「落花」「まじない」「押し入れ」



「押し入れってどこにつながっているんだろうね」


 チューリップ保育園では今日も子どもたちの明るい声が響いています。

かくれんぼをしているとき、まーくんと仲良しのあっくんがおもむろにそんなことを言いました。


「押し入れの中?」

「うん」


 チューリップ保育園には、たった一つだけ押し入れがあります。

 それは、年少さんがいるねずみ組の部屋にあって、お昼寝する時の布団がしまってあるのです。


「鬼さんの家かな?」

「鬼さん?どうして?」

「僕、いつも悪いことするとママが言うんだ。『悪いことしたら押し入れにいれるからね!悪いことしたら押し入れの中の鬼さんに連れて行かれるんだから』って」


 それを聞いたあっくんは、「え?」と驚いた顔をしてから、ごくりと生唾を飲んでから真剣な顔をして言いました。


「…鬼さん来た?」

「ううん」


 ほっとした様子のあっくんは、「嘘っぱちだよ」と言いました。


「鬼さんなんて来やしなんだ」

「でもそういう言われると、なんだかそんな気がしてすごく怖いんだ」


 遠くの方で、かくれんぼの鬼さんが「もういいかい」と言っています。

 まあだだよ、とまーくんとあっくんとあと他にも一緒にかくれんぼをしている誰かが返事をしました。二人は隠れ場所を探しにきりん組の部屋に行くことにしてみました。


「押し入れの中にいるときってさ、ドアが開いて外の光が入っているときは『押し入れ』って分かるけど、扉を閉めて真っ暗になると、その瞬間から全く違う場所にいるようじゃないか?真っ暗のその奥に、さらに空間が広がっているような気分になるんだ。まるでそこに知らない世界が広がっているみたいなさ」

「うーん」


 どっちともつかないようなまーくんの返事を聞いたあっくんは、ちょっと試してみようよと目を輝かせる。そんなあっくんの後ろをついていくと、ねずみ組の押し入れの前に走って向かった。


 押し入れの前には畳になっている小さなスペースがあって、そこに押し入れの布団を敷いてきみちゃんが横になっていた。

 朝、少し具合が悪いことをゆみ先生に話していたことを思い出した。


「あっくんとまーくん、そこで何してるの?」


 物音に気がついたきみちゃんが、重そうに顔を少しあげて目だけでこっちを見ると、気怠そうに腕をついて顔を上げた。


「かくれんぼ。きみちゃん大丈夫?」


 あっくんがきみちゃんに言った。

 きみちゃんは両肩の先を見るみたいに、左右にゆっくり顔を振るのを見て、あっくんがそっかぁと肩を落としました。あっくんはきみちゃんのことが大好きなのです。


「元気になったらみんなでかくれんぼしようね」

「うん」

「誰かが探しに来ても押し入れにいるって言わないでね」

「わかった」


 ミッフィーの絵が描かれた扉の一枚をスライドさせて、あっくんが先に入ってその次に僕が入った。


「あ、ちょっとまって!」


そう言って先に押し入れに入ったあっくんが押し入れから布団と僕をかき分けて押し入れから出てきてみきちゃんの元に戻ってきた。


すると、みきちゃんのおでこに手を当てて2回撫でると、「早く治るおまじない」と言ってにこりと笑ってまた押し入れに戻っていった。


 押し入れの中は空っぽで、他の布団は大勢の子どもたちがトランポリンや大きな積み木で遊ぶことができるホールに干しているのを見た。


 僕らの保育園の押し入れは特別で、他の園児たちが描いた落書きで押し入れの壁はいっぱいになっている。


 子どもの手では重たいドアを、両手であっくんと締め切る。

 閉めた戸の隙間から差し込む日の光に、真っ暗な押し入れの中でも安心していられる。


「よーし、探しにいくぞー」


 かくれんぼの鬼さんがついに隠れている人たちを探しに行き始めたのが押し入れの中からでもわかった。


 あっくんとクククッと小さく笑いあう。


 そんなとき人知れず、ねずみ組の部屋の花瓶に差してある椿の花が一枚、ぽろりとその花弁を床に落としていた。


「うぅ…」


 きみちゃんは頭がなんだかズキズキして、布団の中で丸くなっていた。


 押し入れの中で小さな点のようなものが見えた。

 それは閉めた押し入れの戸についていて、まるで外の光がその小さな点のような穴から入って来ているようだった。

 特に意味はないけれど、指でその点を押さえてみる。けれども、点は消えなかった。


 兄が探しにくるのを少し待つ間


むしろ、その点はどんどん広がっていっているように見える。


「ねえ、これ大きくなってない?」

「んー?そう?」


 あっくんにそう言った時、小さな点の光に気を取られていたせいで、扉の隙間から差し込んでいた光が途切れて見えなくなったことに気がつかなかった。

 押し入れの中には、僕とあっくんの2人、本当の真っ暗の中をその小さな点の光だけが照らしている。


 そして、どこか遠くの方で、カラ、コロと何がぶつかる音が聞こえてきた。


「あっくん、この音聞こえる…?」

「…うん」


 暗闇の中で耳をそばだてる。

 初めは押し入れの外から音がするのかと思ったけれど、外から聞こえてくる音だったなら押し入れの扉や壁によって聞こえてくる音はくぐもったような音で聞こえてくるはずだ。

 けれども、聞こえてくる音は、隔たりのあるような曇った音ではなかった。それが妙で不思議だと思った。

 小さな点の光と同じように、その音も少しずつ大きくなって来ている気がする。

 何かが近づいてきている。


「ま、まーくん、一回外に出よう?」

「う、うん」


 あっくんの言葉を受けて、僕は目の前の横開きのドアを開けようとした。


「…あ、あれ?」

「まーくん、どうしたの?」


 暗闇の中で、すぐ目の前にあるはずの横開きのドア。手を伸ばせばすぐに到達するはずのドアにどんなに手を伸ばしても


「…ない、ないよ。ドアがどこにもないよ!」

「え、そんなはずないよ」


 そう言って、あっくんも同じように暗闇の中を手探りで手を伸ばしてみる。

 けれども、何かが手に当たる感触が全くない。

 何度もそこにあるはずのドアを掴もうとしてスカッと空をかく手がもどかしい。


「え?なんで?なんで?」


 心なしか風が頬を撫ぜた気がした。

 少し肌寒くも感じる。

 押し入れの中にいるのに、部屋の中にいるはずなのに、まるで外にいるみたいな気がした。


 光はいつのまにかペットボトルの蓋くらいまで大きくなってきて、ゆらゆら揺れているのが分かる。


 不安が胸いっぱいに押し寄せる押し入れの中で、僕らの唯一の心の支えになっていたのは、その光だった。


押し入れの住人



「いつもこの押し入れを通るとき、この絵を描いた子たちがどんな子たちなのか知りたいと思っていたの」


 顔の見えない彼女は楽しそうな口調でそう言った。


押し入れの中の住人兼探検家。

「私たちの絵が、他の人たちにも見られているとは思わなかった」

「そうだろうね。こんなに楽しそうな押し入れを見たのも初めてだな」



「帰り道はあっちだよ」

「また遊びに来てね」

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掌編小説 まこと @m2s56ai

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