエンジン音を鳴らしながら除雪を行う。家の入口では、除雪された雪が壁になってしまうので、これも取り除かなければ、人も道に出ることができない。


 便利になったのか、それとも仕事が増えたのか、昔の生活を知る英佳にとっては、考えさせられる変化であった。

 

 車が通るようになってからは、首都圏から狩猟に来る人が増えた。その点では、英佳の収入も増え、石油ストーブやテレビなどが家の中に増えていった。


 しかしながら、家族が寄り添って過ごす冬場の囲炉裏は懐かしく、家を増改築した際にも囲炉裏はそのまま残していた。

 

 首都圏からやってくる狩猟者にとって囲炉裏の周辺は、非日常の象徴のような場所であり、ジビエ料理と美味しいお酒とワクワクするような四方山話が存在する劇場のような場所なのである。

 

 猟期になると、猟仲間が集まってくる。週末ごとに、多い日には十人近くの狩猟者が寝泊まりすることもある。今回の天田のように一人だけの時もあるが、人が絶えることはない。

 

 現在の住宅にはない囲炉裏には、失われた物がたくさんある。

 

 囲炉裏の木枠は、框(かまち)と呼ばれることを知る人は、もう少ないだろう。別名では、炉縁とも呼ばれる。

 

 框に使う木材は、スギやヒノキなどの柔らかい針葉樹はあまり使われない。框は、鉄瓶や瓶敷きなど重い金属製品を置くことが多く、キズがつきやすく、高熱にも晒されるため、硬い広葉樹が適する。昔から高級とされるのは模様の美しいカキやケヤキである。山里の家の框は柿の木であった。

 

 中に敷いてある灰は、英佳の家では山桜の木灰を使っていた。炭火の燃焼具合が良く、しっかり押し固まり、美しい灰模様が描ける良質の灰である。

 

 しっかり押し固まってくれないと、鍋を置く五徳や魚を焼く際の、串を立てることができない。天井から吊るした自在鉤にも味がある。重い鍋を吊るし、火元からの高さを変化させることで火力調節する仕組みは面白い。

 

 炭を扱う道具である火箸、十能、火ばさみ、火おこし器、火消しつぼなども、英佳の家でしか見たことがない首都圏の狩猟者は多い。


 ひと昔の日本家屋であれば、囲炉裏はなくても、火鉢くらいはあったであろう。それすらも、昭和五十年代となっては目にすることはない。

 

 山中の猟師の家の囲炉裏端は、狩猟者にとっては、まさに非日常に引き入れてくれる魔法のような入口なのである。


 天田が英佳のところを訪ねるようになって三猟期目となっている。

 

 この間、天田が捕獲したヤマドリは、十羽を超えている。しかし、山里は他にも多くの狩猟者を案内しながら、必ず何かしらの獲物をお土産として持ち帰らせていることを考えると、捕獲数は一桁違うのは明らかである。


 山里に、どのくらい獲っているのかを聞いたことがあるが、「わからん」と言われて終わっている。


「数じゃなく、中身だよ。どこで、どうやって獲ったかわかる獲物が、何年たっても話だけで楽しめる獲物だからな」

という言葉は、天田にとって大きな言葉だった。


 風呂から上がった天田は、囲炉裏の脇に座ると、さっそく山の幸を堪能するとともに、囲炉裏をも楽しみ始めた。

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