狼だけど、赤ずきんちゃんと暮らしたい!

皿日八目

狼だけど、赤ずきんちゃんと暮らしたい!

 まあ、見りゃわかるだろうが、おれは狼だ。


 今の時代、こんなナリをしていると色々と厄介で困る。


 幾星霜を経て語り継がれた童話と、先祖伝来の闘争の記憶とが、人間の意識に対し、「狼=Enemy」と即座に断定させる条件づけを施したにちがいない。


 お前ら大陸を消し飛ばせるほどにも武装しているというのにいったいこんな毛皮と牙を持ってるだけの四足獣のどこが怖いのか、と思うのだが……まったく。

 

 この世は都市で埋め尽くされた。もう童話に登場するような鬱蒼とした森は存在せず、過去の遺物と成り果てた。


 取って代わったのは街灯の切れた黄昏時の路地……なんとまあ、いやらしい方向への進化ではないか。ま、現代にはお似合いの陰湿さだろうか。


 人はおれの姿を見かけるたび、手前の鼓膜さえつんざいちまいそうな声を上げ、飛沫のようにあちこちへ逃げ出す。おいおい、まだこっちは何もしてないんだぜ? それに誰がお前らのケミカルな肉なんぞ欲しがるかってんだ。


 そういう悲鳴と逃走の後には、たいてい警棒や銃撃がやってくる。これに例外はない。だからおれはほうほうの体で逃げ出すはめになる。


 好き好んで姿を現すわけじゃない。ただ向こうさんが勝手にこちらを発見してくれるだけなのだ。ほーんと、見たくもないと思ってるものばかり見つけてくれるよな……


 人の気配には敏感になった。人間の臭気、呼気、足音、物音、喋り声、話し声、歌い声、怒鳴り声、ささやき声、視線、何もかも知り尽くした。


 ま、誇るほどのことじゃない。これができないやつはみんな死んだ。あと二世代も経てば、耳と目が三倍の数に増えた動物が増えることだろうよ……


 まあ、そんなこんなで、お世辞にも素敵とは言えない日々を送り散らかしてきたわけだが、ある日、天使を見た。


 建売住宅の廃墟で横たわっていると、おれの忠実な感覚が、招かれざる客の招来を捉えた。


 だが、それはきわめてかすかだ。肌に冷たいものを感じて、雪が降ったにちがいないと思うのに、どうしてもその結晶の存在を確認できない時節のように……


 暗殺者のスタイルで、こっそりガレキの隙間からうかがうと、視野に花が咲いた。


 見よ、あの赤き頭巾を戴きしあどけなき少女を。視認の瞬間に曇天は崩れ落ち、雲の断層を縫って陽光が地上に届いた。その中心にいるのが彼女だ。


 今どきコスプレイヤーだってしないような童話の格好。髪はスモッグと排煙にさらされてなおくすんでいない茶色。


 この茶色はほんとうに美しく、なんとしてでもこれを保存し、それを絵の具として今世紀版のモナリザを描かなければと本気で思わせるほどだ……


 歳はいくつだろう? おれは狼なので曜日感覚はなく、当然暦もわからない。それをこの時ほど恨めしく思ったことはない。今すぐ時空を遡り、教皇庁に教えを請おうか?


 女の子は慈母のように腰をかがめ、何やら地面に手を差し出した。人工のがらくたで埋め尽くされてはいたけれども、その堆積にさえしたたかに根を張った花が、そこに咲いていたのだ。


 手が(神業の彫刻師の手になる石像のみが持ち得るような手が!)、その花に優しく触れると、花弁の色彩が爆裂し、あたり一帯に極彩色の海をもたらした。


 やばいだろこれ。


 この時代においてはダイヤモンドの三割増しに貴重である性格(花に優しい)を持ったあの女の子に、おれはすっかり魅了されてしまった。


 あの名前も知らない11~12歳くらいの女の子、赤い頭巾をかぶったあの子。そんなことは無理だとわかってはいるが、なんとかして、あの名前も知らない11~12歳くらいの女の子、赤い頭巾をかぶったあの子と仲良くしたいと思った。


 ……あの名前も知らない11~12歳くらいの女の子、赤い頭巾をかぶったあの子について考えるたびに、この長いながい形容を登場させるのは、おれの狼的なキャパシティにはちと荷が重い。


