56.共犯者になってくれ

 マリネシア海軍の軍用車は、駆逐艦くちくかんと同様に古びていたが、よく手入れされていた。


 軽快な発動機の音と、明るく平和な南海の風景が、幻想のようだった。後部座席のリントがあくびをした。


「クジロイ達が間に合った。ジゼルは無事だ」


 報告に、運転席の横で、マリリが大きく息を吐く。もうすぐここにも、遠雷えんらいが聞こえてくるだろう。


 運転席のナドルシャーンが、一瞬だけ、マリリを横目で見た。宮殿に向かう道を運転しながら、端正たんせいな顔は表情を隠していた。


「おまえが……言っていた通りだ」


 独白どくはくのように、言葉がもれた。


「なにが正しい選択なのか、わかるはずのない闇だ。それでも選択するのが……決断するのが、責任なのだな。おまえの父君は立派だった。誇っていいことだ」


 マリリの目が丸くなった。そして、一呼吸を置いてゆらいだ。


「こ、こんな時に……なんだっ? 自分がこれから、どうするかだけを考えろ!」


「考えても、迷うばかりだ」


 ナドルシャーンが自嘲じちょうした。


「マリネシアの国を、国民を……ルシェルティを、私の決断が殺す。誰を、どれだけ殺すことになるのか、それさえわからない……正しいと信じて決断しても、次の瞬間には、また迷っている。情けないな……正直、恐ろしくてたまらないのだ」


 ナドルシャーンの横顔を、マリリが見つめた。


 マリリはそこに、りし日の父親を見ていた。


 何一つ力になれなかった幼子おさなごの頃、見上げた父親の面影おもかげを、ナドルシャーンに重ね見ていた。


 今は強い力を宿した緑の瞳が、はっきりと、その想いを映していた。


「エトヴァルト様が言っていた。正義とは、正しいと信じることを行いながら、自分の正しさを疑い続けることだと……その迷いの中にだけ、存在する状態なのだと」


 マリリのこぶしが、ナドルシャーンの肩を、軽く叩いた。


「疑うことから逃げるな。考えろ。迷い続けろ。その決断が、たとえ間違いだったとしても……おまえの正義は、私が見届けてやる!」


 ナドルシャーンの目が、叩かれた肩と、緑の瞳を見た。


 前を向いた。あおい瞳も、少しゆらいだようだった。


 軍用車が宮殿の入り口に停まる。二人が降りて、リントが続く。


 宮殿の中は、まだ状況の急変きゅうへんを察知していないのだろう、昨日までと変わらない穏やかさだった。


 晩餐会ばんさんかいの開かれた広間で、円卓えんたくに一人、ルシェルティが発酵茶を飲んでいた。


 かたわらにチェスターがひかえている。二人と一匹に気がついて、チェスターが優雅な仕草で頭を下げた。


 ルシェルティがナドルシャーンと、後ろにいるマリリを一瞥いちべつした。


「昨夜はお出かけの御様子ごようすでしたね。お兄様」


「その甲斐かいはあった」


 ナドルシャーンが、円卓にマリネシアの星を置いた。


 ルシェルティは表情を変えなかったが、チェスターは平静を装おうとして、失敗していた。


「騒がしい連中もいるようだが、一足遅かったな。宝探しは、これで終わりだ」


 ナドルシャーンの声で、リントが円卓に飛び乗った。番人よろしく、星蒼玉せいそうぎょくの首飾りのくさりに前足を置く。


 ようやく、ルシェルティが苦々にがにがしそうに、細いまゆをゆがめた。


「チェスター」


「はい……できる限り穏便おんびんに済ませたかったのですが、残念です」


 多少無理をして、秀麗しゅうれいな顔が笑みを浮かべた。


「上陸部隊と足並みをそろえたアルメキア海軍の艦隊が、外洋がいように展開しています。今日のかたむくまでに私からの連絡がなければ、貴国の領海に進行、第一次攻撃として東海岸側に艦砲射撃かんぽうしゃげきを行います」


「我が国はフェルネラント帝国の保護領だ。世界大戦に、貴国も参戦するということか?」


「どうでしょう。オルレア大陸でロセリアと争っているの国が、こちら側にも戦端せんたんを開くほど、おろかであれば良いのですが」


 言葉を並べている内に、笑みに余裕が混じってきた。ひたいにかかる赤毛を整える。


「こちらの要求はお分かりでしょう。賢明な選択を期待します」


「いいだろう」


 ナドルシャーンが振り返り、ルシェルティとチェスターに背を向けた。


 ルシェルティもチェスターも、向き合う形になったマリリも、怪訝けげんな顔をした。


「ラスマリリ=カラハル、私と結婚して欲しい」


 ナドルシャーンの声は力強く、明快だった。


 だが、聞いた三人が三人とも、なぜか理解が遅れたようだ。


 二度のまたたきの後、マリリの赤銅色しゃくどういろほおが、熱されたように紅潮こうちょうした。


「なっ、な、な……なにをっ? なにを、いきなり……っ? き、気でも、違ったのかっ?」


「正気だ。だからなおさら、済まないと思っている」


 ナドルシャーンの真摯しんしな目に、マリリが、ほお紅潮こうちょうをそのままに口を引き結んだ。


「愛しているとは言わない。だが、おまえと共になら、この戦争を戦う策がある……国も命もけた、共犯者になってくれ」


 言葉の最後に、遠雷えんらいのような飛行音が重なった。東海岸だ。


 マリリが、自分のほおを、自分の両掌りょうてのひらでひっぱたいた。


「……策にも、よるな」


 少し涙を浮かべて、八つ当たり気味の、うらみがましい視線を向ける。


「まだ一仕事残っている。戻ったら、くわしく聞かせてもらうぞ! 返事はその後だ!」


「急がせるつもりはない」


 ナドルシャーンが微笑んだ。一層、ほお紅潮こうちょうさせて、マリリが逃げるように広間を走り出た。


 見送って、悠然とナドルシャーンが、ルシェルティとチェスターに向き直った。


かたむくまで、と言ったな。私もここで待たせてもらおう。私にも同じ発酵茶と……そうだな、おまえの好きな茶菓子でも、運ばせるか」


 手を叩き、現れた給仕の人間に指示をすると、ルシェルティの隣の椅子に座る。


 チェスターのことなど、もう気にしてもいないようだった。


「こうして落ち着いた時間をおまえと持つのも、考えてみれば久しぶりだ」


 ルシェルティの形相ぎょうそうは落ち着いたどころの騒ぎではなかったが、ナドルシャーンは、運ばれてきた発酵茶の香りを満足そうに楽しんだ。


 いつくしむように、いとおしむように、それはこの瞬間そのものに名残なごりをしむような、穏やかな表情だった。

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