55.私はお酒を嗜みません

 蛮族ばんぞくなら蛮族ばんぞくで、もう良しとする。


 我がフリード家は、武門の家柄だ。意味合いとしては、大して変わらないだろう。


 それにしても、一国を武力制圧するには足りなくとも、一国を燻蒸処理くんじょうしょりするためにそろえた頭数あたまかずだけあって、さすがに立ち直りが早かった。


 拳銃に撃たれたり、車体にはねられたりする範囲の外は、他人事にあわてる必要がないのだから、これは持てる者と持たざる者との限界の差だ。


 口惜くちおしい。


 全体の規模からすれば大した損害も与えていなかったが、退路をふさがれたらさすがに困る。仕方がない、撤退てったいに入った。


 集団の中で暴れている間は同士討ちが警戒されていても、お尻を向けたとなれば俄然がぜん、相手は勢いづく。


 銃弾も豊富だ。うらやましい。


 なんとか森に逃げ込むまでに、車体のあちらこちらに穴が開いていた。道に戻る頃には、排気煙はいきえんではない煙がもれていた。


 とは言え、真新まあたらしい軍用車が、ちょっと車軸しゃじくが心配になるほどの兵士を積載せきさいして森から飛び出して来たものだから、バララエフ中尉への叱咤激励しったげきれいを止めるわけにはいかなかった。


「なんかもう、これはこれで、楽しくなってきたよ!」


 頑丈がんじょうなのは良いことだ。


 とにかく走る。逃げる。めったやたらに撃たれて、たまに撃ち返す。


 ついに後輪を撃ち抜かれて、車体が大きくかたむいた。道端みちばたの木に、なかばぶつかるようにして止まる。


 あわてて離れたすぐ後に、派手に爆発、炎上した。


「次は、森で遊撃戦ゆうげきせんかい?」


「申し訳ありませんが、銃弾は撃ち尽くしました」


「そういう時のための、これさ!」


 返却した銃剣じゅうけん小刀部分しょうとうぶぶんを、バララエフ中尉の太い指が小突こづく。


 なるほど、それなりのには、かなっているようだ。


 隠れた木の後ろからうかがうと、アルメキア軍も軍用車から降りて、部隊を展開するところだった。


 道幅に銃列をき、残りが警戒しながら、森の中に入って来る。


 さて。


 樹々きぎまぎれて逃げることは可能だろうが、それでアルメキア軍に、本来の任務に戻られても困る。もう少し時間を稼ぎたかった。


 やはり遊撃戦か。攻めるにせよ待ち伏せるにせよ、最初の接敵せってきまでが勝負だった。


 一息ついて、空を見た。


 青く、よく晴れて雲もない。遠く西の果てから、遠雷えんらいのような音が聞こえてきた。


「……どうやら、楽ができそうですね」


「ジル?」


「バララエフ中尉、私はお酒をたしなみません」


 少し考える。まあ、良いだろう。


「せめてもの礼に、果汁飲料かじゅういんりょうでよろしければ、おつき合い致しましょう」


 遠雷が、空を切り裂くように近付いた。


 フェルネラント帝国陸軍の大型輸送飛行艇おおがたゆそうひこうていが、相変わらず、最低高度に最大速度で飛来ひらいした。


 その後背こうはいに、無数の黒い影が舞い散った。


 落下傘らっかさんだ。アルメキア軍の上陸地点のすぐ向こう、次々と森に降りていく。


 機影きえいはすでに頭上を過ぎて、風が、あざ笑うように地表をなめた。


 アルメキア軍が恐慌きょうこうをきたした。おとりにかかって兵力を分断された可能性に、今さら頭を殴られたのだろう。


 指揮官らしい一人が軍用車の無線に怒鳴どなっているが、向こう側でも、すぐに正確な状況把握などできはしまい。


 森の樹々きぎが、ざあ、と、ゆれた。さざ波のように、影のように、音が広がった。


 もう、風は吹いていなかった。


「よお、大将。いい雰囲気みてえなところ、邪魔するぜ」


「構いませんよ。所詮しょせんは、みちならぬ逢瀬おうせです」


 姿はない。


 声も、どこから聞こえてくるのかわからない。山の民が、狩りに使う声法せいほうだ。


 樹々きぎのゆれは、森の全域に広がっていくようだった。


 アルメキア軍の兵士達も、異変を察して周囲を見渡した。


 見えないものが、確かにいる。


余所様よそさまの庭ですから、できるだけ遠慮してあげて下さい」


「殺すな、ってことか? 大将にしちゃあ、珍しいな」


 声が苦笑した。自分でも苦笑する。


「もちろん、皆様みなさまが危険な場合は正当防衛ですよ」


「それじゃあ、一人も殺せねえな」


 森のざわめきが、大きくなった。


 地に落ちる樹々きぎの影が、濃さを増したようだった。


 そして、弓弦ゆんづるのかすかなひびきが、アルメキア軍の兵士達を次々とつらぬいた。


 いつの間に現れたのか、みゅう、みゅう、と、空に海猫うみねこの群れが飛んでいた。

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