 便宜上、あの名前も知らない11~12歳くらいの女の子、赤い頭巾をかぶったあの子=赤ずきんと置くことにしよう。ま、名前などどうでもいいのだ。あの存在、あの可憐さがすべてである。


 少女がひとたび門を出れば、百人の変態がいると言われている。というわけで、おれは赤ずきんの護衛を勝手に遂行することとした。


 もちろん、彼女に姿を見せるようなことはしない。


 しばらく遠目から見ていて、彼女が花のみならず動物に対してもその慈愛を発揮することは発見したが、それでもその範囲がおれのような肉食獣にまで及ぶかどうかはわからないし、たとえ及ばないにしても、それに文句をつけることはとうていできないからだ。

 

 とりあえずは、安穏無事な日常を彼女が生き延びてくれさえすればいい、ただそれのみがおれの願いである。


 廃墟での奇跡を目撃したのち、おれはいつも、こっそりと、彼女の周辺を守っていた。


 あんまりありがたくないが、やはりおれの予想は的中していたようで、彼女に近づこうとする不埒な輩は後をたたなかった。


 彼女が五体満足に今まで過ごせていたのは、これはもう摩訶不思議な偶然としか言いようがない。おれはいっそう、赤ずきんちゃんを守ろうという意思を岩塊のごとく固めたのだった。


 その酸化した脳みそのチンケな中身だけにとどめておけばいいものを、腐敗臭のする欲望を、現実に実現させようとする人間が、あさましくも足音を消して少女に接近しようとするたび、おれはその背後から飛びかかり、悲鳴を上げさせる間もなく喉首を噛み切ってやった。


 証拠隠滅と食事を兼ねて、残った死体を腹に収めるのだが、どうにも数が多くていけない。犯罪者は無限湧き。どこからともなく何度でもやってくる。


 しだいに食いきれなくなり、死体を残すようになると、騒ぐ人間どもが現れ始めた。おれが殺した奴ら、社会的には結構な地位を所有していたのが多いらしかった。


 彼彼女らが何をしようとしていたのかも知らずに、人肉を求めてうろつく獣の姿を想像しては、勝手におぞけをふるっていた。気苦労の果てしなさ。ご苦労なことで……


 しかしこれにはちと困る。もともとあんまり評判高くない身の上であるからして、この上さらに嫌疑をかけられるような(まあ実際やりましたが)事件があるのでは、なおさら命を付け狙われる。


 おれは赤ずきんちゃんを狙う悪漢共から彼女を守ると同時に、自分を狙う人間共からも身を守らなければならなくなった。いやー、ウルフのブレインにマルチタスクとは。頭脳の酷使は虐待の新境地じゃなかろうか?


 それでもなんとかミッションをこなし続けていたある日。赤ずきんちゃんの家の窓のすぐ下にうずくまって、垣根を乗り越えてくる変態がいないかどうか見張っていると、凶報は背後から届いた。


 なんと赤ずきんちゃんが使いを、それも「都会」に住むばあさんとやらの家までの使いを頼まれたのだ。

 

 この郊外の土地でさえ、さんざんおれが身を持って体験しているように、犯罪と事故と暴力と故意と事件と殺人と人死にとがさんざん起こっているというのに……都会?!?!! ばあさん、なんでよりにもよってそんなトコ住んでんだ。あんたの大事な孫が、死地へ派遣されようとしているぞ。


 どうか、断ってくれ。おれは必死で祈った。「いやだあ!」と大声で言ってくれ。だだをこねてくれ。きみはそんなところに行ってはいけない……


「うん! じゃあわたし行くね!」


 まあ、予想通りではある。

 

 気休め程度だが、ひとつ安心できることとして、おれのことが都会では知られていないであろうことが挙げられる。


 とか言ったやつは誰だ。


 どういうわけか、こんな都会にまで、おれが郊外で起こしたとされている(いやまあ、やったんだけどね)殺生のことが話題になっており、それは中央駅にプロパガンダのごとく一面に貼られたポスターからもわかった。


 今どき鏡に戸惑う動物などいない。だからすぐこの写真が、おれのものであることが理解できた。写真に閉じ込められたおれの姿は、現物の三割増しで凶悪そうに見えた。うーん、これならちょっと、怯えられるのも無理はないか……


