桃子は、いそいで次の駅で降りた。


 そして、改札をでて、もう一度、入りなおそうと思った――が、改札をぬけた桃子の目に飛びこんできたのは、出口のむこう、三股にわかれた道の、まんなかから奥まっていく、ずっとそこに根づいているような、商店街だった。


 きらきら商店街――そう看板には書かれている。


 いまはまだ、平日の朝のはずなのに、その商店街は、まるで、夕陽がさしているかのように見えた。桃子は、そのアーチをくぐり抜けたいような気がした。




 朝の商店街は、通り道でしかなかった。あいているお店は、ひとつもなかった。それは、桃子を失望させるにはじゅうぶんだった。遠くから、夕陽がさしこんでいるかのように見えたのは、けっきょく、錯覚かもしれなかった。


 わたしは、しかけられた罠に、まんまと飛びついたのだ――桃子は、いらだたしかった。


 しかしもし、いつもとはちがう〈なにか〉をしようと思うのなら、誘惑にだまされるしかないのだ。そうした誘惑から距離を置こうとする、へんなプライドみたいなものを、桃子は持ちあわせていなかった。だから、罠にかかったのだ。


 ふと、桃子はたちどまった。


 半分だけシャッターがひらいた――くわしくはわからない――お店のまえに、段ボールがおかれていた。そして、しきつめられた桃が見えた。それは、桃にしかもちえない色をしていた。


 じっとそれを見つめていると、白いタオルをくびにかけた男のひとが、なかからでてきた。そして、桃のはいった段ボールを、お店のなかに、押しいれてしまった。


 それでも、しばらくのあいだ、桃子はたちどまっていた。すると、お店のなかから、だれかの声が聞こえてきた。


「このピーチを、さっさと並べてくれ」


 ピーチ――それは桃の言いかえにすぎなかった。しかし、お店のなかにいるだれかにとって、あの桃の呼び名は、桃ではなくピーチなのだ。桃は、その言いかえでしかない。


 ピーチ子。桃子は、自分の名前をそんなふうにあらためてみた。


 ふつうっぽくないかも――桃子は、これからは、テスト用紙に、ピーチ子と書いてしまおうか、そんなことを思って、なにやらおかしくなった。


 ピーチ子という名前は、だれかにとっては、ふつうの名前なのかもしれない。しかし、そんなことを、桃子は想像できなかった。


 一限目の授業は、もうとっくに始まっているだろう。いや、終わっているかもしれない。しかしそんなことは、桃子にとって、どうでもよかった。




 桃子はふつうだった――桃子から見た、桃子というのは。

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紫鳥コウ @Smilitary

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