「夜空」「時間」「囲い・塀・垣」
仙台駅からアーケードの中を通り、国分町方面に進む。名掛丁、クロスロード、ぶらんどーむと抜け、前方ディズニーストアが右手に見える横断歩道を渡って直進。勾当台公園の手前の商店街、三越とロッテリアの間を通る路地に立ち飲みができるカフェが佇んでいる。
確かにそこにはカフェがあるのに、あるとき、ふとした瞬間にカフェが不思議な雑貨店に代わっているのだそうだ。
いつ、どんなときにだけ、そこに雑貨店が現れるのかは誰も知らない。
カフェが不定期に雑貨店も営んでいるということもない。なぜなら、店の外観も、店内の内装も、はたまた店主までもが、何もかも違うものに変わってしまっているからだ。
その雑貨店を切り盛りしているのは、マダム・たみこ。雑貨が好きな慎ましい日本の女性で、私の古くからの友人でもある。
私は誰かって?
申し遅れた。私はその雑貨店に住んでいる「たま」という。しがない店の看板猫だ。
今日もまた一人、この店を見つけた幸運な人がやってきたようだ。入り口の開閉扉が開くのと同時に、リリンとオルゴールのような聞き心地の良い鈴の音が店内に響いた。
さて、今日はどんな人と巡り会えるだろうか。
◇
「ありがとうございました」
スタッフの女性が丁寧にお辞儀をするのを背中に受けて、三越内にあるCHANELのお店を後にした。
今日は平日休みの前日、仕事が終わった気晴らしに日頃のストレスの発散として、三越で以前から欲しいと思っていたリップを購入したのだ。
三越のアーケード方面の出入り口から外に出る。
変わり映えのない日々。たまに買うコスメや大好きなお酒を友だちと飲むときがささやかな幸せ。
大型量販店の中にある携帯ショップの販売員として働いている。
毎日平日の昼間に店に来る客の多くは、ほとんどが穏やかな老後を過ごすお年寄り。
毎日毎日、理解に乏しいお年寄りに何度も説明をする日々。
なんか、もう、いい加減うんざり。
大して好きな仕事というわけでもなく、就職活動でたまたま内定をもらったのがこの会社だっただけに、入社から一年が経った今も、仕事に対するやりがいを見つけられないでいる。
「はあ…」
毎日の接客にだけでも鬱憤が溜まるというのに、今日なんて会社の先輩社員に心底イラついた。
思い出すだけでも腹の底が沸々と煮えくり返ってくるのが分かる。
いや、やめよう。こんなことを考えるのは。
せっかく一目惚れしたリップを買って良い気分になっているのだから。このままの気持ちで明日の休日の朝を迎えたい。右手に下げたCHANELの紙袋を見て思った。
でも、何かが足りない。
刺激が足りない。
「なんか、楽しいことないかなー」
十字路に差し掛かり、人通りの多いこの商店街の歩道は国分町に向かう仕入れ業者やタクシーなどが多く出入りするため、車の往来も多い。
国分町方面に向かう路地の入口、小さな花屋とだし郎の間から車が来ないことを確認したあと、左手にある三越とロッテリアの間からも同じように確認する。
「あれ?」
普段であれば、この路地の奥には立ち飲みができる小さなんカフェが佇んでいる。
———はず、なのだけれど、そこには普段見慣れない建物があった。
(お店の出立ち。佇んでいる様子。外観。)
まるで初めからそこに存在していたかのように、ごく当たり前のような顔をしてそこにあるのに、どこか浮いているようにさえ見える。
三越の従業員用入り口付近から出入りするトラックや業者の人たちはおろか、東二番町通りに向かう人など通りを通る人たちもその建物を気にしている様子もない。え、あったっけこんな建物と思いながら、アーケードに向かっていたはずの澄佳のヒールの先は、そのお店に向いていた。
お店に近づくにつれて、澄佳の中の好奇心や得体の知れない恍惚さが顔を出し始める。
それらをまるで止められないみたいに、普段なら一人で入ることもないお店の、古い金箔がはげかかった黄土色のドアノブに手をかけていた。
リリン…
押すタイプのドアを開けて、店内に足を踏み入れる。最初に目に写ったのは、天和にの派手な壁紙の色だった。天井は黒に近い深い赤、壁は鮮やかなエメラルドグリーン、それでいてバランスがとれている色彩には高級感さえ感じられた。品がある。
そこここの棚には、古いアンティークのような品がずらりと飾られていた。金縁の豪華な装飾がついた手鏡、筆ペンとインク、本棚に敷き詰められた題名のない古い本、傘立てに入る傘のように入れらている丸められた古い何かの地図。
雑貨店…いや、アンティークショップのように見える店内を入り口の前でぐるりと軽くみていると、お店に入ってすぐ中央の平台に飾られた特設スペースに目がいった。
【夜を飼いませんか?】
見慣れないキャッチコピーとと共に、スノードームのような丸いガラスの中に閉じ込められた何かがいくつも並べられていた。
「夜を飼う?」
一つ一つ確かめるようにそう呟いてみた。
「ええ、可愛い夜がたくさんいますよ」
お店の奥から、可愛らしいおばあちゃんが顔を出した。
【夜を飼いませんか?】
「へえ、夜ってこんなに種類があったんだ」
そもそも夜に種類があることすら知らなかったので、日本語だけでもこんなに表現に種類があることに驚いた。
「でも夜を飼うなんて、ただの売り言葉でしょう?本当に育てるわけじゃないですよね?」
「あら、育てるのよ?」
「え?」
「だって、夜は生きているもの」
「…」
「あなたは、どの夜がお好き?」
そう問われて、目の前に並んだドームの中で漂う夜に目を向ける。
結局いくつかある夜のうち、一つを購入することにした。
レジが置かれたヴィンテージものの机の上で、夜を可愛いお店の紙袋にしまいながら、夜の取り扱い説明書も入れておいたわと目尻を垂れて言う店主。
「夜を飼うにあたって、これだけは覚えておいてほしい注意事項を伝えておくわね」
そして、穏やかに言う店主は、垂れた目尻を少し開いて言った。
「決して、ドームの中から夜を出さないこと」
「もし出したら?」
「夜に飲み込まれる」
「ありがとうございます。またお会いしましょうね」
店の前で見送ってくれた店主の声を背に、店を出た。少し歩いてから、右手に提げた紙袋に目を落とす。
「あの…」
そう言いかけて振り返った先に、もう雑貨店はなく、いつものカフェがそこにあった。
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