 いや、そんなわけあるか。おれは人肉の味を覚え、常に飢えている、人食いに狂った狼だとされ、狂犬病の疑いあり、との注意喚起までされていた。おれは風邪ひとつひいたことがないというのに……


 とにかく、注意しなければならない。赤ずきんちゃんを守るためには、まず自分が生き残る必要がある。あらゆる危機を彼女から遠ざけると共に、人目からおのれの身を覆い隠すのだ。ステルスの技術を学んでいなかったことが今更ながら悔やまれる。そんなものどこで学べるのかは知らないが……


 雑踏に紛れ込んでも、彼女が常日頃から身につけているあの赤ずきんのおかげで、容易に見分けることができた。


 他のやつらがどいつもこいつも似たような格好をしていることもありがたかった。おれと同じくらい、こいつらも何かから隠れたがっているのか。だからといって親近感が湧出するということもないのだが。


 好色そうな輩、下卑た欲望がどろどろと顔から滴っているような奴、まだばあさんの家への旅路は始まったばかりだというのに、既に凶行の芽はいくつも見分けることができた。


 だが、ここはまだ人通りが多く、無鉄砲に突っ込んでくる変態もいなかった。しかしこの先、どんな危機があるかわからない。


 決して集中を切らしてはならない。あの天使の顔を悲嘆に染めさせたくないならば、狼よ、この四足獣よ、決死の覚悟をもって行動するのだ。


 倒れかかる電柱。狂ったように走る自動車。どこまでも追いすがる狂信者。黒い風。虹色の砂煙。重化学の高僧はベンゼンの環を唱え、粉飾決算の火に入滅する。


 光化学の幻想は摩天楼から雨降らし、予言されぬ区画を鈍色の湖に変える。人は魚へ。人魚へ。半魚へと。転生のその先を選ぶ権利は与えられず、むしろ浄財と称して取り上げられる。


 道行く人々はすべてが敵だった。あのカラスの声ひとつにも意味があり、それは超高音域の死刑宣告か。毛皮の耳にも聞き取れぬその波長に、殺人計画の嚆矢となるメッセージが込められる。

 

 パラボラアンテナで武装した猿が飛びかかる。これは半日前には人間だったが、その後に猿人化が始まったのだ。デジタルな切っ先には疥癬を呼ぶ毒が塗られている。致死毒でないのは温情か。それとものたうち回る様を見たいというサディスティックな願望ゆえか。


 剣戟に牙は向かないけれど、それでもおれは振り下ろされるアンテナをかわし、相手の喉首を噛み破った。追手は次々と襲い来る。みなおれが人を殺したことを知っているのだ。


 路傍から戦車が登場する。狙い定めた砲火。外れる。おれは着弾点から姿をくらまし、鼻歌とスキップでガムに埋め尽くされた通りを行く赤ずきんちゃんを追う。


 稲妻の様子が怪しい。あのねじくれまがった軌道は、も、もしや、彼女を狙っているのではないか。おれは民家の壁を駆け上り、避雷針を神話の剣のように抜く。天高く屋根から飛ぶ。


 高きを目指す稲妻は赤ずきんより好都合な獲物を見定めた。おれが口から避雷針を離した途端、そこに稲妻が落ちる。避雷針は砕け散り、残骸は火山弾と化して四方八方に射出される。


 そのひとつが彼女に当たる瞬間、おれは身を呈してそれを受け止めた。熱い! 熱いが、それでも少女が無事であったという安堵に勝るものではなかった。

  

 とはいえ、こんなことがあと何回も続くなら、いくらなんでも定命の身では持たない。だから赤ずきんちゃんが大きなマンションに入っていった瞬間、おれはようやっと一息つける思いがした。


 さすがに一緒に入っていくことはためらわれたので、おれは外で待機する。五階の廊下を歩く彼女の姿が地上からも見えた。大きなガーベラが移動しているように見える。まさしく彼女は歩く花……


 突き当りの扉を彼女が開くと、中からばあさんが出てきた。ふたりは抱き合う。ばあさんも安心しただろう。もうちょっと安全な場所への引っ越しを見当してくれると、なおありがたいんだが。


