58.そんな下手は致しません

 広間に、ジゼルが入って来た。大した怪我けがもなく、元気そうだ。


「バララエフはどうした」


「アルメキアの軍用車は運転が難しかったようで、外でへたばっています」


 考証が雑な気もするが、まあ、どうでも良いことだ。少しして、マリリも戻る。ユッティ達は、まだ沖合いだ。


 ナドルシャーンがはいを置いた。ルシェルティは、今は静かな表情で、窓の外を見ていた。


 隣の部屋から、不明瞭なわめき声が聞こえた。会話になっていない。無線だろう。落として、壊れた音がする。


 病人のような足取りで現れたチェスターの、前髪はでたらめに乱れていた。


「お兄様は……マリネシアを、どうなさるおつもりですか?」


 ルシェルティの声に、ナドルシャーンは立ち上がって、マリリに歩み寄った。


「フェルネラント、イスハバートの両国と、連邦れんぽう枠組わくぐみを造る」


「れん、ぽう……?」


 マリリの手を取り、ルシェルティに向き直った。


「政治、経済、法制、軍事……様々な分野で協調しながら、他国と異なる強い連携れんけいを互いに認めた、独立を共にする共栄圏きょうえいけんだ」


 ナドルシャーンの言葉が進むにつれて、衝撃しょうげきが波のように広がって行った。


 それぞれの君主を頂き、それぞれの政治体制を持ちながら、法治主義ほうちしゅぎと基本的な人権を共有する。


 内政にあたっては自主自尊じしゅじそんの独立国となり、外圧がいあつにあたっては強固な軍事同盟でこうする一国となる。


 離れていながら密接な民間交流と、特別優遇とくべつゆうぐうの貿易関係を保ち、互いの発展をにない合う。


 これは、長い植民地支配で近代化の力を奪われた国々にとって、身を寄せ合いながらでも立ち上がる、一筋の光明になり得るものだ。


 フェルネラント帝国とイスハバート王国、マリネシア皇国がその先駆さきがけとなれば、連邦れんぽうに加わる意思を示すだけで、先進国家の制度と軍事力を共有することができる。


 また、裏を返せば、植民地支配の経済利点である閉鎖的貿易圏へいさてきぼうえきけんを実質、維持いじすることが可能な道理で、宗主国側そうしゅこくがわが旧植民地を抱き込む余地を残している。


 いち早く同調し、みずからを主体に植民地側を懐柔かいじゅうすることができれば、従来とそっくり同じ勢力を保つことができる。


 もちろん、旧植民地同士が連携れんけいして、大幅な譲歩じょうほや権利を勝ち取ることもあり得るだろう。


 こんな途方もない策が、ナドルシャーン一人の頭から出て来たはずがない。


 エトヴァルトの策謀さくぼうに決まっていた。ヒューゲルデンの言っていた、戦争の落としどころというものだ。


 もっとも、ナドルシャーンとマリリの婚姻こんいんについては、誰の予想も超えた連鎖反応れんさはんのうだったろう。


 制度上の必然ではなくとも、姿勢と覚悟を国内外に端的たんてきに示す、絶好の偶像ぐうぞうとなる。共犯者とは、よく言ったものだった。


「これが私の決断だ、ルシェルティ」


「素敵です……お兄様」


 ルシェルティが微笑んだ。


 椅子いすから立ち、頭を下げる。白い薄布うすぬのを重ねた衣装と、膝裏ひざうらに届く黒髪が、小さな身体をおおうようにゆれた。


「は……ははっ、はは……っ! お、驚きました! 驚きましたよ、皇子様……っ!」


 調子の外れた笑い声が、チェスターの口からもれた。


 緩慢かんまんな動きで、ルシェルティを押しのける。右手を、洒落物しゃれものの上着のふところに差し込んだ。


「どうしてこうなったのか、皆目見当かいもくけんとうもつきませんが……やられました。こ、降参です……降参します、皇子様……」


 恐る恐る、銃口を下にむけたまま、拳銃を取り出して床に置いた。


いさぎよいな」


「諜報員は、現実主義でして……負けた戦いに、こだわりは致しません……ですが……」


 押しのけられて、床に座り込んだルシェルティを一瞥いちべつする。


「彼女は……私に、だまされていただけです。あ、浅はかな小娘でも、れっきとした皇女おうじょ……皇帝位を望んだこと自体が……罪には、ならないはずです」


「チェスター……?」


 ルシェルティが、両手を上げるチェスターの、引きつった秀麗しゅうれいな顔を見上げた。


「アルメキア軍を手引きしていたのも、私です。彼女は……なにも関与していません。幕引きのための罪人なら、私一人で充分でしょう。で、できれば、死刑だけは勘弁かんべんしてくださると、ありがたいのですが……」


 ナドルシャーンが苦渋くじゅうを浮かべた。


 誰も、言葉を発せなかった。視線を動かすことも忘れたようだった。


 ルシェルティが床の拳銃を拾い、チェスターの前に立った。穏やかな笑顔で、銃口をナドルシャーンに向けた。


「私も愛しております。お兄様」


 ふ、と、水薙みずなどりが舞った。


 白い衣装の、右脇腹から左胸にかけて線が走り、赤くにじんで広がった。ゆっくりと倒れるルシェルティを、ナドルシャーンが抱きとめて、片膝かたひざをついた。


 ルシェルティが、ほおを染めてはにかんだ。


「いけません、お兄様……もう……子供では、ないのですから……」


「構わん」


 ナドルシャーンが、ルシェルティを抱く手に力を込めた。ナドルシャーンの服にも、赤いにじみが移っていった。


「最愛の妹よ……おまえが眠るまで、こうして抱いていよう」


「嬉しい……お兄様……」


 ルシェルティも震える手を伸ばし、ナドルシャーンの首に、懸命に抱きついた。


 そのまま、二人とも動きを止めた。ジゼルが、静かに納刀のうとうした。


 一呼吸、二呼吸が過ぎた。


 呼吸が十を超える頃、ナドルシャーンが怪訝けげんな顔をした。


「お、おい……これは……?」


「そんな下手へたは致しません」


 ジゼルが、口に手を当てて微笑んだ。


「少しの間、傷は残るでしょうが……罰としては、相応そうおうかと存じます」


 ナドルシャーンが立ち上がろうとして、首にかじりついたルシェルティに引きずられ、よろめいた。


 ぽたぽたと血をしたたらせながら、それでも陶然とうぜんと目を閉じ、ほおをすりつけてルシェルティが笑み崩れた。


「ああ、お兄様……愛しております……このまま、ずっと……抱いていて、下さいませ……」


「いや、待て、そうもいかん……き、傷にさわるぞ、こら……離れろ……っ!」


 あわてて腕を引きがそうとするナドルシャーンと、がされまいと渾身こんしんの力を込めるルシェルティが、しばらく猫のけんかのようにもつれ合った。


 チェスターはたましいの抜けたような顔で立ち尽くし、ジゼルはいそいそと円卓えんたくに残っていた茶菓子をつまみ食いし始めた。


 マリリはこおりついたような顔で、目の奥に憤怒ふんぬの炎を燃やしていた。


 リントが、にゃあ、と鳴いた。


 そろそろカラヴィナの煮込み料理が食べたくなってきた、と、いて訳せば言っていた。

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