59.言い忘れていたことがある

 ナドルシャーンの戴冠式典たいかんしきてんは、マリネシア皇国こうこくげてのお祭り騒ぎとなった。


 マリエラの海と同じ紺碧こんぺきに、金糸きんし縁取ふちどりした盛装のナドルシャーンに、公式の場に久しぶりに姿を見せたプリルヴィット先代皇帝が、星蒼玉せいそうぎょくの首飾りをかけた。


 なぜか宮殿の窓辺という窓辺に海猫うみねこが並んでいたので、またおかしな真似をしでかさないかと、一部の関係者達が緊張していた。


 その場で、環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽうの構想が発表され、同時にナドルシャーンとイスハバート王国のラスマリリ=カラハル王女との婚約も宣言された。


 友好の証としてマリネシアの星が、ナドルシャーンの手で、空色地そらいろじ薄紅うすべに銀糸ぎんし刺繍ししゅうで飾った衣装のマリリの胸にあずけられた。


 国民の歓声が、宮殿の内も外も、マリネシア全島も埋め尽くして、南海の果てまで響き渡った。


「お兄様っ!」


 式典しきてんが終わるや否や、同じ紺碧に金糸で縁取りした盛装のルシェルティが、背の高いナドルシャーンの首に飛び上がって抱きついた。


「御立派でしたわ、お兄様! それでこそマリエラの君主、私の愛するお兄様です!」


 そのまま押し倒しかねない勢いに、たまりかねてマリリがめ寄った。


「おい、共犯者」


「なんだ、婚約者」


「その海月女くらげおんなをなんとかしろ! 妹だろう!」


「だからなおさら手に負えん。どうしろと言うのだ」


「そうですわ! 婚約に破棄はきはあっても、血のつながりは、死が二人を分かつまで消えない永遠のきずなです!」


「こ、この、調子に乗って……大体、おまえ、あの優男やさおとこはどうしたっ? 最後までおまえをかばっていたぞ、相思相愛じゃないか!」


見限みかぎりました」


 みもふたもなく笑い捨てる。つらの皮でもなんでも、頑丈がんじょうなのは良いことだ。


「たかが女一人捨て石にして、目標にしがみつくくらいの気概きがいがなければ、国をあずけるに足りません。その点、お兄様にはれ直しました! 外に女の一人や二人囲うのは、甲斐性かいしょうです! マリネシアのため、国民のため、私とも純粋な至尊しそん皇統こうとうを残しましょう!」


「い、い、言うに事欠ことかいて、は、恥知らずな……っ! 降りろ! そのふやけた頭に、礼儀を叩き込んでやるっ!」


「ちゃんちゃら可笑おかしいですわ! 山猿女やまざるおんなに教わる礼儀などありません!」


「なんだと、この海月女くらげおんなっ!」


山猿女やまざるおんなっ!」


海月くらげっ!」


山猿やまざるっ!」


 どうやら環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽうは、その発足前はっそくまえからイスハバートとマリネシア両国の、極小水準の紛争ふんそうの火種を抱え込んでしまったようだ。


 少なくともナドルシャーン一人にとって、前途は多難と言えた。


 マリネシアの星に替わって、いわく最愛の妹を首にぶら下げながら、ナドルシャーンがひたいに手をあてていた。


 マリエラの海も空もれ渡り、人の世のあらしを静かに包み込んで、たゆたっているようだった。



***************



 もうすぐ帰るとなれば、白い砂浜にも名残なごり惜しくなるのか、リントが散歩に出た。


 狩りをするように慎重に間合いをはかり、波打ち際に近づいて、また離れる。後ろでジゼルが笑っていた。


 給油と、リベルギントとメルデキントの格納は済ましているが、大型輸送飛行艇おおがたゆそうひこうていはそのまま浜辺はまべに停泊している。


 ヤハクィーネと整備兵達、クジロイ達も思い思いにお祭り騒ぎに参加して、南海の臨時休暇りんじきゅうかを楽しんでいた。落ち着けば、帰路きろは全員一緒にてるだろう。


 今や、マリネシア皇国に手を出そうという国家は、なくなった。


 戦艦一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦六隻をそろえたアルメキア海軍の戦闘艦隊が、老駆逐艦一隻のマリネシア海軍に、一片のかけらも残すことなく撃滅げきめつされたのだ。


 どんなに非現実的であっても、外からは、そうとしか見えなかった。


 皆殺みなごろしヒューゲルデンの名は記録を更新し、世界の海にとどろいた。


 幸運にも生き残った上陸部隊の捕虜達は、いずれ正式な手続きで返還されるだろう。


 チェスターだけは騒動の首謀者しゅぼうしゃとしてヒューゲルデンあずかりになり、マリネシア海軍でしごかれている。多分、前髪を気にする余裕もないはずだ。


「そう言えば、バララエフ中尉達も見かけませんね」


「表立って騒げる立場でもないだろう。少し前に、民間の貨物輸送船に乗り込んだのを確認している」


「仕方ありませんね。次に会う時は、あなたと一緒に剣をまじえられると良いのですが」


「同意しよう」


 潮風しおかぜに、ジゼルの黒髪が遊ばれた。


 軍服も水着も適切ではなかったので、式典しきてんに合わせて、ジゼルも白、赤、金の三色に、薄灰色の線を交えたマリネシアの民族衣装をしつらえていた。


 胸元と肩が大きく開き、つややかな肌がのぞいている。


うそから出たまこと、とでも言うのでしょうか。たった一個の宝石が、本当に戦局の行く末を左右する力を持ってしまうとは……驚きです」


「人の力だ。より良い未来を模索もさくする、知恵と意志の力だ」


上手うまいことを言いますね」


 ジゼルが大きく伸びをした。


 南の島の宝探しは、多くの人間に希望を示す結末となって終結した。


「それにしても、まさかマリリに先を越されてしまうとは……積極的な結婚願望があったわけでもないのですが、妙な敗北感を覚えます」


「ユッティも同じようなことを言っていた。ヒューゲルデンにエトヴァルトの名前を出されて、難解な顔をしていた」


「まあ、そうでしょうね。私もこうなったからには、相手の姿や状態、構成物質こうせいぶっしつにこだわらない覚悟を決めなければ」


「文脈が理解できないが」


「冗談です」


 ジゼルが、衣装のすそをたくし上げた。適当にわえて、波打ち際に素足をつける。振り向いて、リントに手を差し伸べた。


 悠々ゆうゆうと広がる空と海の狭間はざまで、たった一人、輝いているようだった。


「言い忘れていたことがある」


「なんでしょう」


「その衣装も良く似合っている。美しい」


 ジゼルの目が、少し驚いたようだった。口元に手を当てて、ほくそ笑む。


「なんですか。そんなことも、言えるようになったのですか」


「日々努力している」


「では、私達も結婚しますか」


「文脈が理解できないが……」


 一呼吸、置く。文脈の是非ぜひでないことは、もう理解できている。


「やぶさかではない」


 リントがジゼルの手に乗って、するりと肩に登り、ジゼルのほおに口付けをした。


 さすがに、偶然の行動だったろう。それでもジゼルが、花の咲くような笑顔を見せた。



〜 第三章 マリエラ晴嵐編 完 〜

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