 おれはあくびをした。朝から肉体も精神もずっと緊張しっぱなしだったから、切実に睡眠へといざなわれる。いや、ダメだ。何があるかわからない。おれは、ちゃんと、ここで、見、張って、な、く、ちゃ……


 十メートル飛び上がる。マンションのメールボックスのひとつから、飛び出るほど中身があふれているのを発見。それの部屋番号は――赤ずきんが今いる、ばあさんのものと一致している。


 おれはばあさんの部屋めがけ、マンションの壁面を駆け上がった。すぐに辿り着き、ベランダの窓を突き破って突入。


 おれは無表情のばあさんが、赤ずきんちゃんの首を締めているのを見た。咆哮を上げて突進し、ばあさんの冷たい体を突き飛ばす。


 倒れ込んだばあさんはぐったりとし、もはや動く様子もない。死んでいるが、今死んだのではない。おそらくもう何日も前に死んでいるのだ。そしてこの臭いは、死霊術師共が用いる防腐剤……


 おれはドアを破って廊下へ飛び出し、その臭いを手がかりに縦横無尽に駆け巡った。居住者の悲鳴も構わず、ガラスをぶち破り部屋へ飛び込み術師を探す。


 憤怒が体に力を与え、負っていた傷の痛みも気にならなくさせる。どこだ、どこにいるのか。卑劣な手で彼女を亡き者にし、その遺体を手に入れようとした、ゲロが出るような異常者は――


 ひときわ強い臭いを鼻が捉えた。すかさず部屋に飛び込むと、戸惑った様子の死霊術師が、儀式の祭具に囲まれて座っていた。


 悔恨の声を出す間も与えず、喉首に食らいつく。吐き気のするような味が広がる。血と肉をすでに息絶えた術師の顔に吐き出すと、怒りに任せ、おれはその死骸を引きずって窓ガラスに叩きつける。ねじくれた手足がベランダに飛び出る。その死体をさらに陵辱せんと、自らもベランダに飛び出たとたん、背後から撃たれた。


 住人の誰か(もしくは全員)が通報したのか、先ほどの追手が追いついたのか、どちらかはわからない。銃弾が間違いなく急所に命中したこの瞬間、それはどちらでもよいことだった。


 間髪を入れず二発目が発射される。見事にそれも当たる。どっちみち死ぬだろうが、このままこの場にいては、いっそう早く死ぬ。おれは死力を尽くしてベランダの柵を這い登り、地表へと身を落とした。


 かなりの衝撃があったはずだが、何も感じられなかった。また銃弾が発射されたのかもしれないが、それももうよくわからない。寒さも冷たさも熱さも痛みも何もなく、ただぼんやりと、視野がフェードアウトするのが見えるばかり。


 その視野に花が咲いた。赤い花。彼女がやって来たのだ。


 もうどんな痛みも感じないが、少女がおれを腕に抱いたことは感じられた。その腕の、血の通ったぬくもりは、切断された神経にも届いた。


 誰かがわめく声がする。銃声は聞こえなくなる。そうか、彼女に当たってはいけないのだ。彼女はおれを庇っているのだ。身の危険も顧みずに……

 

 しだいに耳も遠くなったから、とぎれとぎれ、かすかに、ぽつりぽつりとしか聞き取れないが、それでも彼女の言った言葉。


 おれは必死で身を隠していたつもりだったが、聡明な彼女はあっさりと、最近周囲でやたらと狼の毛が見つかることに気づいていたらしい。


 そんなことにも気づかなかったのかと、おれは自分に死ぬほど呆れた。まあ、実際、死ぬ間際なわけだが。


 そしてずっと、おれに一目会いたいと思っていてくれたらしい。にも関わらず、こんな血まみれ弾痕まみれの、ぐしゃぐしゃな体で申し訳ないと思う。そうと知っていたなら、もうちょっとマシな格好に仕立て上げて来るのに……


 死にゆくおれへ、彼女は感謝の言葉をくれた。ああ。ああ。これだけで天国へ昇れるってものだ。この時代、まだそんな場所があるのかはずいぶん怪しいが……


「あります」


 そう言うと彼女の背中から大きな翼が現れた。なめらかにそれを一回羽ばたかせると、おれと彼女はたちまち人知の及び得ない高みへと持ち上げられた。


 やはり天使だったのだ。

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